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陣ノ内 唐人 「じん」のつく地名

長崎地名的散歩
04 /21 2024

 「陣場」「陣ノ内」など、のつく地名は、「むかし、武士が合戦で陣を立てた所」と言われている。


 なるほどそうなんですね、ふぅ〜ん、と納得しそうになるが、「陣」がつく地名の土地状況を調べると、なぜか川のそばの低湿地や田んぼ、グジョグジョの沼や、ため池のある所ばかり。

 暗く淋しい山の谷間にあったりもするが、武士の陣場に適した小高い丘はほとんど無かった。


 これはどういう事だろう?


 ハッ!もしかして、武士というのは、全員「スーパー☆ストロング馬鹿」で、ふんどし一丁で腰まで泥に浸かり「エイエイオー!」とトキの声を上げ、敵が襲来したら、泥んこプロレスで相手のふんどしを奪って勝敗を決したのだろうか?


 いや、直感だが、違うような気がする。


 「ジン」は陣場ではなく、別の意味があるのではないか?そう思って調べたら、下の言葉が見つかった。


湛(ジン・チン・タン) :意味→水を 湛(たた)える 水が満ちている おぼれる 沈む 深い

 (沈も深も「ジン」と読むのは偶然だろうか)


 つまり、じんとは「水はけの悪い土地や、深い沼や湿地」の事ではないか。


 そう考えると、すべての疑問のふんどしのひもは、ハラリと解ける。

 
 

 長崎県内の「陣」地名には、次のような例がある。


・諫早市松里町 陣ノ辻

 山の中腹の交差点のカドに、唐突にコンクリートの貯水槽が建っている。背後の空き地は土砂で高くかさ上げしてあり、脇にあるやぶには踏み板が敷かれている。湧水による湿地だったのだろう。

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・諫早市飯盛町佐田 古陣(ふるじん)

 いいもり斎場の横から山の方に入った、草木の茂る所。土地の真ん中と両脇に計三本の水路が流れている。すぐ下の空き地は建物を撤去して整地中だが、ど真ん中の邪魔な水路は動かせないらしい。道路脇の一角には、地下に防火用水のタンクが埋めてある。湧水が流れ込むのだろう。

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・大村市諏訪町 陣ノ内

 周辺は開発が進んで新しい住宅が建ち並んでいるが、この辺りだけ水田と畑が残っている。田んぼへの水路は無く、湧水があるらしい。地元の人の話では、田んぼの脇の水管バルブは回せば水が出るが、水道局が調べてもどこに繋がっているのか判らないという事だった。

 すぐ近くにある下水のマンホールからは、水が落ちる大きな音が響いていた。

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・長崎市松原町 陣ノ尾

 東長崎地区、松原町の山の上にあるサントピア学園の左下。農地の脇から水が湧き出しており、プールのような大きな貯水槽もある。石垣の下は流れた水でビチョビチョの湿地。学園の真下の崖からも水が流れ出ている。

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・長崎市上戸石町 陣ノ内

 急傾斜地の下の細い谷間に川が流れるところ。背後の山からの湧水が多いらしく、雨上がりでもないのに水路には水が流れ、脇の部分からもバケツを傾けた位の水が出続けていた。他にもあちこちから染み出しているのだろう。

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 新しい住宅地の下に作られた、巨大な洪水調整用の池は湿地化しており、元々の土地の状況を窺わせている。昭和57年の長崎大水害では、上の方の土砂崩れで土石流の被害があった。

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・西彼杵郡時津町野田郷 陣ノ内

 ゆるい傾斜地にある小丘の周辺。森のように木々が高く伸びている。水源があるのだろう。そばには田んぼと畑があり、近くには小川も流れる。 


・東彼杵町瀬戸郷 陣屋(じんや)

 龍頭泉に向かう県道190号線の途中、大村湾グリーンロード高架橋の奥。

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 右側の谷間の辺り。「陣屋」の場合、「や」は、谷のことらしい。

 

・佐世保市吉井町草ノ尾 陣ノ尾

 山の上の窪地に大きなため池があるところ。


・島原市南有馬町 小字 上陣場 中陣場 下陣場

 島原の乱で、原城の周辺に立てられた武将達の陣跡の近くにある。そのため、本当の陣場跡と思われそうだが、場所はやはり川沿いの田んぼの中。

 ややこしいのは、黒田陣場 小笠原陣場という具体的な名の小字が丘の上にあり、これこそはホンモノかと思ったら、どちらも記録にある場所とはだいぶ離れている。 


 他にもあるが、もう飽きた。

 湿地は低い土地にあるものと思い込んでいたが、今回、現地を見てまわり、山の上でも傾斜地でも、湧水とそれが溜まる条件があれば、湿地ができることが判った。


「湛(じん)」は「タン」とも読む。湛水(たんすい)は、田んぼに水を溜めること。

あるいは、土地に水が溜まって排水できないこと。

 熊本には「水湛」と書いて「みずたまり」と読む地名がある。



 諫早市には、陣野(じんの)という姓がある。森山干拓の先駆者は、医者だった陣野甚右衛門。あだ名が「じんじん」だったかどうかは知らん。陣野姓の発祥地である森山町には「陣ノ辻」という小字があり、その地名から「陣野」を名乗ったと言われている。

