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悲しきオブジェ ホンダ ストリーム50

CB50が消えて幾年月、クルマの部品を探しに解体屋へ行った時、
赤のホンダ ストリーム50があった。

ホンダ独自の技術で開発した3輪スクーターだ。
stream02A.jpg

クルマのストリームではない。タイヤの数が違う。
ホンダは、ネタ切れなのか名前の使い回しが結構多い。
現在のFITが米国ではJAZZだ。

この3輪の乗り物を初めて見た時は、後頭部を鈍器で殴られた
ような衝撃だった。正座もしていないのにシビレた。
まさにニッポン、未来、乗りものだった。

発売当時は別の原付に乗っていたので買うことは無かったが
ずっと乗ってみたかったバイクだ。


大きなキズもなくボディーもつやがありまだキレイだった。
エンジンはかからないが、キーも書類もあると言う。

レストアする技術も工具も無かったが、財布に金は入っている。

毎度おなじみ、どげんかなるさ攻撃が出た。

ストリームはその場で何千円かで引き取った。
友達と来ていたのでクルマを運転させ、家まで3kmほど押していった。

stream001.jpg

未来の乗り物は、庭の一角のCB50を置いていた場所に鎮座した。
来週にでもバイク屋に頼んでどうにかして貰うつもりだ。

忙しく一週間が経ち、二週間が経った。
両親がしびれを切らして、どうするつもりかと聞く。
CB50の時も長いこと放置していたので、悪夢の再来だったのだろう。
ストリームは、雨ざらしでいい感じにオブジェの風格が出てきた。

そして季節は移ろいゆき、寒くてスクーターなどさわれなくなる。

「乗らんとなら邪魔かけん捨てるけんね!」「へ~い」

結局一度もエンジンがかかる事なく、飾りのまま回収業者の
トラックに載せられていった。ドナドナを唄う暇も無かった。

やった事といえば、キャブレターを開けた事くらいだった。
普通のスクーターと構造が違うので、面倒になったのだと思う。

走行距離ゼロ! 期待させておいて、完全に忘れられる。
そのまま解体されていた方が幸せだったのかもしれない。

今回もまた、持ち腐れ作戦が炸裂だ。

ストリームのプラモデルは持っているのでいつか作ろう。
これも持ち腐れか。

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テーマ : バイク
ジャンル : 車・バイク

ある意味完璧。 ホンダ CB50

1986年頃‥たぶん。

都落ちで長崎へ戻ってきた時期。もうここで暮らすと決めた。

当時、諫早では自分が出来そうな仕事が少なかったので、
長崎市内にアパートを借りて、バイトしながら就職活動をした。

長崎市は山ばかりで平地が少ない為か、駐車場台がバカに高かった。
砂利や土の所でも諫早の倍くらい、一万円以上はとられた。

クルマは実家に置いて、便利のいいバイクを買うことにした。

長崎市のバイク屋に、ホンダCB50の中古車があった。

CB50.jpg


見た瞬間、これだと思った。なぜかはよく判らない。
大体は、見た目のデザインと勘で選ぶほうだ。

バイクの原点、王道、基本、そんな感じだった。当時でもちょっと
レトロな感じがした。それと、ホンダJAZZで体験した4ストの乗り味。
これでいい、これで充分、いや、この落ち着いた所がいい。
こんな感じだったろうと思う。

長崎の町は、バイクで移動するのがベストだった。雨の日は路面電車がある。
路地の奥の階段の下に停めていた。アパートは階段の上だった。

この頃は、バイクのヘルメット着用が義務化されていたと思う。
初めは面倒だったが、使ってみると安心感があった。でも、夏場は御免だった。


さて、CB50はどんなバイクだったか。

4ストの原付にしてはストレスもなく、よく走った。
って言うか、確かにスポーツ車だったと思う。本気を出せば結構速かった。

でもRZ50のような狂気的な感じでは無く、普段は至ってオトナだった。

今にして思えば、エンジンサウンドも乗り方に影響するのかと思う。
2ストのギャーーンという狂犬の叫びは、速く走る事を強要するようだった。
4ストでも結構回転は上がったと思うが、理性を忘れるような音ではなかった。

低速ではブレーキで後輪がすぐロックした。これを利用して、
曲り角をテールスライドして直角に曲がって遊んでいた。
タイヤの真ん中だけがすり減った。

諫早の山のほうに、トレールバイクで遊べるような所があった。
オフロード遊びに興味を感じていた私は、無謀にもCB50で突っ込んで行き、
コケそうになりながら遊んでいた。DT50かハスラーが欲しかったが、
哀しいことに充分足が届きそうな気がしなかった。

