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高校生の時に受けたいぢめ

昭和ながさき追想記
09 /19 2014
私が高校生の時、うちの家族は長崎市から西諫早の住宅地へ引っ越した。

当時、ニュータウンは文字通り出来たばかりで西諫早の駅はまだ無く
バスの便も極端に少なかったため、国道沿いの農林試験場前のバス停
までトボトボ歩き、県営バスでJR喜々津駅まで行って、汽車に乗った。
(当時はまだ国鉄JNRだった)

ある日、学校で同級生たちと話をしていて、住んでいるところの話題に
なったので定期券を見せた。

停留所名を見て、「どげんクソ田舎やあ~~!!」 
皆に大笑いされた。

しまったァー!これは迂闊だった! 

DSCF5677AA.jpg

「農林試験場」なら、ああ、そういう施設なんだなと納得するだろうが、
「農林」だと、言い訳出来ない程のキング・オブ・田舎としか思うまい。


私は、笑った者の名前を黒い手帳に書き込み、ページを破って自分の尻に
はさんで、闇の呪文☆大悲臭陀羅尼を唱えた。

これでやつらは一生、何か判らない臭さに悩まされ続ける事だらう‥。


またある日、農林に帰って来てバスを降りる時、運転士さんが不思議な
宇宙生物
を見るような顔をしていたので、何だぁ?と定期券を見たら、
行き先の農林の所に、、八つ墓村と書いたふせん紙が貼られていた。

うンにゃあぁ!やられたぁ~! 

学校で定期券にイタズラされていたようだ。

まったく非道い事をしやがる!

たぶん、私がやつの定期券を、天竺イスカンダル行きにした事への
仕返しだったのだろう‥。


現在の農林試験場は、組織が変わって長崎県農林技術開発センターとなり
そのうち別の場所へ移転することが決まっている。

バス停が違う名前になってしまうのは寂しい限りだが、これも我々の時代
静かに過ぎ去ってゆく事を教えているような、そんな気がするのだ‥。

オーッ!なんか随筆っぽいかも!


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ホラ吹き兄弟の話

昭和ながさき追想記
09 /05 2014
子供の頃は、長崎の山の中腹の町に住んでいた。

その家は、祖父とその仲間たちがどこからか材木を集めて作った
小さい家で、土地は買えなかったため、借地に建てたものだった。

昔はそういうケースも多かったらしい。


地主一族は近所に住んでいた。不労所得があるため、中には働きも
せず酒を呑んでブラブラしている者もいたようだ。

何という恥ずべき姿。労働こそが人間の掌中の珠というもの!

私は、次に生まれ変わったら、どうか大地主になりますようにと
お星さまにお願いした。


うちの地主は働いてはいるのだが、いい加減なオッサンで、すぐに
バレるようなウソばっかりつく上に酒グセも悪く、子どもごころに、
どうしようもないクソだと思っていた。

オッサンには息子が二人いたが、やはりホラ吹きの尻の毛兄弟だった。


金持ちという事もあるのだろうが、自分や身内の自慢話をするのが
大好きで、またかと思いながら相手をしてやっていた。

「いとこの兄ちゃんは、バイクの前輪を上げて20m走れる!」

すごかね~とほめると、調子に乗ってドンドン話が大きくなる。

いつの間にか距離が50mに伸びている。

誰かが、そりゃ無理やろう~と疑うと、顔を真赤にして反論する。

そして、ワザも一気に異次元ゾーンに突入!

「前輪でなく、後輪を上げて100m走れる!」

「バイクの上に立って100m走れる!」

この時、私は人生で初めて失笑したのではなかったかと思う。


弟の方は、甘やかされて育ったためワガママが酷く、私と些細な
事でケンカをした際、顔を真赤にして涙と鼻水をだらだら垂らし、
「この前おごったジュースの20円返せェ~!」 うわあぁ~~、
と手のひらを突き出して泣きわめきながら、家まで着いてくる。




余分な金など無いので困っていたら、姉が20円払ってくれた。

近所の人がどうしたのかと聞くので、姉はそこらじゅうに響く
大声で
いきさつを説明した。 みんな呆れて笑っていた。

話はすぐに町じゅうに広がった。ねえちゃんグッジョブ!


