鳥が運んだアコギ地名 アコ木・阿漕ヶ浦

前回、口之津町の苧扱川(おこぎがわ)という地名は、
コグという言葉が「草木を根こそぎ引き抜く」という
意味がある事から、地滑りや氾濫のあった場所を指す
地名ではないかと考え、現地の状況を確認した。
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そして、調べている中で、
「オコギ」と「アコギ」は似とるよなあと思った。

前回も触れたが、長崎県の五島には、アコ木という
小字地名が点在している。

「苧扱(オコギ)」は苧麻(からむし)の繊維をほぐす事。
「アコ木」はアコウの木の別名。

どちらも植物地名だ。


アコウというのは元々南の国の木で、渡り鳥がその実を
食べて日本へ運び、肛門から肥料付きの種を投下して
発芽するという、大自然のシステムを利用して繁殖した。
(他に言い方は無いんかーい!)

温暖な気候でないと生育できないため、自生している
地域は、九州、四国から紀伊半島の南部までらしい。


植物や動物に関する地名には、別の意味が含まれて
いる事が多い。危険地名と言われるものも然り。

「アコギ」という地名も、コギ繋がりで地すべりや
氾濫地名だろうと思ったので、調べてみた。


アコギと言えば、三重県津市の阿漕ヶ浦(あこぎがうら)
が有名。現在は阿漕浦(あこぎうら)とも言うそうだ。

アコギとは、越後屋やお代官様のように、クソ悪どいと言う
意味だったはず。
なぜそんな良くない地名をつけるのだろうか。

それは、調べていく内にだんだん判ってくる。


阿漕浦を、航空写真とGoogleストリートビューで見てみるが、
地すべりしそうな崖や、決壊しそうな曲がりくねった川などは
見当たらない。松並木の砂浜が美しい、平野部の町だ。



ここはちょっと違ったか?


・愛媛県西宇和郡伊方町三崎は、アコウの大木があるため、
小字地名もアコギになったと言われているらしい。 
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(Googleマップ 航空写真より)

しかしよく見ると、背後の崖は地すべり痕のようにも見える。
集落は海岸まで続く傾斜地の上に作られており、平地はない。

調べたら、やはり地すべりの起きやすい地質という事だった。


五島列島の小字名を探すと、アコギ地名ドンドコ出てくる。

・奈留町船廻(ふなまわし) 阿古木 アコギ  (Googleマップ 航空写真より)
naru_funamawari_akogi01.jpg 

細長く突き出た半島の途中で、集落の背後に崖が迫る。
崖は崩落防止のワッフル状コンクリートで全面補強してあり、
海岸にはアコウの大木がある。
山の中腹が崩れているようにも見えるが、よく判らない。

気になるのは、この狭さで山の高さが100mもある事。
当然、雨水の流れはとんでもないスピードになるだろう。


・岐宿町川原郷 阿古木 アコギ  (国土地理院 空中写真サービス 昭和52年より)
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何も無さそうな山の斜面で、下は海。 
左側の部分が、山頂から麓の地峡部まで崩れたように見える。


・富江町松尾郷 アコキ山    ※注:ヘコキ山ではない。
tomie_matsuo_akokiyama01a.jpg 
 (国土地理院 空中写真サービスより 一部追記)

何もない山奥の斜面。航空写真を見ると、一部が崩れて
谷が埋まったようにも見えるが、よく判らない。 

※「ヘコキ山では無い」と言いながら、写真に「ヘコキ山」と
書いてボケようか、やめようかと悩んだ自分が悲しかった。


・富江町職人郷 アコギ山  (Googleマップ 航空写真より 一部追記)

tomie_syokunin_akogiyama01a.jpg  

ゆるやかな丘に広がる畑の中。昭和23年の航空写真とほとんど
変わっておらず、よく判らない。
ただ、すぐ隣の小字名が「水洗」。これも川の氾濫地名だ。


・富江町長峰郷 アコギ山、アコギノ下  (Googleマップ 航空写真より  一部追記)
tomie_naganime_akoginoshita01a.jpg 

鬱蒼とした山の中。アコギノ下は山の斜面の下辺り。アコギ山は
小字地図では抜けているが、そばの片平山のことだろう。
片平山は、「片側が斜面(崖)の山」という意味。


写真だけではよく判らないが、ほとんどのアコギが、山の斜面だった。



あと、五島市平蔵町樫の浦は、アコギ地名では無いが「あこう木前」
バス停があり、アコウの大樹がある。


口之津も五島も、アコウの木はポピュラーな木だったようだが、
口之津周辺にはアコギ地名は見当たらず、五島には多い。

上五島出身のE君に聞いたところ、奈良尾ではアコウはアコウジュ、
アコウギ、アコギとも言われていたそうだ。
奈良尾神社には樹齢650年の大アコウ樹があり、人気スポットらしい。

口之津出身の友人に聞くと、口之津ではアコウの木はアコウの木で、
アコ木やアコウ木とは言わんだろうとの事だった。

長崎県の小字地名全般を見ても、地名表現は地域で偏りがある。
地名がつけられた時代や藩などでも違うと思う。


やはり、アコギという地名も、地すべりや洪水地名
だろうと思える結果になった。


ただ、実際に行ってはいないので、ハッキリは言えない。

そう!今回は予算と時間の都合で、どこへも出かけていない。
「地名散歩」なのに出かけていない。

五島とか三重県とか、そんな遠い所、とても行け~ん!
地図とネットと本による調査だけの記事じゃあ!