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 陣の辻 分かれ道の崖下の辺り。以前は水田だった。馬場公園のそばに小川が流れている。

 


◎長崎県以外の「陣」地名の例


・佐賀県嬉野市嬉野町大字岩屋川内 陣野

 茶畑が広がる高燥な山の上で、1ヶ所だけ大きな湧水の溜池がある所。

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 道路工事による通行止めで、溜池の写真は撮れなかった。


・熊本県上益城郡御船町 陣

 ふたつの川に挟まれた湿地帯。


・熊本県八代市 陣内

 山の間の狭いところで、川が複雑に流曲し合流する地点。


・福島県西白河郡矢吹町 陣ヶ岡

 阿武隈川流曲部の氾濫原。


・福井県坂井市 陣ヶ岡

 陣ヶ岡丘陵地域は広い湿地帯。



 いろいろ見てみたが、湿地と水辺ばかり。やはり「湛」という言葉が、じん地名の土地状況に一番合っていそうだ。


 現在、じん地名のほとんどが「陣」の字になっているのは、大昔の「好字二字令」の影響もあるだろう。

 たぶん、古くから湿地はジンと呼ばれていたが、誰も漢字の「湛」という認識はなかったと思う。そして、古い地名に漢字を当てる際、近世まで一番よく知られていた陣地の陣が使われた。仁とか尽はマイナーだし、人や神は地名には使いにくい。



◎「陣」以外のじん地名もある


 南島原市口之津町の「唐人町(とうじんまち)」という地名は、かつてこの地で南蛮貿易が行われた事から、当時の中国人の居住地だったと言われている。

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 現在は海岸を埋め立てて家も建っているが、400年前はまだほとんど海で、すぐ崖の地形。とても人が住めるような場所では無かったと思う。現在もまだ湿地と洪水調整池がある。

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   国土地理院地図より

   

 「唐」はこの場合、「塘(とう)」で池や沼のことと思われる。「湛(じん)」は深い水。「町(まち)」は、区画の意味があるが、後世の付け足しの可能性もある。

 「唐人」はハス田のような深い湿地を意味する地名だったのかもしれない。


 諫早市にある「唐人廟(とうじんびょう)」という小字は、安勝寺の縁起話では丘の上の墓地周辺だったように書かれているが、長崎県の小字地名総覧では、谷間の水源の下の方になっている。コンクリートの水路が出来る以前は、全体的に湿地だっただろう。

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   Googleマップより
 

 また、この辺りを指す「深山(みやま)」という地名は、山奥でもないのに変だなぁと思っていたが、「水谷間」の意味だったのなら土地の状況と合う。

 

 鹿児島県加世田市には「唐仁原(とうじんばる)」という地名がある。ハル、バルは九州では開墾地のことなので、池などを埋め立てて開墾した干拓地だったのかもしれない。


「じん」のつく地名について考えたことは、今はこんなところ。



 自分は以前、「陣内」「陣野」という姓を「なんかカッコええのう~」と羨ましく思っていたが、泥田の意味だったのかと思うとそうでも無くなった。


 「深町」というのも都会的な感じで「よかですた〜い」と思ったが、フカ・フケは湿地なので、これもおそらく、泥田のことだろう。


 まあ、現実とはそういうもんだ。 




参考文献:古代地名語源辞典 楠原祐介 編
     長崎県の小字地名総覧 草野正一 著
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「鬼」地名は何を意味するのか 鬼木・鬼池

長崎地名的散歩
07 /06 2023

 「鬼(おに)」のつく地名の土地では「恐ろしい鬼がいたから」という地名由来がよく語られるが、それをそのまま信じる現代人は居ないだろう。

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 実際に鬼がいたという記録があったとしたら、それはマタギと呼ばれる狩猟民や、サンカと呼ばれる山の漂泊民、山賊の類、あるいは、何らかの理由で森に隠れ住んでいた白人の大男などを目撃したものではないかと思う。
 
 そういう人達と山の中でバッタリ出会い、ビックラこいて「もひいぃい!鬼じゃあ〜!アポヒョヘヒ~!」とうろたえ、ジョバァ~と糞尿を漏らしながら女子供を置いて逃げ、大いに冷たい目で見られた者もいた事だろう。(そういうくだらん事を書くお前もな)


 確かに「鬼」地名は、山の中に多い。だがそれには別の理由があると自分は考える。
 「鬼」は形容詞として、強い・大きい・ものすごい・怖ろしいなどの意味に使われる。これらは漠然とした鬼のイメージで、
常人を超越した存在である事を示している。