引っ越してから行き来する事も無く、兄弟の事も忘れていたが、
家内の友人が、偶然にもその弟の事を知っていた。

子どももいるらしいが、ヒゲづらで、いつもブラブラしていて
とても仕事をしているようには思えなかったという話だ。


彼もまた、親の遺産でのんびり暮らしているのだろうか。

恵まれているような、哀れなような‥。


でも、 「夕陽がきれいなのでちょっと散歩に行ってくる」 

せめて仕事中にもそう言える身分になれたらいいだろうなぁ‥。


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大村湾沿い110kmを走った小学生ふたり

昭和ながさき追想記
02 /23 2014
小学生の頃、友達のMとはいつもバカを競っていた。

アホな言葉や遊びやアクションを流行らせたり、
周りの人に情け容赦ない変なあだ名をつけたり。

授業中ふざけ過ぎて、先生に往復ビンタされた挙句、
教壇の両脇に置いた机で授業を受けさせられたりした。

現在の私からは想像も出来ない話だと思われるだろう。

(はいはい)

Mとは家がそこそこ近いという事もあり、よく遊んだ。
自転車でもあちこち出かけた。

MY自転車は、24インチのセミドロップハンドル。
色は黒以外に選択肢が無かった。

買った時は、フラッシャーと機械式スピードメーター、
変速レバーはサドルの前方についているクソ重たい自転車
だったが、走り込むにつけ、だんだん飾り部品を外して
軽量化を図り、ツーリング仕様にしていった。

これは1975年、小学5年生の時の話。たぶん‥


ある日、Mが長崎県地図を持ってきて、自転車で
大村湾を一周しようと言う。

そんな面白そうな話、断る理由が無かろう!

無理かもしれないとは1寸たりとも思わない。
われわれに不可能という文字は読めなかった。


当日は、長崎市の諏訪神社を8時半ごろ出発。
もちろん何時間かかるかなど計算している訳がない。
九九は6の段までしか言えなかった。

大村湾一周は約130キロある。どれほどの上り坂や峠が
あるのかも、よく分かっていない。
地図の等高線は、キレイだなーと思っていた。

基本的に、ムリなら戻ればよかたーいと考える。
まったくの遠足気分でペダルを漕ぎだした。
当時から、ざみぎの金名は、「どげんかなるさ」だった。

新大工町から蛍茶屋を経て、日見峠へ登る。
もちろん日見バイパスはまだ無い。標高157mの
日見トンネルコース。

明治時代以前は、さらに上の旧道が主要交通路で、
西の箱根と呼ばれていたそうだ。
高くは無いが傾斜がきつい。今歩いても結構大変。

そんな日見峠を、5段ギャアでヘーコラ越える。

東長崎くらいまでは自転車で行った事があったが、
その先は見知らぬ土地であり、珍しいものが沢山
あるので、寄り道してなかなか先に進まない。
(これは現在でも同じ)

今はもう無くなった市布のヤクルト工場。
長崎の小学生は、社会科見学で大体行ったところ。
前をうろうろしたがヤクルトは恵んでもらえなかった。

久山町の地下道へ下りる坂では、下りた勢いで反対側の
坂を登るのが面白くて「ィヤッホゥー!」と叫びながら
何度も遊び、貴重な時間と体力を激しく消耗した。
P9230001A.jpg
この坂は、今も存在している。