ちくしょう!いつか金持ちになって見返してやる!


で、本題だが、

調査を進めていくうちに、阿漕ヶ浦(あこぎがうら)について、
えらい事に思いあたった。

傾斜地でなく海岸で、草木を根ごと引き抜くものがあった!


「あーっ、津波か!」

三重県、東海地方といえば、南海トラフ。

調べたら、阿漕ヶ浦は室町時代に明応の大地震の津波で壊滅している!


「エェ────ッ!」 驚いて、ジャパネットタカタ前社長の声が出た。


阿漕ヶ浦は、津波の前は、阿濃津(あのつ)という地名だったとも言う。

すべてが津波で流された阿濃津の地名を、当時の地名命名担当者?が
何らかの決まりによって、アコギという名に変えた。

何のためかは判らない。

悪い見方をすれば、一部の利権を持つ者だけに災害の事実が判るよう、
地名を暗号化し、彼らが損をしないよう画策したのかもしれない。

よい見方をするならば、荒廃した集落を再建する際、後世の人が、
コギというキーワードによって、ここが津波の被災地である事を
忘れず、気をつけながら暮らせるようにしたとも考えられる。


もう一度、Goo辞書で「阿漕・あこぎ」の意味を確認してみよう。

 1 しつこく、ずうずうしいこと。義理人情に欠けあくどいこと。
   特に、無慈悲に金品をむさぼること。また、そのさま。

 2 たび重なること。




これはもう、すべて!

何度も繰り返し襲う地震と、残酷に何もかも
奪ってゆく、津波の姿そのものではないか!



こじつけ過ぎだろうかと思い、プリンを食べてスヤスヤ眠って
冷静になってまた考えたが、やはりそうとしか思えなかった!


阿漕浦のある三重県津市には「親孝行な平治の物語」
語り伝えられている。

 阿漕平治 (三重県HP 三重のおはなしより) ※超短縮バージョン

貧しいが親孝行者の平治は、病気の母のために神聖な禁漁区で
魚を捕り、役人に簀巻(スマキ)にされ海に投げ込まれて処刑される。

やがて、平治の恨みが網を打つ音になり、沖から響いて来る。
人のむせび泣く声も聞こえ、聞いたものは病気になる始末。

平治の霊が、寺の坊さんの夢に現れ、母より先に死んだ自分は
親不孝過ぎてあの世へも行けず苦しいと、自身の供養を願う。

坊さんが一文字づつお経を書いた石を海に納めて読経をすると
すべてが元に返り、平治も浮かばれたのだろう、と言う話。



私はこれが、大津波に巻かれて理不尽に命を落とした
罪無き人達への、同情と鎮魂の物語に思えてならない。



これは、最初はもっとシンプルな名もない漁師の話だったが、
江戸時代頃に、親孝行な平治の話にリメイクされたらしい。

江戸時代にはまだ津波の惨状が語り継がれていて、この話が
何を意味するのかは、そこそこ知られていたと思う。

しかしそれは忌むべき事であるため、直接の描写は避けて
内容を置き換えられ、経営的な面からも、だんだん人情に
訴える感動のストーリーになっていった。

そんな経緯が想像される。


そして、「あこぎ」と言う言葉。

津波のあと、アコギという名に変えられた荒れ地を通る者が、
かつてここで暮らした人々を想い、むごい事だひどい事だ
手を合せたのが、アコギという言葉の始まりではなかったか。

遥か昔、厳しい自然や権力に翻弄されながらも懸命に生きた
人々がここにいた。それは紛れもない事実だ。


さらに驚く事に、今でも阿漕町では、伝説の人物である平治を
供養する「阿漕平治の盆供養」という祭りが行われている。

やっぱり日本はいい国だなあと思う。


まだある。


アコウは別の木に巻きついて成長し、その木を枯らしてしまう
生態から、「絞め殺しの木」という物騒な別名がある。
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まさに、アコギなやつ!

平治がムシロに巻かれて殺されたというのは、単なる偶然か?

アコギな木と同じ名前が被災地につけられたのも、偶然か?


「平治」は、平らかに治まる(平穏に静まり落ち着く)と書く。

これもまた、地震や津波が再び起きぬよう願った昔の人からの、
時間を越えたメッセージのような気がするのだ。



アコウの生育の北限は、阿漕浦から少し南の紀伊半島。
奈良時代、平安時代は、日本は今より温暖だったという説がある。


あるいは、阿漕浦にもアコウの木は自生していたのかもしれない。

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テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

口之津の「おこんご」は、火山噴火に由来するか

南島原市口之津町は、福岡、佐賀、長崎、熊本の四県に
囲まれた、島原湾とその奥に広がる有明海の入口に位置し、
古くから貿易港として栄えてきた。
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明治期には、月がァ~出った出ぇた~の、三井三池炭鉱の
石炭輸出港として大いに賑わったが、大牟田に新しい港が
出来てからは、急速に衰退。閑古バードが鳴きまくった。
 
バタバタ(( \(◎e◎)/ ))バタ < ヒマ~! ヒマ~!