 「鬼ババア」と聞けば、どういう人物かは容易に想像できる。優しい聖母のような女性を思い浮かべる人は多分いない。
 ひとつ謎なのは、おばあさんに「ばばあ」と言ってはダメなのに、なぜか「ばぁば」はOKという点だ。どうしてだろう。
(いやそれは地名とは関係が・・)


 確かに「ばぁば」の方がだいぶソフトに聞こえる。「ばぁば」と呼ばれ、怒って孫を殴る鬼のようなおばあさんの話は聞いたことがない。
 「鬼ばぁば」だと、怖いのか優しいのかちょっと微妙。いやでも何か裏がありそうで、やっぱり怖い。
 うーん、日本語は奥が深いのう~。
(いいから早く進めんかい)


 地名では、大きな洞窟を「鬼の窟(いわや)」と言ったり、広い一枚岩の岩礁を「鬼の洗濯板」と言ったりする。
 近頃の若い衆も、鬼デカイとか鬼ウマイとか言っている。オトナもそれに迎合し、ネットニュースやテレビも遅れまいとマネをする。ああ、鬼嘆かわしい!


 近年、自然災害が続き、「鬼」地名は「土砂崩れなどが起きやすい災害地名」と解釈する説も見るようになった。しかし、ただ「怖いから鬼」では、地名の説明にはならない。
 それに、鬼は地獄で死者を拷問はするが、災害につながる「破壊」のイメージはあまりない。

 古くからの日本の神は、本来、自然の中にいる目に見えない存在だった。「畏(かしこ)きモノ」と呼ばれ、人々に敬われると同時に怖れられた。
 福を授けることもあるが、怒れば災いをもたらす。それは、自然の姿そのもののようだ。


 平安時代くらいに伝わった陰陽道では、北東(丑寅うしとら)の方角が鬼門とされたことから、鬼には牛の角があり、虎の皮のおぱんちゅを履いて金棒を持っていると考えられた。そして現在のような姿が定着したらしい。

 3人並んで座って1人がウクレレを持っているのは、昭和ごろに出来たイメージのようだ。(それは雷さまだろうが)


 アニメ鬼滅の刃でも描かれているが、人間が、自らの激しい怒り・恨み・嫉みなどの感情に因って鬼に変身するという考えは古くからあった。般若の面はその姿だ。


 日本民俗学の始祖 柳田國男は、鬼や妖怪は、祀られなくなった神が零落した(落ちぶれた)ものだと言った。
 神の恐ろしい側面が「鬼」になり、あのような姿で現されるようになったという事だろうか。


 鬼に関する考え方はいろいろあるのだが、地名になりそうな理由は限られている。
 
 鬼の元の意味は、隠(おん、おぬ)で、隠れて見えないものを指した。人が亡くなることを「隠れる」と言い、「鬼籍に入る」とも言う。鬼という漢字は、死者や死者の魂を表す象形文字なのだそうだ。
 
 地名の意味というものは、単純な理由である事がほとんどで、難しく考えるとどんどん外れて行く。先人たちもそう言っている。


 自分は、地名の「鬼」は、「隠れて見えない土地」を指している場合が多いと考えている。(やっと本題に入ったか)
 中には開けた土地もあるので、すべてがそうとは言えないが、西日本、九州、長崎では、その可能性が高そうに思える。

 実際の土地の状況を確認してみよう。
 
・長崎県東彼杵郡波佐見町 鬼木(おにぎ)地区

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 美しい棚田と手作りのかかしが有名な農村集落。

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 2つの山の間が狭くなったところの奥に入り口があるため、集落はその中に隠れていて外からはほぼ見えない。
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・長崎県雲仙市瑞穂町 小字 鬼木(おにぎ)
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 地形的には、行き止まりの細い谷の奥と、道が通っていない尾根の上。どちらも外からは見えない。 
 以前、「隠れ地名」だろうと書いた「布木(ぬのぎ)」も近くにあり、地形状況は鬼木とほぼ同じ。

・熊本県天草市五和町 鬼池(おにいけ・おんのいけ)

 雲仙市の口之津港から島鉄フェリーで30分。天草の鬼池港では、季節にかかわらず、サンタさんイルカのソリが迎えてくれる。

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 鬼池には、集落の奥に、細い谷底の平坦地が続いている所が複数ある。この細い谷自体が「隠れた土地」で、その所々にある窪地に水が流れ込んで、池や沼になっている。

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 以前の航空写真では田んぼだった所が現在は池になっている所もある。放置されると元の状態に戻るのだろう。

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 隠れた土地にある池。それが「鬼池」なのだと思う。

・島根県大田市大屋町 鬼村 
 山の奥に細い谷が続き、川が流れている。見事に隠れ里だ。
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・大分県由布市挾間町 鬼瀬(おにがせ) 
 山の間の土地に、大きくS字を描く川が流れている。曲がっている事もあり、外側からはまったく見えない。
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・熊本県人吉市鬼木(おにぎ)町
台地の上は迷路のような地形。台地と台地の間に隠れた細い谷に鬼木川が流れ、川沿いに田が作られている。 
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 「鬼地名」は、開けた低地の川辺にも見られる。
・福岡県豊前市鬼木(おにのき)