バイトが休みの日は、標高250mの山を越えて諫早の実家に帰った。
溜まった洗濯物もどうにかして持って帰っていた。

スクーターよりもギヤ付きの方が思い通りに走れて面白かった。
これはクルマでも同じで、ひとつ前のクルマまでは、ほぼマニュアル車
に乗っていた。オートマなんて人間じゃないと思っていた。

バイトが無い日は職安(現在のハローワーク)へ行き、いい仕事がないと、
もうその日はすることが無かった。

松山町の陸上競技場に行き、芝生の観客席に寝転んで空を見上げた。
蒼い空を白い雲が、形を変えながらゆっくりと流れていった。

昼食の菓子パンを鳩と分けあって食べた。
鳩は「ポップルー」と言って喜んだ。
恩返しは、まだ無い。

不安よりも、田舎で穏やかに過ぎていく時間を楽しんでいた。
基本は、「どげんかなるさ」
モラトリアムな日々だった。


しかし、長く続けたい仕事はなかなか見つからず、バイトの期限も過ぎ、
一年も経たないうちにアパートを引き払って実家に戻ることになった。

とりあえずの仕事に就いた。人とのつきあいが増えるとクルマがメインに
なる。そうなるとCB50の出番は減る。

古い原付は、乗らないでいるとなかなかエンジンがかからなくなる。
かからないのでクルマで出勤する。そのうちバッテリーも上がる。
もう乗らなくなる。

CB50は実家の庭のオブジェとなり、邪魔者となり、最後はゴミとなった。

今ならどうにでも出来るのだが、当時は原付の整備の知識も少なかった。
これまで、もったいないオバケが何匹出たかわからない。

事あるごとに思う。「雨があたらない広いガレージがあればなあ!」と。
そうすれば、何かを捨ててしまって後悔する事もない。今なら大抵の
ものは直せる。自分が要らなくてもヤフオクで売ればケッコウな金額に
なるものも捨ててきた。

貧乏人が貧乏人のままである理由が、少し解ったような気がする。

cb50_2.jpg

ホンダ CB50。 一目惚れで買ったバイクらしいバイク。
ロングセラーだったが、今売っていても全然おかしくないと思う。

原価が高すぎて、とんでもない価格になるのだろう。

本当に、現在の原付ラインナップは淋しい限りだ。
欲しいと思う50ccバイクは、

無い‥。



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ジャンル : 車・バイク

短足OK!! ホンダ JAZZ 50

ホンダ JAZZ 50 むかぁし大流行したワインレッド 
jazzTA.jpg

第2期大阪時代に、仕事で銀行へ両替に行くために買った。
(なにその理由)

表向きはそうだったのだが、単純に乗りたかっただけだろう。

若い頃から何故かカントリーミュージックを好み、アメリカ大陸を
貨物列車に無賃乗車して流れてゆくHOBO達に共感した私としては、
アメリカンなJAZZのスタイルは、今でも好きなデザインだ。

この頃はもうクルマに乗っていたので、原付を買う理由としては、
クルマでは望めない機動性か、趣味的な使い方しか考えられない。

バカッ速の2ストでなく、カブのエンジンを積んだ4ストだと
いうところがいい感じだ。ちょっとオトナになったのかも。

値段は高かった!でも買った。なぜ無理して買ったのかといえば、
な~んも考えていなかったからだ。(断定)

今まで乗ったバイクと違い、ギヤ付きの4ストでバロロロロロと
ふんぞり返って走るのは新鮮だった。

遠出はあまりしなかったが、仕事場に置いていたので休みの日は
わざわざクルマで取りに行って、近場をあちこち走ったりしていた。

今考えると、結構バイクが好きだったんだろうなと思う。

SOUTHERN DREAMER SPECIAL と、雰囲気だけのサブネームをつけた。
わざわざカッティングシートでロゴを自作してバッテリーBOXに
貼り付けた。