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その後、炭鉱会社の雇用対策で高給取りの外国航路船
町となり、一時は活気を取り戻す。しかし次第にその勢いも
消え、現在は農業と漁業が中心の静かな町となっている。


ここ口之津の早崎半島 南大泊(みなみおおどまり)地区に、
苧扱川(おこぎがわ)と書いて「おこんご」と読む、
スーパー変なかホイな謎地名がある。
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九州では川をコ、ゴと読む例は多い。オコギはオコンに
音便し、「オコンゴ」となる。これは読み方の問題。

何十年か前までは、おこぎがわとも言っていたらしい。


さて、苧扱(おこぎ)とは何だろうか。

口之津の歴史と風土 第一号に掲載の、「オコンゴ考」
西光知巳氏著 によると、

苧(お)は苧麻(からむし・ちょま)という種類の麻。
「扱(こ)く」は、しごく、しごき取るという意味。


昔は、苧麻の繊維から衣類を手作りするのが普通で、
この川で苧麻をしごいてほぐしたため「おこぎ川」と
呼ばれたのではないかと考察されている。


なるほどそうだったのか~!と納得していたのだが、
自分でも地名について調べるようになってからは、
その由来の多くが、「地形や土地の状況によるもの」
である事を知る。

今回、「おこんご」も、地形由来で考えてみた。


まずは場所を確認。

ここには、苧扱川(おこんご)の地名が二ヶ所と、
苧扱平(おこぎびら)の地名が一ヶ所ある。
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(※国土地理院 電子国土web地図より 一部小字地名を追記)

なぜ同じ地名が、ちょっとだけ離れた所にふたつあるのか。
これがきょう最初のミステリーだ。

① ひとつ目の「おこんご」は、おこんごバス停背後の
丘の上方。
国土地理院の地図では、ごく細い川が流れているようだ。

②ふたつめの「おこんご」
は、新しいバス道路沿いに
流れる川のほとり。 この川も「苧扱川」と言うらしい。

Googleストリップ小屋ビューで見ると、現在はコンクリートで
固められた水路であり、それほど水量が増える川には見えない。
緩やかな丘をほんの数百メートル下って海に注ぐだけ。


苧扱川(オコギガワ)の地名を解読してみよう。

頭につく「オ」は、よく判らないので猿まわしにする。

「コギ」をGoo辞書で調べてみる。動詞なら「こぐ」だ。

「扱ぐ:草木を根のついたままそっくり引き抜く。根こぎにする」
とあった。

うれ?何か違う。

「扱く:細長い本体に付いている物を手や物の間に挟んで引っぱり、
 こすり落とす。しごく。「稲を―・く」


そうか、「扱ぐ」と「扱く」では、微妙に意味が違うとですたい!


「草木を根こそぎ引き抜く川」と言えば、それは大雨で
増水した川の事だろう。

しかし、どんな川でも普通、増水すれば草でも岩でも流される。
地名になるような特別な現象でもあるまい。
う~む、何だろう。


③「苧扱平」は、バス停後ろのおこんごから少し東側の丘の上。

長崎県の小字地名総覧には「おこんごびら」と書いてあるが、
地元の人は「おこぎびら」と呼ぶそうだ。

航空写真では、特に変わった点は見えない。

ヒラは傾斜地のこと。「コギヒラ」だと、

「草木を根ごと引き抜く傾斜地」となる。


んん?

お、おかめひょっとこして、それって地すべりの事では?


だとしたら、「おこぎ川」は、川が増水してあふれ、畑の
じゃが芋を根ごと引き抜くという、氾濫地名か?


バス停の所のおこんごは斜面を流れるので、水量が
少なくてもスピードがあるだろう。

道路沿いのおこんごは、川がカーブしたところの外側。
決壊した川の水があふれ出す方向だ。


しかし、この辺りはのどか~な風景のせいか、地形も
緩やかな印象があり、水害地とは思えずにいた。

ところがある事を思い出して、考えが181.37度変わった!


たしか、口之津の早崎半島は、火山の溶岩が固まった所に
土砂が積もった土地のはず。表層が滑りやすいのかも!


それに、火山灰の土壌は水はけがよく、ザンザカ流れる!


ウェルカム トゥ ようこそ ジオパーク!!

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↑ジーナちゃん      (島原半島ジオパークHPより)      ↑ジーオくん                    
 


おお!何となく つながってきたのです。

そして「口之津 地すべり」で検索してみて、さらに驚いた!

口之津を含む南島原は、やはり地すべりが起きやすい地層で、

口之津地すべりという専門用語まであるそうだ。


「エーッ!すっごーい!」

これは面白くなってきたぞ。
ウピョピョピョピョピョ!(←何の生きものか不明)


今から約430万年前、口之津付近の海底火山が噴火して、
水蒸気爆発を繰り返した。火山灰と土砂が大量に降り積もり
徐々に冷え固まって島原半島が形成されていった。

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色々あって、おこんごで地すべりと川の氾濫が起きた。
(はしょりすぎ!)

「おこんご」は、遥か古代の噴火に由来する地名だったかも!


チャララ ラ~ララ チャ~ラララ~ (←テーマソング)


そして我々調査隊は、実際の地形と状況を確認するため、
口之津へフィールドワークに出かけた。


昼飯は小浜の入潮で、小浜ちゃんぽん玉子付き。
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鶏のあっさり出汁ベースに、スパイスが効いている。
量も充分でうまかった。ホースウィン!

嫁、いや助手は、ちゃんぽんとおにぎり&ぎょうざセットを
頼んだが、こっちも充分な量だった。
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我々の体型を見て「こいつら食う!」と判断し、
増量してくれたのだろうか?

(↑うれしい被害妄想)


原一平になって口之津に到着し、調査開始。

まずは、バス停近くのおこんごから。
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民家の横から登る道があった。
航空写真では判らなかったが、かなりの激坂!
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これは予想外だった。息がきれる。

普通に野生のキジを見るのは、壱岐の島以来。
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美味いのだろうか‥。ゴキュ!