 ふたつの川が合流してまた分かれている。水路とため池が多い低い土地だ。

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 このような土地の場合は、もしかしたら、河川氾濫で田畑が「水の下に隠れてしまうところ」であることを言ったのかもしれない。
 ざっと調べたところ、やはり氾濫が起きる地域のようだった。


 もしそうだとすれば、鬼地名が崖下にある場合は、過去の土砂崩れで「埋まって隠れてしまった土地」ということも考えられそうだ。


 それぞれの土地の状況や地名の伝承をよく調べてみたいが、金もヒマもないので、今回はこれくらいで勘弁しといてやる。


 では、今夜はキムチやっこを肴に、愛知の鬼ころしでも頂くとしよう。

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◯◯の木 ─ 長崎地名的散歩 ─

長崎地名的散歩
05 /28 2023

 地名についてあれこれ詮索していると、「至って普通のようでも、土地の状況を表す地名として意味を成さないもの」があることに気がつく。


 たとえば、多良見町東園地区にある「山の木」
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 山に木があるのは当たり前で、しかも無数に立っている。地名の意味が「山の木のところ」では、そこら中すべてが該当するため、場所が特定できないではないか。
 これじゃ、「今どこにいる?」「えっとねぇ〜道路の横にガードレールがある所〜」というような説明と少しも変わらない。

 最初は、アホがつけた地名なのかと思ったが(そんなワケあるかい!)、調べるうちに、別の意味がある事が判ってきた。

 古代地名語源辞典/楠原佑介編によると、地名のノキ・ノギは、「退き、除き」で、崩れやすい崖・崩れた崖を表すと言う。ホンマかいなと自分で見て回ったら、大抵その通りの土地である事が確認できた。
 高知県の方言では、「のく」は、剥がれる、取れる、落ちる、抜けるという意味だそうだ。方言には古い言葉が残っている事が多い。

 つまり、山の木は「山退き」で、過去に山が崩れた所だと思われる。

 東園の「山の木」周辺は、その部分だけ背後の山の斜面が、途中から一定の角度で扇状地のように海岸まで続いている。崩れてなだらかになったのだろう。
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     googleマップより
 「山の木バス停」は、長崎県の小字地名総覧の「山の木」から少し離れているが、山の斜面は大きくえぐれて、海岸の部分はせり出している。ここも元々は「山の木」の範囲だったのかもしれない。
 中央の四角い住宅地の部分は、元は田んぼで背後は崖だった。

 諫早市小ケ倉町には、小字の「山の木前」がある。「前」は単に「(その)前の所」だろう。行って見たら、崖の表面が崩れて、ブルーシートと土のうで応急処置をしてあった。小崩落を繰り返しているのではないか。
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 諫早市目代(めしろ)町の「山の樹(き)」も、山際の住宅の裏側はコンクリートと金属フェンスで崩落防止の対策がされている。
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 付近の道路脇の露頭などから、ゴロ石を多く含む地層である事が判る。
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 大村市今村町、長崎自動車道の今村パーキングエリアそばにも「山の木」がある。低い山に畑が広がり、どこが崩落していてもおかしくない程、不自然に入り組んだ地形になっている。
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     googleマップより
 
 小字地名の地図を見ると、現在では消えかけている「〇〇の木」という地名がたくさんある事が判る。基本的に崩壊地なのだが、いろんなバリエーションがあって面白い。元の意味が忘れられ、名称が変化しているものもある。

 今回はそんな、「〇〇の木」地名を見ていくよーん。

 諫早市久山町の山の中腹に、「花の木」という、古くからの農業集落がある。
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     googleマップより
 なかなかプリティーな地名であることよと思っていたが、ハナは鼻のように突き出した地形であり、集落下の「鼻」の部分の崖がたびたび崩れていたものと思われる。


 「森の木」という小字地名もあちこちに見られる。メルヘンチックな地名のようだが、さにあらず。
 諫早市多良見町西川内の森の木は、今にも崩れそうな急傾斜地の山林。地盤を固めるため手前側に植えたと思われる竹が、倒れまくっている。
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 森の木は、森林の崩崖を指す地名のようだが、モルは、古語で「もぎ取る」の意味なので、単に「もぎ取ったように崩れる所」の可能性もある。

 諫早市小豆崎町の小字「森の木」も、周辺が険しい崖だらけ。
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 小豆崎(あずきざき)の「アヅ」自体が、崩崖を表す地名用語だ。この辺りの土の斜面には、ゴロゴロした石が多く含まれている。


 「風の木」と書いてフウノキと読む小字地名も長崎のあちこちにある。ポエムチックな感じの地名だが、やはりこれも崩壊地名のようだ。

 封(ふう)という字は「土をかぶせて塞ぐ」という意味の象形文字。つまり、フウノキとは、「斜面が崩れて塞がった所」だと思う。
 フウまたはフウノキ(楓の木)という植物があるが、これとの関係は特に見られない。名前を借りただけだろう。