行きつけの喫茶店のマスターにロゴを見せたら、残念そうな顔をした。
正直で有名な人だった。


現在、どこかで売られている奇跡の車体。
JAZZ_FA.jpg


でも、ここの暮らしも長くは続かなかった。基礎が固まらない内に
いろいろと手を広げた会社は、だんだん資金繰りが難しくなり、
やがて解散となった。

世話になった社長一家は、連絡もつかない所へ行くことになり、
みんなでお別れの食事会をして別れた。

倒産時のゴタゴタで気持ちに余裕がなく、長崎へ送ればいいものを、
JAZZは二束三文でバイク屋に引き取らせた。
買ってから一年経っていたかどうかも判らない。
売値の半値ちかくだった気もするが、それ以下だったかもしれない。

短い付き合いだった。縁が薄かったといえばそれまでのことだが、
JAZZの体験が次のバイクの購入に繋がったとも思える。

この時代の原付は多種多様で、見るだけでもワクワクした。
今の若い人は、あれこれ選べない。見ても楽しそうなものは無い。

売れないから作らないのか、作らないから売れないのか?
私にはよくわからないが、メーカーも夢を忘れないでほしいな。

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ジャンル : 車・バイク

元気印(死語!) ヤマハ初期型JOG

初期型 ヤマハ JOG
1983_JOG_CE50A.jpg

大阪から長崎へ戻って来て、近所のバイク屋で普段の足用に買った。
いろいろあって、まだクルマの免許も取っていなかった。
細かい事は考えずに、安いのを買ったような気がする。

ベルーガとはまるで違って、めっちゃパワフルに走った。
元気が良すぎるくらいだった。

走りだす時は、頼みもしないのにウイリーした。

走りながらアクセルをあおって体重移動すると、フロントがポンポン
跳ね上がった。「復讐の舞い」と名づけた。特に意味は無かった。

下り坂の交差点を右折しようとしたら、雨上がりで路面が濡れていた
ため、タイヤが滑った。立て直そうとしたが、そのまま交差点の
カド目がけてツーッと滑っていった。

自分は転ぶ寸前に惰性で起き上がってバイクの後を追いかけ、交差点の
カドに突っ込んだバイクを起こして何事もなかったように走り去った。

高校生が20人くらい見ていた。「おぉ~っ!」という声があがった。

わー!と言いながら地ベタをゴロゴロ転がらなくて良かった。

私のはこの色。白とグレーの2トーンだった。
1984_ce50e.jpg

山も軽々登った。諫早の五家原岳は、1057mの頂上まで狭くて急な
坂道をクルマで登れる。
JOGは空冷エンジンだが全くダレたりする事なく、一気に登りきった。

雲仙の温泉街に友達を訪ねて行った時も、楽々と登った。

必要にして充分な動力性能だった。
グリップのいいタイヤさえついていれば敵なしだっただろう。

とにかく、よく走るバイクだった。
車体が軽いと走りがよくなるという事が体感できた。

最高速テストをした事があったが、メーターを振り切りまくっていて
判らなかったのではなかったかと思う。

スタートでクルマを引き離せたので、あまり飛ばす必要はなかった。


音楽を聴こうと思い、ソニーの電池式防滴スピーカーを買ってきて、
自作ステーでハンドルに取り付けた。

こんな感じのだったと思うのだが、これは18,000円もする。
防滴とも書かれていない。たぶん似たものがあったのだろう。
APM-090A.jpg
覚えているのは、買うときに高けえなーと思って、買おうか
買うまいかと悩み、店の中で10往復くらいした事。
やはりこれを買ったのだろうか?まさか‥

取付はDIYで、たぶんミラーと共締めしたような気がするが、
しっかり固定されて全然問題なかった。

当時、何故そんな事が出来たのだろう?と不思議に思う。

ウォークマン2をつないで聴いていた。
まだカセットテープの時代だった。
Sony_Walkman_WM-2A.jpg
↑左側のは、はんごうでは無く、予備電池BOX。さすがにこんな
  重装備はしなかった。

そんな事をしている原付バイクはいなかったので、「よさ~よさ~
(いいな~いいな~)」と人に羨ましがられた。
もちろん、「くれ~ん(あげな~い)」と答えた。

防水ではなく防滴仕様だったので、雨がひどくなると、スピーカーに
Aコープの買い物袋を被せた。長崎にはコンビニはまだ少なかった。


その頃はバイトをしながら仕事を探していたのだが、大阪で世話になった
人が自分の会社を起こす事になり、数ヶ月の予定で手伝いに行った。

また大阪に舞い戻る。あまり真剣に将来の事を考えてなかったのだろう。

結局手伝いが長引き、長崎からJOGを送ってもらった。
大阪の街を、諫早ナンバーで走り回っていた。
(そうだった思い出した。懐かしいなあ)
「ネリハヤ」とか読まれたりしていた。