水路は川と言うより側溝だったが、大きな足場石が
流されかけたり、畑の一部が抜け落ちたりしていた。
 
増水時は、水の勢いがハンパではない事が判る。
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まわりの畑は表面が傾斜している。

あまり手間をかけずに斜面を段々畑にするとそうなるが、
水はけをよくするためにわざとしているのかも知れない。

水源は、丘の上の大きな溜池の方向らしい。
ふだんはほとんど水は無く、溜池の水位が上がったら
ここにあふれるのだろう。

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水面からあふれた水ではなく、池の側面から出るのなら、
水圧がかかって、勢いもプシャーとすごいはず。


次に上流のおこんご。新しい道路が通り、以前とは様子が
違うのだろうが、川のルートはほとんど変わっていない。
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川、というよりここも水路程度の幅。コンクリートで
固められて自然の川だった頃は想像出来ない。
だいたい、1キロも無い短い水路だ。

周辺では、畑の赤土が道路に流出している。
丘の上から、傾斜した畑の表面を雨の大部分が流れて
きたら、それもほとんど川に流れ込むだろう。

う~ん、水は思っていたより多いのかも。

右奥の崖は妙に切り立っている。氾濫した川の水で
徐々に削られたのでは無かろうか。


それから、早崎海岸の方へ寄り道して地層を見る。

早崎漁港、東側の海岸
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漁港から西に進んだ海岸
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すべて大昔に流れた溶岩。

早崎玄武岩と言うそうだ。
 
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瀬詰崎(せづめざき)灯台
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いつ来ても釣り客がいる。ここの魚は、早崎瀬戸の潮流が
速くて運動量が多いため、ベリーウマウマらしい。

灯台への通路の踏板は、鉄のグレーチング。
朽ち果てて落ちたら、新品に替えてもらえるようだ。
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オソロシアン踏板と名付けた。

瀬詰(せづめ)は、瀬(岩礁)が詰まって見えるからだろうか。
それとも、獣の爪のようだからだろうか。
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早崎半島は、このような硬い溶岩の上に乗っている。


それから、丘の上に登る。

じゃがいも畑の間に、撤去できなかったと思われる
溶岩が露出している。
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半島全体が火山の堆積物である事がよく判る。


頂上には大きな溜池。大量の水をたたえている。
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野田堤(つつみ)と言う、江戸時代に作られた灌漑用水池だ。

丘の規模と比べてずいぶん大きな池だと思っていたが、
調べたら、すべて人が作ったものだった。

人工なので、水量に見合った大きな川は存在しない。
大雨で池の水があふれた場合、地形から見てその多くは
南側の、おこんご方向の斜面に流れると思われる。

そして、畑と谷を駆け下った水は、草木を引き抜きながら
苧扱川へ流れ込み、護岸を削りながら海へと向かう!

おこんごの増水時の水の流れ予想図


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(※国土地理院 電子国土web地図に追記) 

やはり、ほとんどが苧扱川へ集中するでごんす!!


昔、皆で協力して作った溜池だが、便利になった反面、
思わぬ水の被害を生む一因にもなったのではないか。

もちろん、現代の技術で氾濫の対策は行われているはず
だが、許容量を超えてあふれる事は今でもあるだろう。


それから、気になっていた都波木(つばき)神社に寄る。

13年落ちのクルマの両側を雑草に擦りながら進むと、
石の祠があった。新車だったらもう泣いている。
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崖のキワに建っており、下方には集落がある。

伊勢の都波岐神社を勧請したのだろうか。
祭神は猿田彦命。(さるたひこのみこと)
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狛犬のように石の猿がいる。猿田彦は漢字で猿と書くが、
実際は猿とは関係ない。しかし民俗学的には面白い。


ツバキのツバは「ツバける」で崖崩れを意味する。

昔は、崖崩れや地すべりの危険がある所に、ツバキ神社が
祀られたのではないかと思う。全くの想像だが。

サルは地名用語ではザレ・ズリの変化で、石がゴロゴロした
崩れやすい崖を指す。これも偶然にしては揃い過ぎている。


最後に、丘の上の苧扱平(おこぎびら)へ向かう。

半島を回り込んで登り、やっとそれらしい道に出た。
しかし、何か様子がおかしい。

道が狭いのはどこもだが、ここは妙に荒れた土地だ。
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「んむむう~、これは何かヤバそう!」

生物は危険を察知すると、助かるために体が反応する。
高い所で足がガクガクしてチビるのも、それ以上前に
進まないようにして、落下を回避するためらしい。


私は、退屈と満腹で眠くなった助手をクルマに残し、
歩いて曲がり角の先の様子を見に行った。
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さらに荒涼とした光景がそこにあった。

上の畑は長いこと使われていないようだ。
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表面は赤土が洗い流され黒い砂礫が残っているのか?

見晴らしはいいが、足元が気になって落ち着かない。
この下に行ってみる気にはならない。
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大量に重ねられた平石に、モルタルを流しただけの、
見るからに不安を感じる道。
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軽トラの転回用コンクリートは割れていて、下に石を
詰めて谷へ滑り落ちないようにしてある。
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奥の方では、草木がなぎ倒されている。
こ、これはっ!まさかの、
1705DSCF5485.jpg 

「おこぎ」!

ううーむ!やはりここは、オコギビラ!

オコギは水害地名に違いない!