 諫早市下大渡野町にある小字「風の木」は、本野小学校から本明川を挟んだ県道付近。そばの高い急崖は、全面をコンクリートで固められているが、むかしはたびたび崩落していたに違いない。
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 昭和50年の航空写真を見ると、斜面が大きくえぐれ、流れた土砂が川の側に堆積したであろうことが推測できる。
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     国土地理院 空中写真サービスより

 諫早市小長井町川内の長里川沿いに、3月に花を咲かせる大きなオガタマの巨樹があり、ローカル観光スポットになっている。
 その奥に、小字の「楓の木」がある。行ってみると、やはり急斜面が崩れて道を塞いだと思われるところだった。
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 部分的に石垣の無い所が、小字地図の楓の木と一致している。この崖下に転がっているたくさんの岩は、斜面を転げ落ちたものではなかろうか。
 昭和50年の航空写真では、この部分だけ畑が途切れ、地すべり跡のような地形が見える。
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     国土地理院 空中写真サービスより


 極めつけは「恋の木(こいのき)」! なんというラビンユーな地名だろう!

 場所は、諫早市の五家原岳中腹で、長田から上る県道184号近くの斜面。
 コイはおそらく「越え」が変化したもので、尾根道を横切って越えていく部分が崩落していたところだったのではないか。
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     googleマップより

 そのほかにも、植物の名称や特徴を盛り込んだと思われる「〇〇の木」地名は多い。

・楠の木(くすのき):崩れるのクスと退きで、二重の崩壊地名か。川岸などによく見られる。

・榎の木(えのき):エは「壊」または「崩(く)え」、あるいは川を意味する江で、「江・退き」かもしれない。やはり川岸や山の斜面などに見られる。
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     googleマップより

・桐の木(きりのき):山の斜面が、タテ方向に切ったように崩れたところ。同じ地形で「きりき」と読む場合もあるが、「きりのき」が短縮されたものだろう。

 昭和50年の諫早市久山町の桐の木。現在は木が生い茂っていて地形はほとんど確認できない。
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     国土地理院 空中写真サービスより

・須田ノ木(すだのき):スダはどんぐりがなるスダジイのこと。スダジイは、木の表面に縦向きのヒビが入るのが特徴。
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 老木になると根も張り出して、こんな複雑な形状になる事もある。
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  写真:庭木図鑑 植木ペディアより

 大村の須田ノ木町は、建ち並んだ住宅で判りにくいけれど、多良岳から伸びる長い尾根に沿った凹凸が激しく、スダジイの表皮のように見えていたのではないだろうか。
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     googleマップより

・チシャの木:チシャノキは、高く育つ木で、若葉がレタス(和名:チシャ)に似た味がするため食用にもされる。その事からチシャノキと言うらしい。この地名を調べていて知ったのだが、玉チシャ(玉レタス)は、意外にも室町時代頃から日本にあったそうだ。
 
 レタスは、茎の根元を切ると白い乳液がにじみ出る。この事から、水が染み出す崩壊崖のことをそう呼んだのではないかと思う。
 ちなみに、チシャは「乳草」が語源との説がある。
 チシャの木は、チチャの木・チサの木とも言う。

 諫早市森山町のチサノ木は、幅広い面をコンクリートで覆われた崖の下で、土地の年配者の話では、むかしはこの辺りの崖から水が湧き出ていて生活用水にしていたそうだ。
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 これは昔の水場の跡と教えてもらった。
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 いろいろ挙げてみたが、ノキは単に場所を表す接尾語「キ」の可能性もあり、「〇〇の所」なのかもしれない。その場合、クスノキやエノキは「崩れやすい所」となる。

 
 大昔、長崎市を含む長崎半島(野母半島)一帯から佐世保あたりまでは、
「彼杵の郡(そのきのこおり)」と呼ばれていた。
 この辺りの地層は古く、何万年も前のものが露頭している所もあり、海岸も山も侵食されて崩れているところが多い。長崎港周辺も高い急崖が目立つ。
 もしかしたらこれも「〇〇の木」地名かもしれない。

 現在は「そのぎ」と濁って読み、西彼杵郡(にしそのぎぐん)と東彼杵郡に分かれ、範囲もだいぶ狭くなっている。

 彼杵(そのき)の地名由来については、現在の東彼杵町の伝説がある。昔、この村の上空に一本の不思議な杵が出現し、安全寺で神楽を奏したところ、空から杵が舞い降りてきた。村の衆が集まって「その杵(きね)!」「その杵(きね)!」と指差して叫び、輪になって踊りまくったので、彼杵という地名になった、というような話だ。
 なるほどそういうことか!と納得したが、よく考えるとこれはどうも違うような気がする。(しらじらしい!)

