いなちゃり サブハンドル最新版
いなちゃり自転車散歩も、パロマが流行してからは滅多に行く事がなくなった。(パロマねぇ~)

最近は買い物ひとつにしても別の移動手段を使っており、以前に比べると出撃回数は大幅に減っている。だが、自転車に乗るのをやめてしまった訳じゃあない。

1月に長崎に雪が積もって、諫早でクルマ200台が放置されるという、激烈にみっともないニュースが全国に流れた日も、自転車で会社へ行った。(2年振りにね)
新雪で、凍りついてなければ自転車でもそうそう滑りはしない。無理してチェーン無しのクルマで行ってたら、200台のうちの1台に数えられていたかも知れない。
いなかの散歩に最適な自転車「いなちゃり」についても、細々と検討と実験を繰り返している。中でも、自分が以前からこだわっているのが、サブハンドル。
ハンドルに、補助的なサブハンドルを追加する事で、長い距離をどんだけ楽チンに走れるかを追求してきたのだが、最近やっと、そこそこ納得のいくものが出来た気がする。
以前、サブハンドルの記事を書いてから、もう二年の月日が流れてしまった。祖国には誰も私の事を知る人はいないだろう。
だが、かつてのモホホリア大陸の覇者、誇り高きポポニペ・パピヨンペ族の末裔が、この懐かしきセント・ジゴンスダス島に命の炎を燃やした証として、続きをここに記す事としよう。
(あぁ~、どうでもいい~)
前回は、エンドバー付エルゴグリップ仕様のハンドルにサブハンドルを追加すれば、最強の「楽々スイスイ自転車」が完成するのではないか?というところまでだった。
これは以前、アラヤのツーリング車フェデラルにつけていた、自作のサブハンドル。Uの字に切ったカマキリハンドルの根元にバーエンドバーを取り付けたもの。

エンドバーを横向きに握り、カーブの部分に手のひらを乗せることで、長距離走行時の手の痺れや痛みを緩和できる。
また、サブハンドルに持ち替えることで、走行中に上体が起きてリラックスした姿勢になり、首や腰の負担を軽減すると共に、周りがよく見えるようになる。
長らく物置に封印していたが、これをまた使うときが来たようだ。
まずは、先端の使わない部分を切り落としてコンパクトにした。重量も少し減るし、カゴの荷物のジャマにもならなくなる。

これで調整しながらしばらく走ってみた。やはり、ゆっくり流す際に上体が起きることで「走りながら休める」ため、なかなか快適だった。
しかし、走っていると物足りなくなってきた。もっと上体を起こしたい。
ドロップハンドルの前傾姿勢からサブハンドルに持ち替えると、大きく上体の角度が起きるが、フラットバーからだと、それほどでもない。
サブハンドルがもう少し高い位置ならいいのだが、ベースがカマキリハンドルだと、高低差は、支えるブラケットの取付ピッチ最大50mmと、上に起こした角度の分だけ。

それと、今回なぜか無意識に、サブハンドル両端のカドの部分を、クルマのハンドルを持つように10時10分の位置で握ろうとしている。カドなので握りやすくはないのだが。
バーの先端を切ったので、そういう持ち方が出来るようになり、その方が自然に持てると脳味噌が判断したのだろう。確かにスピードを出しても安心感がある。
そうか、そうだったのか、オレ。気づかずにごめん、オレ。(お前は誰なんだ)
これらの結果を踏まえ、バージョンアップを進めた。
そしてこれが、最新のサブハンドルじゃあぁあ!!

今回は、ハンドル自体に高低差があるライザーバーを使った。20mm以上高くなる。

これにエンドバーを、上から見て10時10分に近い角度になるよう取り付ける。ライザーバーを普通の向きにすると、エンドバーがまっすぐになってしまうので、前後を逆にして使う。握る部分も体に近くなるため、さらに上体が起きる。

そして、最も自然な持ち方になるよう、試走しながらエンドバーの位置と上下の傾き角度を調整し、ライザーバーを切り詰めた。
エンドバーは少し上向きにすることで安定感が増す。また、手前に引きつけやすい角度にする事で、ペダリングに補助パワーを加えられる。

バーテープは全体に巻き、ライザーバーの部分にも手のひらを置けるようにした。手の痺れと痛み対策だ。
緊急の際、瞬時に持ち替えてブレーキをかけられる事も考慮した。
コンパクトになった分、さらに重量も減った。
それほどカッチョ悪くもないだろう。
走ってみると、快適な上に安定していて、上り坂でもグングン踏み込める。ブレーキレバーをつければ、これだけでも良さそうなくらいだ。
ただ、力が掛けられるという事は、ブラケットにも負荷が掛かるはずなので、強度に注意する必要がある。変な音や感触があったら、即、点検だ。

とにもかくにも、走らんと意味がないので、次の週末は出かけようと毎週のように思うのだが、あれやこれやしている内に時間がなくなり、遠出どころか、調べものも買いものも、原チャリで行く事になってしまっている。