我々は、おこんごの調査を終え、小浜町のカームで
雲仙ミルクソフトとあまおうソフトを食べて帰った。

人が見ているので、うまうまダンスは踊れなかった。
おみやげはいつもの、割れた湯せんぺいの端っこ。


さらに確認のため、「オコンゴ考」に登場する久留米市
池町川付近の苧扱川町(おこんごがわまち)
を調べた。
やはり低地で氾濫する事が多かったらしい。

苧扱川(うこくがわ)のある香川県観音寺市周辺は、
台風による土砂・浸水被害が多い所だった。


ひとつ、猿まわしにしていた問題が残っている。
オコギのは何の事か?

それは、

たぶん‥

意味は、無い!

コギの地名用語を名詞化するため、当時よく知られた
苧扱ぎ(おこぎ)という言葉を使ったに過ぎないと思う。

それに、オコギ以外にもコギ地名はあり、土地の状況が
よく似ているから。


長崎県の五島列島に点在する、阿古木・アコ木などの
アコギも、同じコギ地名だろうと思う。
アコ木というのはアコウの木の別名。


・長崎市茂木の海岸の斜面には、上コギ水・下コギ水という
思いっきりストレートな名の小字地名が並んでいる。
1707DSCF2100.jpg

料亭こがねの近く。最近出来た新しいトンネル入口の
上あたりが「下コギ水」。上コギ水はその上方。

工事で地形がすっかり変わっている。
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しかし、この不自然に沢山開けられた壁面の排水管が、
地下水の多い土地である事を教えている。

トンネル上の竹林の脇の水路には、なぎ倒された細竹が
散乱していた。
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裏側の旧道の崖には、太いコンクリートの樋管。
やはり水の量がハンパでなかった事が判る。
1707DSCF2101C.jpg 



・道路沿いの桜が有名な、多良見町の古川(ふるこ)の
近くには、漕網代(こぎあじろ)という小字がある。

国道とJR線路が通る以前は、急斜面の崖が海まで
続いていたと思われる。
1707DSCF2010.jpg

斜面から水が集中して流れ落ち、海岸にあった漁場を
押し流していたのではないだろうか。

ここにも大きなコンクリートの樋管!判りやす~い。
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流れる水で湿気が多いためか、コケがびっしり。


ネットの地図でも探してみた。
興味がある方は、地図で住所検索してご覧くだはれ。


・和歌山県西牟婁郡白浜町伊古木(いこぎ)
(塩野の表記も)

狭い山間から流れ下る川は、いきなり平地に落ちて
大きく不自然に蛇行する。短い割に川幅が妙に広い。
上流のダムがなかったら水はすぐ溢れそうだ。


・愛知県丹羽郡大口町河北(こぎた)

平野部の田園地帯。大きくS字を描く二本の川の間。
やはり氾濫しやすそうに見える。
明治元年の大雨では甚大な被害があったとの事。


・鹿児島県伊佐市大口小木原(こぎはら)

山間の広い盆地にある田園地帯。盆地全体に曲がりくねった
川が何本も流れているが、特にここは大きな十曽ダムの下。

※ちなみに、伊佐市の市歌は「伊佐はとっても いーさ」


これらは、曲がりくねった川と、背後に山がある所だった。


コギ地名は、探せばまだ出てくる。
実は他にも見つけているのだが、もう書かない。

眠いし、飽きたし、長くなるからだ。


自分的には、コギは水害地名だとほぼ確信しているが、
実際はまるで違うかもしれない。

その時はこっそり記事を削除して、知らん顔をしようと思う!


(またか)

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

田上(たがみ)近辺の高地を巡る

長崎市田上(たがみ)町は、山の上のジャンクション。



昔から交通の要衝ではあったが、近年には蛍茶屋から
小ヶ倉方面へ抜ける道路もつながり、混雑する市街地を
避けて野母崎や女神大橋へも早く行けるようになった。
山の上にある長崎自動車道インターにも近い。

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そんなわけで、ミーもけっこうクルマで通りはするのだが、
用事はないのでほとんど素通り。


さて、実は今回は、小島(こしま)から登ってきた前回の続き。
田上周辺の高地を散歩しつつ、地名を見てさるこう。
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子どもの頃、田上行きのバスがくると、指さして、
「田植え~!」ギャハハと笑うアホガキが必ずいた。
まあ、懐かしい思い出ではある。

しかしオトナになって、本当に田上(たうえ)という
名字があると知り、しかも長崎市長だと聞いて驚き、
数十年ぶりに「田植え~!」と言って笑った。

反省している。


「田の上」と書いてタガミだが、どこの田の上だろう。
途中は崖地ばかりで、畑ならあるが棚田はどこにも
見当たらない。

もしかして、タガミには他の意味があるのか?

そんな事は、今まで考えてもみなかった。
でも、考えた瞬間に判った。 

タガミはたぶん、地形通り「高まった所」を言う
「高み」の事だろうと思う。


普通、こういう所は、田尾などの、峠を意味する
地名が多いが、この近辺には見当たらない。

「小島(こしま)」と同様、ひねった地名シリーズか?


それにしても山登りで体が熱い。
冷たい炭酸飲料を飲みたくて酒屋の自販機に寄った。

ゴキュ!ビールがうまそう!!ああ~誘惑がぁ~!

いかん!そんな弱い心では悪魔につけ込まれるぞ!

はい、ノンアル。
1706DSCF2487.jpg
プシュぅぅ~!