 昔は背を「ソ」と読んだため、「背後(ソ)が崩崖(ノキ)」という説もある。
 「長崎は海岸からちょっと歩けば山に当たる」などと言われるが、確かにその通りかもしれない。海岸が断崖だったり、山すそだったりする場合も多い。

 「背後が崖」これが一番、彼杵という土地の特徴を捉えていると思うのだが、どうだろうか。

 

へびっぽい地名 平口・片木・辺木・蛇田

長崎地名的散歩
04 /19 2023

 地名をいろいろ見ていると、へびっぽい地名や、へびに関すると言われる地名、そして、ズバリ「蛇」のつく地名があることがわかる。


 近年、日本中で自然災害が続いたことから、「災害地名」がテレビで報道されるようになった。「蛇崩(じゃくずれ)」や「蛇落(じゃらく)」など「蛇」のつく地名は、「大水による災害が発生しやすい所」と言う認識が広まっている。

 蛇は、そのくねくねした動きから、流れる水を象徴する生きものとされ、水の神は洋の東西を問わず、多くが蛇身で描かれる。


 ただ、へび地名がすべて災害地名という訳ではない。

 再来年の2025年はちょうど巳年なので、 今回は、長崎の「へびっぽい地名」について見てみよう。(何がちょうどだ)



 長崎市茂木町の中心部から、旧茂木街道のゆるやかな上り坂を田上方面へ進むと、谷の奥で傾斜がきつくなり、つづら折りの峠道に差しかかる。

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 その辺りは平口(ひらくち)と言う所で、川平川が流れ、平口橋が架かっている。

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 そして、頭上高く、長崎自動車道につながる県道51号線の高架橋が横切っている。

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 以前、長崎のローカルTV番組で、長崎の古写真と現在の様子を比較するコーナーがあり、経済学者の姫野先生が、平口の地名由来を紹介されていた。「昔ここは毒蛇のマムシが多く、長崎ではマムシをヒラクチと言う事から、平口という地名がつけられた」という話だった。


 しかし、それは恐らく地元民の想像によるもので、「傾斜地・崖地の登り口」というのが妥当なところだと思う。

 ヒラは古い言葉で、主に「急傾斜地」を指す。山の登り口を山口と言い、坂の登り口は坂口なので、平口は「急傾斜地の登り口」となる。

 類例は少ないが、全国の平口を見ても、やはり同様の地形のようだ。

 ・浜松市浜北区平口

 ・松江市東忌部町平口


 ただ、崖の下というのは、地形的に地下水が出やすく湿っており、水生生物が棲んでいる。そしてそれをごはんにするヘビもいるはず。川のそばなら尚更のこと。

 昔の川や石垣は隙間が多く、蛇がスルスルと逃げ込んでいくのをよく見かけた。


 ここでマムシを一匹見ようものなら、「ホラホラ!ヒラクチのおるけん、ヒラクチばい!ホラホラ!ね?ね?」と、口をとんがらせて目をギョロギョロさせ、必死に同意を求めるヤツもいただろう。平口の「マムシいっぱい説」は、長崎弁による誤解に違いない。



 五家原岳の中腹にある「片木(へぎ)」集落も、郷土史関係の本には「マムシが多い」のが由来と書いてあった。畑に水を引く川がそばにあるので、へびくらいはいただろうが、これも言いがかりに違いない。

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 ヘギは「ヘグ(剥ぐ)」を名詞化した地名であり、傾斜地の表面が地すべり等ではがれる所という事だろう。

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     googleマップより

  

 実際、畑が崩れたようなところもあるし、この辺りでは、道路があちこち小崩落しているのをたびたび見かける。

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 雲仙市南串山町にも「辺木(ヘギ)」地区がある。山の上の傾斜地に田畑が広がる土地で、やはり畔や石垣の小崩落が見られる。へびに関する話があるかどうかはわからなかった。

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 傾斜が急で、土がサラサラした所は、舗装や石垣などで固めないと、最後はただの斜面になってしまうのかもしれない。

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 全国にある辺木も、見た限り傾斜地ばかりだった。



 南島原市有家町の蛇田(ひらくちだ)は、わざわざ「蛇」の字をヒラクチと読ませているので、恐ろしさはバツグン!

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 普通、人が住むところの地名に「蛇」という字はあまり使わないものだが、ここは地図にも載っている。


 ただ、全国的に見ると、宮城県石巻市の蛇田(へびた)などは、街なかの行政地名として存在しており、蛇田駅や蛇田小学校もある。元々は川の中洲の氾濫原だったと思われる。


 日本では古来から蛇を神聖視して信仰対象とした地域も多い。それは遥か縄文時代から受け継がれたものと言われている。蛇に対する感じ方も様々なのだろう。


 有家町の海岸部から尾根道を登り、蛇田(ひらくちだ)集落に入るあたりから、坂の傾斜は急になる。しかし、集落を過ぎるとまたなだらかになる。周辺は登ったり下ったりの複雑な地形で、崖も多い。