横島付近の線路脇では列車と併走し、浮かれて意味もなく
手を振るが、乗客は見ていなかった。

小船越あたりまで進んだと思うが、三浦の海岸道のほうが
景色がいいと聞いていたためか、少し戻ってそちらに向かう。

そのまま鈴田越えする方が楽なのに、わざわざ山道を行く。
この先の険しさも知らず、はしゃいでいた。

三浦の日泊で、早くも正午になったと記憶している。
超超超スローペース!残り100km以上あるのに‥

大村の町に到着。

さすが小学生。まだまだ元気だ。若いからなあ。しかし
少し疲れて来たのだろう。桜馬場あたりで並んで走って
よろけてもつれ、ふたり一緒にコケそうになる。

もう午後1時前後だったはず。おりこうさんな子どもなら
ここで戻るべきと判断しただろう。

だが残念な事に、我々は当時の漫画、自転車で日本一周
する「サイクル野郎」に多大な影響を受けていた。

なぜか、北端の西海橋で仲間が待っていて、感動の再会を
する設定になっていた。エア仲間で実際は存在しないのだが、
感動したいので戻るわけにはいかなかった。

要するにバカだった。

松原で海を眺め、さらに進む。海沿いのコースは気持ちがいい。

川棚を過ぎるとだんだん口数が減ってくる。
休憩も多くなる。

もう場所は判らないが、遠くに見える"ホテル太陽"の看板を
目標に進む。
「あすこに着いたら休憩」そう決めて、よたよた進む。

登っては下り、下っては登り、行けども行けどもホテル太陽の
看板に着かない。
やっと着いたら、距離感も狂う程の巨大な看板だった。

小さな長崎県地図と僅かな記憶を頼りに前に進む。

田んぼばかりの見知らぬ町。一人ではとても無理だったろう。
疲れてもふたりならまだ笑える。笑えば元気も出る。

針尾の峠を見上げて顔を見合わせたが、もう半分以上走っている。
このまま進む他なかった。

西海橋を渡る頃には陽も傾く。
エア仲間とも感動の再会を果たした(芝居をした)が、余裕が無いので
15秒で切り上げる。
「俺は一度だけお前をうたがった!俺を殴れー!」

今回の旅の行き先は、親にはシークレットで決行した。
大村湾を一周するなどと言えば、危なかけんダメー!と
止められるのは明らかだった。

まだバイオパークもオランダ村もない、淋しーい大村湾の西岸を
長崎市を目指して黙々と走る。

辺りは薄暗くなり、心細くなってくる。腹も減ってくる。

休憩で自転車を降りて歩くと、足がまだペダルを漕ぐような
回転運動をする。かなり漕ぎ続けたからだろう。

ハンドルを持つ格好をすれば、エアぢてんしゃだ。
周りの人に可哀想な子だと思われる。


だんだん暗くなり始める。昔の自転車のライトはタイヤに
発電機のローラーをこすりつけるタイプのうす暗~い豆電球。
知らない道を、ぼや~んと頼りない灯りで走るのは危険だ。

もう何回目の休憩か判らない。どちらともなく言い出す。
「ヒッチハイクすうか?」「そがんすうでー(そうしよう)」

もうだいぶ疲れていた。
長距離を走るための知識もテクニックも無いふたり。
とにかく前に前に進むだけだった。

琴海あたりまで来ていたようだが、場所はよく判らない。

とにかく自転車を2台積めるトラックをつかまえる!

まず、同情を引くために猿芝居を打つことにした。

自転車の前輪をはずし、車軸が傷んでガタつくのを調整中
という中途半端なシナリオだ。

Mが自転車をよく見える角度で逆さにしてセッティング。
自分が前に立ち、手をあげてトラックを停める。
シカトされたら、地面に這いつくばり片腕を伸ばして宙を
つかみ、泣きマネする予定。