田上には、合戦場(かっせんば)という古い地名が
あるのだが、山の上のさらに上の公園の所なので、
行きかけて途中で引き返した。 疲れるから。

大村軍と深堀軍が戦ったところと言われているが、
君はもうちょっと考えてから発言した方がいい。

両軍、鎧兜を着けて、山の上まで登って合戦?
たどり着く前にヘトヘトになってしまうだろう。
老兵だと途中で行先があの世に変わる。

合戦場という小字地名は、長崎県内の山の中
時々見かける。

とんでもない田舎にもあるので、たぶん地形地名
だろうと思って調べたら、どうも崖地の事らしい。

カッセンバを縮めると「カセバ」になる。

地名辞書には、カセは、傾ぐのカシと同義か、
と自信なさげに書いてある。
確かに「枷(かせ)」という字はカシとも読む。

何にせよ、カセは実際に崖地に多い地名らしい。

カセバという言葉があるのだろうかと調べたら、
「枷場」と書く人名がある事が判った。
「はさば」とも読むようだ。

名字があるのなら、その元の地名もあっただろう。

じゃあ、枷場(かせば)とは何か。

枷は、手かせ足かせの枷で、障害になるという
意味。 「スッゲー歩きにくい崖地」とか、
そんな意味だったかもしれない。

昔の刑具の「首かせ」というのは、上下分割した
木の板の合せ目に、首だけ通る切り欠きを
加工したもの。

垂直な大きい板の真中から、首が出た状態になる。
このかせが切り立った崖のようだからか。

グーグルストリートピューで確認したところでは、
確かに公園の下はえらい急坂で、東側は崖だ。
うーん、もう少し考えてみようか。



田上の近辺は、長崎の「高山ちほー」であり、
高くてやや平坦なところが細長く続いている。

平地が少ない長崎は、山の上にも街ができる。
ショッピングセンターや飲食店もセットだ。
病院も多いし、アイーン薬局もある。


円錐形の愛宕(あたご)山がある愛宕町
1706DSCF2458.jpg

アタゴは愛宕神社があるから地名も愛宕だと
思われがちだが、アタゴも元々は地形地名と
言われている。

アタ・アダは、あだける(落ちる)という古い
言葉から、崖や急斜面の事を言うそうだ。

ゴはよく判らないが、高い所を指す「タコ」のつく
地名はよくある。 アタ+タコの複合語である
可能性はないだろうか。


ホテル矢太樓(ヤタロウ)のある風頭(かざがしら)町
1706DSCF2454.jpg

ここは、笠頭(かさがしら)だったかもという説が、
一番濃厚チーズプリンだと思う。

カサは高い崖。その上の土地という事だろう。


北の方へ向かって進むと、白木(しろき)町
1706DSCF2493.jpg

白木のシロは、犬ではなく高所の平坦地。
キは場所のこと。

しかし、角川長崎地名大辞典では、白木町は
昭和になってつけられた町名だと書いてある。

長崎県の小字地名総覧にも白木は出てこない。

昔からの地名ではなかったのか?
意味は合っているのに、おっかしいな~と
思っていたら、長崎町尽しという本には、
古くからある地名だと書いてあった。

大手出版社の本でも、情報不足や間違いは
けっこうある。やはりいろいろ調べないと
何が正しいのか判らない事もあるようだ。


さて、白木町から田手原へ登るのだが、
思っていたより坂がきっつぅい!

これは失敗だ。クルマで通る時はぜんぜん
傾斜は気にしないので、考えていなかった。

まあ、距離は短いのでボチボチ登ろう。

つらいよう~ きついよう~ 飲みたいよう~
1706DSCF2495.jpg


田手原(たでわら)のタデはたぶん「タテ」で、
これも高所の平坦地の意味。立山なども同じ。

タ・デ・ワラ なのは、単にタテハラより
言いやすいのでそう変化したのだと思う。

原は、原野の事だろう。
地名がつけられた頃はまだ野っ原だったのかと
思ったが、現在もけっこう野っ原のようだ。
1706DSCF2500.jpg


そして、こっち方面の最後の目的地へ。

田手原からさらに峠をひとつ越えたところに、
重篭(じゅうろう)という農村集落がある。
1706DSCF2509C.jpg

クルマで通る時、いつもバス停名が気になっていた。
古い地名で音読みというのも珍しい。
ジュウロウとは何だろうと考えるが判らない。

しかし、いつもとは逆に、漢字が正と仮定すると、
「重なった農地」とも読める。

これは、棚田や段々畑の事ではないのか?
1706DSCF2512.jpg


※篭は籠の略字 詳細は省くが、田畑の意味がある。
 「開拓農地」の意味が強いかもしれない。

航空写真とストビューで見てみると、たしかに
段々畑はある。

だがしかし!早合点承知の助はいかん!
よーく調べよう。

籠は(こもり)とも読み、囲まれた場所という
意味もある。
実際、周りを囲まれた地形であるのも事実。

それに、段々畑など珍しいものではない。本当に
大昔に開拓した手作りのものとかなら別だが。


類似の地名を探したら、佐世保市の世知原町に、
・十郎惣(じゅうろうそう)
・十郎木場(じゅうろうこば)
の、ふたつの小字を見つけた。
(その後、佐世保にあと2ヶ所あった)

それぞれ、古そうな段々畑がある!