 つまりここは、地形的には「急傾斜地の入り口」ではない。

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     Googleマップより


 では、本当にへびが多いのだろうか?いや、それはない。地名にはちゃんとそれなりの意味があるはずだ。


 私は集落の周りを、たくさんのへびが出てこないかとビクビクしながら見て回った。

 集落の西側には大きな溜め池があり、昭和22年の航空写真にも写っている。

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 東側の落ち窪んでいる所は、広い湿地になっている。

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 その先にも大きな溜め池があり、隣の集落にもひとつ、合計3つの溜め池が並んでいる。


 溜め池が昔からあったかは判らないが、少なくとも水の湧出があり、水が溜まりやすい地形のはず。水が多ければへびも多そうだが、ここも地形状況の地名で説明できる。


・ヒラは急傾斜地。これは、集落の尾根の周囲に崖があるから。溜め池が人工のものだとすると、そこも崖だった事になる。


・クチは入口ではなく、この場合は湿地を表す「クチ(朽ち)」だと思う。


・ダは処(ド)で、「場所」を示す。


 元々、島原半島の南側は溜め池が少なく、旱ばつになると田畑がすぐに枯れていたらしい。それが島原の乱の一因とも言われている。

 この地を開墾した御先祖たちは、貴重な水源を新参者に取られまいと、わざと怖そうな「蛇田(ひ~ら~く~ち~だ~)」という地名で通したということは考えられないか。(いや、そんな言い方はせん)


 他にも由来の候補がある。蛇田(ひらくちだ)は、長崎県の小字地名総覧によると、蛇田、上蛇田、東蛇田、蛇田原、蛇田尻、蛇田谷の6つの小地域に分かれており、半数は「ヒラクツダ」と発音されていたらしい。

 地名の「クツ」は崩れるのクヅの可能性がある。集落の周囲の崖が崩落していた可能性も考えるべきだろう。


 さらにもういっちょ。ヒラクチが元々は「ヘビ」だったと考えた場合、集落周辺の土地は、左右に大きくうねった上、登り下りも激しい。この地形状況を蛇に見立てたのではないかとも思える。

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     Googleマップより     


 全国の「蛇」のつく地名の土地は、やはり氾濫原や山の地すべり地と思われるところが多い。しかし、そうでもなさそうなところもある。語感が「へび」に似ているというだけで「へびが多いから」などという、しょうもない由来譚を語られるのも気の毒だ。


 郷土史などの地名や伝承は、未だに50年も100年も前の説をそのまま事実のように載せている事が多い。時代に合わせて内容を見直し、伝説は伝説として、近年の仮説も併記し、若い人達が考える機会を作るべきだろう。教育委員会とかも、昔の偉い先生に忖度するのが優先なのかと思ってしまう。


 ちょっとヘビーな話になったが、今回はここまでとしよう。じゃ(蛇)!



地名散歩 長崎市茂木(もぎ)

長崎地名的散歩
03 /30 2023

 長崎市茂木町は、市街地から田上(たがみ)の峠を越え、つづら折りの狭い森の道を下り、川沿いの切り立った崖の側を通り抜けた、隔絶の地にある。


 淋しい所かと思いきや、千々石灘に面する海岸の景観は明るく開放的で、日がな一日のんびり過ごせるところ。

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 明治期には、長崎に居住していた西洋人のリゾート地として賑わったそうだ。

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 茂木には特に何があるという訳でもないが、自分は何となく好きな町なので、時々ふらりと立ち寄って散歩したりする。


 堤防に佇んで、沖を行く船と霞んで見える島原半島や天草の島を眺め、

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 錆びて色褪せたフェリー埠頭で、昔の賑わいを想像したり、

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 壊れかけた古い家屋が並ぶ路地を歩いて、諸行無常を感じたり、

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 日向ぼっこするにゃんこちゃんを見てほっこりしたり、ちゅーるを与えたり、 

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 クルマから折りたたみ自転車を出して、あちこち探索したり、

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 ああ、落ち着きますのう~

 

 茂木の昔の事については、長崎市が公開している「茂木の歩み」「茂木の散歩道」PDF資料に詳しく書かれている。 


 この地には古くから漁民が多かったためか、神功皇后(じんぐうこうごう)伝説が多く残っており、茂木の地名由来も、それにまつわるものとして語られる。


 ・神功皇后が、川を流れてきた「もみ菜」を見て、この地を「もみの浦」と名付け、変化して「もぎ」となった。

 ・神功皇后が、この地で衣の下袴の「裳(も)」を着替えたので「裳着(もぎ)」と名付けた。

 ・神功皇后の家来である八人の武臣が、狭い所に並んで夜具を着たので「群着(むれぎ)」と名付け、もぎに変化した。


 ※伝説は伝説としての価値があるが、ここでは現実的な視点で地名を考える。



 長崎でも創建が古い「裳着神社」は、明治になるまでは「八武者大権現」だった。

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 資料によって「はちむしゃ」とも「やむしゃ」とも書いてある。八人の武臣に関係するとも言われているが、別の神様の可能性が高そうだ。「裳着」の字が使われている。


 田上の峠から茂木方面へ少し下った急傾斜地に、転石(ころびし)という地区がある。坂道に石がゴロゴロして足場が悪く、転びそうな所だったのだろう。

 同様の小地域の地名は、あちこちに見られる。

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 神功皇后伝説で、皇后が凱旋の記念に鎧を着た所を「鎧初(よろいそ)」と言ったそうだ。

 よろいそが縮まると「よれそ」のはずだが、茂木の歩みには「よそれ」と書いてある。単なる間違いかと思ったが、話し言葉で自然に前後が入れ替わる事はあるので、そう言っていたのかもしれない。

(例)舌つづみ→舌づつみ わたし→たわし(それはわざとですよね?)