しかしトラックは通っても、なかなか停まってはくれない。

両手をあげて必死な顔で駆け寄るので、反射的に逃げるの
だろうか。

その内、一台の軽トラが、だいぶ通りすぎてから止まった。

乞食のように駆け寄り、ウソっぱちの事情を説明すると、
親切なおじさんは、「仕事の荷物ば積んどるけん、家に
降ろしてから送ってやる。ついて来んね」

慌てて自転車の前輪を取り付け、軽トラの後につく。

おじさんは、いきなり普通に加速した。

「わ~~◎%▽*∈ン#~!!」と叫びながら
必死で追うふたり。

本日の最高速と自己ベストを叩き出す。
とても車軸が故障しているとは思えない速度だった。

あっそうか!という感じで軽トラは減速して待ってくれた。

そのままチギられるかと思ったため、絶望でふたりの目と
股間は少し潤んでいた。


おじさんは塗装屋さんのようで、脇道をグリグリ入った
奥の石垣の上に、自宅(兼作業場?)があった。

軽トラで入口の急坂を登る。二人は下で待つ。

やがておじさんが降りてきて自転車を荷台に積み、小学生
二人を助手席に乗せて、残照の中を軽やかに出発した。

帰れるんだ‥ これで。

少なくとも110km以上は走っていた。

明るければ、あと20キロ何とか走って帰れただろうが、
もうこれで充分だった。

リタイヤはしたが、楽しかった。次はちゃんと一周して
リベンジしてやるぜ!と大魔王サターンに誓った。

疲れておとなしくしていると、おじさんは家から持ってきた
パックの助六寿司を食べろと言う。

ありがたくもらった。嬉しくて、ほっとして、涙が出そうだった。

と思ったら、Mの鼻をすする音が聞こえた。お稲荷さんを
食べながら、腕でめがねを上げて目をこすっていた。

ありがたい事に、家のすぐ近くまで送ってもらい、何度もお礼を
言って軽トラを見送った。

Mの家はもう少し先なので、ひとりだけ降りた。

もうすっかり夜になり、空には星が瞬いている。
きょうの事がまるで夢だったかのように、静かな夜だった。


この後、セブンスター(軽トラに乗っていた)の3箱も買って
おじさんの所にお礼に行こうと、ずっと思っていたのだが、
場所が特定できず、名前の記憶も怪しくなり、とうとう
行かず仕舞いになった。

子どもだったとはいえ、不義理なことをしてしまった。

Mとは、高校生になってからは連絡を取っておらず、どこに
居るのかも判らない。生きていれば私と同い年だろう。
(ころすなよ)

オトナになり、自転車乗りに復帰して、2011年の12月4日、
三十数年かけて、ようやく大村湾一周リベンジを果たした。
長い道のりだったが、長井道則では無かった。(意味不明)
PC041220A.jpg
アラヤ フェデラル ブルホーン+サブハンドルVer.2.13 西海橋にて

実はこの前の週に一度決行したのだが、川棚でパンクして
早岐(はいき)まで10キロ押して歩き、時間が無くなって
やむなく諫早に戻った。(以前の記事あり)
ムカついたので次の週に再挑戦した。


今でもグールグルのマップを見ては、おじさんの家を探しに
行ってみるのだが、あまりに時間が経ち過ぎて、まだ
見つける事が出来ない‥。


そして‥ 今度はおじさんになった自分が、路上で困って
いる小学生がいたら助けなければいけないと思っている。

声をかけられても不審者通報しないように!





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ホラ吹き扱いの自転車野郎

昭和ながさき追想記
02 /04 2014
自転車アニメ「弱虫ペダル」が、長崎でも放映開始された。

日曜日の夜中の1時50分から‥。(いなかーっ!!)
内容はとても面白いが、録画で見ないと翌日死んでしまう。

主人公が周りの人達に「45キロも離れた秋葉原へ
ママチャリで行けるわけ無い!」と言われる。

今でこそ自転車ブームで、慣れればかなりの距離を走れると
いう事はよく知られているが、昔は一般市民が自転車で
何十キロも走るという発想が無かった。

周囲を山に囲まれた長崎では尚さらだ。


高校生の時、部活の仲間たちと、長崎の市街地から
25キロほど離れた野母崎の高浜へ海水浴に行こうと
いう話になり、「気が向いたら行くけん」と返事した。
野郎だけの海水浴だった。気は向くまい。