・十郎惣 
1706DSCF2285.jpg

1706DSCF2279.jpg
丘の下の方は整備された水田になっているが、
この辺りはいかにも古そうないびつな畑。

・十郎木場 (写真 右側)
1706DSCF2270C.jpg
今は使われてない、効率の悪そうな畑。

これらは「囲まれた場所」では無かった。

う~ん。合っているのか、いないのか‥。


それを確かめるために、私は坂を登ってきた。
1706DSCF2515.jpg


石垣の石は、西彼杵半島でよく見かける
うすい板状の石が多い。
1706DSCF2510.jpg

不揃いなので、人力で集めたり掘り出したり
したものだろうと思われる。

段々畑は、いかにも開拓らしく手作り感満載。

石垣の部分に大岩。動かせないのでここを基準に
段々畑の高さが決まったのか。
1706DSCF2521C.jpg

ここの開拓は大変な作業だったようだ。


重篭の集落から、谷を少し下った畑の遥か下に、
有料道路の料金所らしき所が見える。
1706DSCF2517.jpg

しばらくどこなのか見当がつかなかったが、
高速道路の長崎インターのようだ。
1706DSCF2514.jpg

山の上にあるのに、あんなに小さく見える!

GPSロガーは、標高270m前後を指していた。


ここを開拓した人達は、山の中で道具も充分には
揃わない中、苦労して畑を作ったように思われた。

そういえば、確か「苦労田」という小字地名が
どこかにあった。これに近いものか?

「重」には、重労働、重税など「容易では無い」
という意味もある。

「苦労して切り拓いた農地」と言う事が認められて
ついた地名の可能性はないだろうか。苦労を‥


ハッ!これはもしや、

苦労を通り越して、「じゅうろう」と言う事なのか?

(そんなわけ無かろう!


標高300mの峠をもう一度越えて町へ戻る。
1706DSCF2526.jpg

苔むしていい感じの切り通しを、涼し~い
風が、木の葉をさざめかせて吹きぬけていく。


白木町までスウィ~と下りて、矢の平へ。
1706DSCF2527.jpg


矢の平(やのひら)は、山の上からほとんど
真ーっすぐな谷が、麓の市街地まで続いている。
1706DSCF2559S.jpg


1706DSCF2530C.jpg

地名の「矢」は真っ直ぐな様子を言う事が多い。
ヒラは平地では無く、崖や傾斜地のこと。
地形と地名が完全に一致する。

古い道は緩やかに曲がっているが、近年できた
バス道路は、名物になるくらいの一直線の急坂。
1706DSCF2532C.jpg

間違っておむすびを落として転がってしまったら
どんどん加速していくに違いない。

最後は音速を超えて火の玉となり、麓で作業中の
バキュームカーのタンクに勢いよく激突して、
中身を全部ブチまけてしまうかも知れない!

昼めしは、転がらないカレーなどがいいだろう。


長崎の高地巡りはここまで。

実際に現地を見ないと傾斜具合や細かい点は判らない。
行けば何かしら発見がある。

自転車での山登りは大変だが、苦労して登った分、
景色もスンバラしく、弁当もウマシャス!
これは平地では味わえないもの。

そして、梅雨の晴れ間の山の上は、とにかく風が、
ヒョホホホホホ~と言うくらい気持ちよかった。
1706DSCF2505.jpg


矢の平の長い坂を下り、日見バイパスの峠を越え、
途中で本物のビールを買って、家に帰った。

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

山道なのに小島とは

旧長崎街道の脇街道のひとつに、茂木街道がある。

長崎市街にある正覚寺から、田上(たがみ)の峠を
越えて茂木町まで続く、ちょっと険しい道。
1706DSCF2439.jpg


その街道沿いに、小島(こしま)地区がある。

ここは範囲が広大で、東小島、中小島、西小島、
上小島の4つに分かれている。

低地から山の上まで長く続く斜面の丘に、現在は
多くの住宅や学校が立ち並ぶ。
1706DSCF2444.jpg


今回は、ここを田上まで登る。諫早から自走して
来たので、途中で力尽きて泣きながら帰る事に
なるかもしれないが、一応がんばる。
1706DSCF2435.jpg


正覚寺下電停そばにある川の中の建物。
どうすればこれで建築許可が下りるのだろう。
1706DSCF2431.jpg


何十年振りかに通る道。この辺りは自動車の年式
以外は昭和のままのような路地。
1706DSCF2441.jpg


古い住宅が売家になり、祀られていた神様も
どこかへ引っ越したようだ。
1706DSCF2447.jpg


21世紀になっても、まだ長屋は多い。
1706DSCF2450.jpg


この狭い道をクルマがビュンビュンカッ飛ばしてくる。
老人が端に寄って、道を譲っている。中国かよ。
1706DSCF2451.jpg

西部警察の片側だけタイヤが乗るジャンプ台で
ひっくり返って谷底へ落ちればいいのに。


仏の鎮座する境内の真正面にゴミ置き場があり、
中にゴミを投げ置くバチ当たり者がいるらしい。
1706DSCF2452.jpg


対策でフェンスを設置したようなのだが、かえって
仏様がゴミ箱に入っているように見えるのが哀しい。
1706DSCF2452D.jpg


商店の跡。 昭和の頃には、学校帰りの中学生達が
買い食いして笑いあう声が響いていたのだろう。
1706DSCF2456.jpg



地名に興味を持ち始めると、
なんで山道なのに「小島」なんだ?
という疑問が湧く。

長崎七不思議に入っていないのが不思議な程だ。


地名の由来を調べてみると、

昔は一番低地の所が海で、沖に小島があったとか、
実は川の中に小島があったとか、人の名前からとか、
いかにも思いつきの後付けっぽいものばかりで
納得のいく説明を見ない。