 現在は、よろいそがどこかは不明らしいが、転石の事だろう。

 「よろ」はヨロつくで、「いそ(磯)」は石が多い所。石が多くてヨロつくというのは、転石と意味がほぼ同じだ。


 神功皇后が岸を歩いていると、川上から若菜が漂って来たので、その川を「若菜川」と名付けたと言う。


 ワカナの「カナ」は、地名用語で「折れ曲がる」という意味で、大きくカックンと曲がった川によくつけられている。

 「曲」という字は(カネ)とも読むので、カナも同じ扱いらしい。

   ※大工道具の直角の曲尺(カネジャク)は、カナジャクとも読む。


 若菜川の下流域は、谷を削ってカックンカックン曲がっている。

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    ※googleマップより


 もしかしてと思い、「神奈川県」の地図を見ると、鶴見川を始め、カーブするというより折れ曲がったような川が多い。たぶんここもそうなのだろう。



 若菜川は、谷底平野を蛇行しながら下り、下流で川平川と合流する。そして、平地にたどり着いたところで直角に崖に突き当たり、斜面を崩落させていたらしい。


 上流の早坂町はかなりの急傾斜地で、山の上にある長崎自動車道の長崎インター付近の水路は、水の勢いを弱める形状になっている。

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 「若菜川」は、やわらかなイメージの名とは裏腹に、大雨で氾濫を起こす暴れ川だ。


 川は直角に曲がり、S字を描いたあと、もう一度直角以上に大きく曲がって、また、崖の斜面をもぎ取り、谷を彫り込んでいる。

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 「もぎる」という言葉は、力ずくでもぎ取る事。「もぐ」は軽くひねって取るイメージだが、もぎるとの違いは曖昧。古い時代には「もる」とも言った。


 「もぐ」という動詞を名詞化すると「もぎ」になる。


 それから、河口の丸くなった土地は、明らかに砂州が発達したものであり、南側から小さい川が流れ込む事によって丸い形になり、埋め立てて護岸を作り、現在の形に落ち着いている。
 モギという地名がつけられた古い時代の姿を想像するのは難しいが、大地からもぎ取られたような地形だったのかもしれない。
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    ※googleマップより
 

 茂木(もぎ)の地名は、この辺が由来ではないかと、たわしは考えているのだが、どうだろうか。


 古い地名の意味は、自然の優美さより、自然の脅威によるものが圧倒的に多い。それは人が自然に対して畏敬の念を抱いていたからだろう。



 もう少し茂木の散歩を続けよう。


 茂木小学校の運動場とプールは、川に架けた歩道橋を渡ったところにある。平地が少ない土地ならではの光景だ。DSCF2078CA.jpg


 河口付近の土砂が堆積した島状の土地は、貴重な平地になっている。

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 山に遮られた茂木の町は、長崎の多くの集落がそうであるように、かつては海が玄関口であり、船の交通がメインだった。

 クルマ社会になる前は、島原半島と天草を中心に、北は福岡の三池港、南は鹿児島の甑島まで船のルートが多数あり、蒸気船が行き交っていた。

 昭和になると、あちこちにフェリーが就航したが、今度は高速道路が発達し、減って行く。


 現在の茂木港は、熊本県の天草郡苓北町富岡行きの高速船のみが、かろうじて運行されている。

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 昔、長崎と茂木間に鉄道を通すという、なかなか無茶な計画があり、この切通しの道はその名残りだそうだ。(計画は、線路を敷く前に頓挫した)

 海岸を埋め立てて広い道路が出来てからは、地元の生活道になっている。

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 川ぎりぎりに建つ住宅は、気持ちよさそうだが大変なことも多いだろう。
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 いいなあ~、たまらんな~、昭和の追加型リフォーム住宅。
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 奥の緑色のひさしの所は、揚げたてを買える田口天ぷら店。近くにあるオロンのパンも人気だ。

 さて、そろそろ帰ろうか。行ってたわけじゃないけど。
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 ああ、やっぱり茂木の町はいいなあ。古いものが無くなる前に、もっと散歩しとこう。  


   ※参考文献:茂木の散歩道 茂木の歩み 長崎市
         古代地名語源辞典 楠原佑介編

Ramblingbird

長崎南部の自転車散歩やどうでもいい出来事を、小学生ギャグを交えて書き散らします。お下劣な表現を含みますのでご注意下さい。