当日、ヒマだったので、ちょっと覗いてみるかと思い、
自転車で出かけた。一応スポーツ車に乗っていた。

真夏の熱い日差しの中、麦わら帽子を被り、タオルを
百姓じいさん巻きにし、野を越え山を越えて行ったが、
高浜に連中はいなかった。

ケータイは、まだ未来SFの話なので存在しない。
屋外の連絡手段は、ハトか狼煙くらいだったが、
あまり一般的では無かった。

たとえ狼煙を見てたとしても、用件は伝わらない。

仕方ないのでテキトーにそのへんを走って遊んで、
独りごとを言ってキャハハハと笑って、
竹下のミルクック(アイス)を食べて帰った。

次の日、「おらんやったろうが!」と学校で言うと、
高浜は人が多かったので、脇岬海水浴場に移動した
との事。

「自転車で行った。脇岬にも行ったが探さなかった」と
言うと、「えぇ~自転車でぇ~?「またまた~、行ける
わけ無かろ~?」と誰にも信じてもらえない。

おたわむれが過ぎますぞと諌められてしまった。

中学校の校区が違った彼らは、激坂と階段ばかりの地域に
住んでいて、自分の自転車を持たなかった。
長崎の人は自転車に乗れないというのは、
全くのウソでも無かった。

こんなエピソードはざらにある。

もっと信じてもらえない話は、現在制作中で近日公開予定。

弱虫ペダルはロードバイクレースの話になっていくようだが、
自転車の面白さが伝わってきて楽しい。

自分はどうせメタボから抜け出せないサイクル豚野郎なので、
スピードはあまり求めない。

今のところロードバイクは買わないつもりだが、先の事は
わからない。クロモリロードなら、う~ん。

体重が70kgを切ったら乗ろうかと思ってもいるのだが、
消費カロリーよりも、補給するカロリーとアルコールの
量の方が遥かに多いので、永遠にムリだろう。


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ちなみに私は、カメムシ屁デル。プッププー


70年代の遊び 自転車相撲

昭和ながさき追想記
12 /07 2013
1970年代、小学生の頃、仲間うちで「倒しぐら」という
遊びが流行った。自転車相撲とでも言うのだろうか。
sumou01.jpg

広場を何台もの自転車が走りまわって、勝負する。
ルールは簡単。足を着いたらOUT。
最後まで生き残った者が勝ちの、サバイバル戦だ。

基本は、狙いを定めた相手に近づき、いろいろな手を
つかってバランスをくずさせ足を着かせる。
そのためには、テクニックだけでなく戦略も必要。

無理をすれば自分も撃沈。バランスとかけひきが大切だ。
各自、山で修行を積んで、新しい技を開発した。

◎並走して幅寄せし、円を描きながら内側に追い込んで段々
円を小さくしていってバランスを失わせる「うず潮責め」

◎知らん顔しといて、いきなり相手の目の前へ出て止まり、
その場で静止してバランスを保つ「秘技ハチドリ」
接近戦では、相手が倒れる瞬間、こっちを道連れにしようと
するので、うまく逃げる必要があった。

◎背後から忍びより、相手の自転車の後輪に、自分の前輪を
こすりつける「忍法オカマ」
タイヤの回転方向が異なるため、バランスをくずしやすい。
ドロヨケのある相手には使えない。

◎五段ほどの階段の下にいる相手に向かい、奇声をあげながら
階段をゴトゴト降りて奇襲する「階段落ち」
まだMTBは無かったが、昔の頑丈な自転車だから出来た。

ルールを改訂し、足や手を着かなければ、フェンスや壁などに
もたれて休憩できるようにした。
しかし気をつけていないと、背後から荷台やズボンのベルトを
引っぱられて足を着かされる。

◎舗装路で、追ってくる敵の前でフルブレーキングして
後輪を45度くらい持ち上げてビビらせる「前輪ガッパ」
(意味不明) これは自爆するリスクも高い。

◎2台で共謀して敵を両側からはさみ、砂場や立ち木の方へ
誘導する「地獄への案内人」
その場の雰囲気でタッグを組むが、裏切られる事もある。

射程距離内から全力で逃げる時以外はスピードは出さないし、
本気でぶつけるのは反則なので、怪我する事も無かった。

やれば絶対に面白い。おとなでも楽しめると思う。

この遊びのお陰で、バランス感覚をけっこう身に付けることが
出来た。転び方も上手になったようだ。オトナになって原付で
コケてもほとんど怪我をしなかった。

それにしても、昔の小学生はクリエイティブだったと思う。
次々に新しい遊びを考えた。

今もそうなのだろうか?


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Ramblingbird

長崎南部の自転車散歩やどうでもいい出来事を、小学生ギャグを交えて書き散らします。お下劣な表現を含みますのでご注意下さい。