往時の地理や暮らし、交通などを踏まえ、もっと
科学的に考えてみる必要があるだろう。

私は、「小島」の地名由来について、闇の大魔神
ゴンダラピーナ様に生贄を捧げ、お告げを待った。

その結果、

こしまは元々「越間」だったんじゃなーい?
という結論に達した。

1706DSCF2459.jpg

小島は、コジマでなく、コシマなのがポイント。

越 (こし)という地名は、丘や峠を越えるところに
よくつけられている。

 船越、打越、大越、越路 など。


小島は、街道の山越えの道、「越し道」沿いにある。

昔の道路は普通、川の氾濫や落石などの恐れが少ない、
高燥な丘の上や山の尾根に作られた。

そして人は、水のある川沿いの谷間に暮らし、畑を作り
溜池を作り、徐々に高い方へ縄張りを広げていく。

戦後の航空写真を見ても、谷間から丘の上へ
だんだん住宅が増えていった事が判る。
1706kosima_S23C1.jpg
国土地理院 空中写真サービス 昭和23年撮影分より


つまり、越し道沿いの、集落があった谷の部分を、
コシマ(越間)と言ったのではないだろうか。
1706DSCF2457.jpg

そう考えれば、地形的にすんごーく納得がいく。


越し道は一本では無く、橘湾側の潮見町への道や、
小ヶ倉方面へ抜ける道も昔からあっただろう。
越道が複数なら「越間」の可能性も強まる。


越間の地名をネットで探したが見つからなかった。
これは残念。しかし、人の名字には残っている。

名字の多くは地名からつけられたもの。越間という
地名は存在していただろう。


しかし、今はまだ思いつきレベルの話。
気が向いたらもっとよく調べてみたい。


もしそうだったとして、越間が小島に変えられたのは、
ななな何でだろう。どどどどうしてだろう。
おおおおにぎりをくく、いや、話がそれた。

丘の方まで家が建ち、谷間と言えなくなったからだろうか。
1706DSCF2461.jpg


地名の字面(じづら)、つまり見た感じが気に入らない時、
イイ感じの漢字に変える事が昔からあったと聞く。

越間は「腰の間」みたいでエッチーとか誰かが言ったのか。


長崎は、唯一海外文化が入る先進的な土地だったせいか、
ちょっとひねって気取ったような地名を時々見かける。

そういう影響もあったのかもしれない。


もうちょっとで頂上。
蔦のカラマルチャペールな床屋さんがあった。
1706DSCF2465.jpg

廃墟だと思って写真を撮っていたら、店内に灯りが
ついていて人影が見えたため、ダッシュで逃げた。


やっとこさ頂上の田上に到着。国立長崎病院の横に出た。
1706DSCF2466.jpg

アイーン薬局もある。
1706DSCF2467.jpg


山の上の木陰で、気持ちのいい風に吹かれながら食べる
くらさきの鯨カツが、いつもよりおいしかった。
1706DSCF2469.jpg

サーバルちゃんにも教えてあげよう。


※地名散歩の説は、エロスケ氏個人の考察に拠ります。
 つまり、とんだ勘違いの可能性があります。

テーマ : 長崎
ジャンル : 地域情報

どこを「佐世保」と言ったか

長崎県北部の街 佐世保は、「させほ」と「させぼ」の
ふたつの呼び方があり、意見が別れているが、現在は
「させぼ」が正式名称になっているそうだ。

いろいろ調べる事があったので、佐世保バーガーを食べようと
家内をだま、いや誘って出かけた。これで金を出さずに済む!

佐世保もよく判らない地名で、由来もいろいろあるが、
地形から考えると、

「狭瀬甫(させほ)」ではないんかいのう~と思う。

これは、ナニを隠そう、九十九島の事。

1706DSCF2236.jpg
天気がぁ~、天気がぁ~

「瀬」とは、海の浅瀬の事を言うが、長崎では岩礁や
小島の事も瀬と呼ぶ。

陸地に挟まれた狭い海峡を狭門(せど)と言う。瀬戸だ。

「甫」は、広い・大きい・多いという意味。

「広い範囲に多くの小島が並ぶ、狭い海峡の地」となる。

う~ん、ちょっとグダグダか?


九十九島は、その島影が夕陽に映える姿もイジ美しく、
人気の観光スポットになっている。
1706DSCF2248C.jpg

(※訳注:イジ=とても [ジにアクセント])


だが、古い地名と言うものは普通、ワぁキレかぁ~!とか
言う理由でつけられるものでは無い。

ではなぜ、これが地名の由来だと寝言を言うのか。

それは、鹿子前辺りが古代の中心地だったと仮定しての
話だが、外洋から船で攻め込みにくい土地だからだ。

隠れる島影がいくらでもあるので、待ち伏せして
反撃されそうで怖い。要注意の場所のはず。
1706DSCF2239.jpg

海からの征服者の目線で見れば、九十九島も現実的な
ものになる。地名の由来にもならないだろうか。


それよりも、昼に食べたレモンステーキのランチ、長崎牛で
サッパリしてやわらかく、イジうまシャース!!
1706DSCF2225.jpg

いつもの店で佐世保バーガーを食べるつもりだったの
だが、つい贅沢をして同じ経営のレストランへ。

家内は焼肉ランチセットBを注文して、半分づつ分けた。
(ビンボくさ!)
1706DSCF2228.jpg


これから一週間、おかずは大根の漬物だ!!


テーマ : 日々の出来事
ジャンル : ブログ

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Author:Ramblingbird
長崎南部の自転車散歩やどうでもいい出来事を、小学生ギャグを交えて書き散らします。お下劣な表現を含みますのでご注意下さい。 

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