クルマで移動するようになってからは出番が減った。
アシのない友だちに貸していたが、最後は安くで譲った。

今思うと、金もないくせに結構勿体ない事をしている。
昔から、どげんかなるさ攻撃を多用していたようだ。

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ジャンル : 車・バイク

早杉益蔵! ヤマハ RZ50

1980年代

当時、排気量50ccの原付一種もハイパワー競争が盛んで
各メーカーは、こぞってバカっ速いモデルを出していた。

ヤマハはRZ50。
RZ50A.jpg


パワーは自主規制上限の7.2PS。法定速度30km/hに対して
全く意味なし芳一のハイパワーだ。

この頃ヤマハはRZ350、RZ250という、やかましくて煙たくて
メチャクチャ速い2ストバイクを造っていて大人気だった。

そのうちにRZ125、原付一種のRZ50までが加わった。

とにかく、カッチョいいので乗りたかった。それだけだった。
貯金をおろして買った。ゴキブリベルーガもまだ持っていたが
別物と考えていた。

実際、走りはまったくの別物だった。

ギヤ付きのバイクは周りの誰も持ってなかったので、クラッチ
というものが何なのかすら解ってなかった。
こすって当てる宝くじかな?と思った。

バイク屋さんは近所だったので、買った日は乗ることができず
押して帰ったはずだが、よく考えるとその場で簡単なレクチャー
を受けて裏道をエンストしながら乗って帰ったような気もする。

近くに広場とかはなかったので、練習は路上でしていたのだろう。


原付一種の最高速度は今でも30km/hだが、守る者はいなかった。
交通量の多い都会の国道を、30km/hで走るのは却って危険だ。

原付にしても自転車にしても、意味不明で可笑しな法律が多い。


とにかくこのようなバイクは、実技もない原付免許取りたての
若者が乗るには危険過ぎる代物だった。

まだリミッターというものはついて無かったのだろう。
最高速は80km/h以上は軽く出ていたはずだ。

70km/hを超えると、フワッと接地感が無くなり、浮いているような
感じだった。薄気味が悪かった。何かに乗り上げたら死ヌナと思った。

スピードを出すと、エンジン音は普通の原付とは別物だった。
ミーーーーーーーーーという耳鳴りみたいな音しか聞こえなかった。

走っているとだんだん現実感が無くなってきて、実はもう事故って
死んでいるのではないかという錯覚に陥りそうだった。

ウイリーとかアクセルターンとか派手な遊びを練習した。
ミャンミャン言わせて走り回った。近所のひとはさぞ迷惑だったろう。

ある日、
渋滞した国道1号線の左端を、何も考えずアクセル全開で走っていた。
先の方に、右折して横切る対向車が見えた。

ブレーキをかけた。
クルマは歩道に進入せず、そこに停まって進路を塞いでいた。

「止まれーっ!」

祈るしかなかった。

「南無観世音菩薩!」

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」

「アビラウンケンソワカ!」

「怨敵退散!怨敵退散!」

「エコエコアザラク!エコエコザメラク!」

「おかあさ~ん!」

そんな余裕はなかった。

フルブレーキでタイヤはロックし、滑って横になったまま
RZ50はクルマの横っ腹に激突した。

自分は遅れて空中を飛んでいき、不思議な事に直前で半回転して
背中からクルマのドアに突っ込んだ。

「バルス!」と音がした。

一瞬の事だった。たぶん最初は70km/hくらい出ていただろう。

バイクは、ライトとミラーが割れてフロントフォークが
くにゃりと曲がっていた。

ノーヘルだったが、奇跡的に足首の捻挫だけで済んだ。
コケるのは意外とうまいかもと思った。

とんでもないスピードで走っていたにも拘わらず、保険で
100%修理代が出た。それからはちょっと大人しくなった。

それにしても危険な日々であったことは間違いない。
外環状線などでは、よく若者がバイクで亡くなっていた。


その後、RZ50は盗まれて部品をはずされ、クリークに投げ
捨てられていた。口を開けたまま3分ほど呆然とした。

半分、水に浸かっていた。
マフラーが水の中で光にキラキラ反射してキレイだった。

散々ひとに迷惑をかけたツケだろう。因果応報だ。


でももしかしたら、これで死なずに済んだのかもしれない。
先祖は大事にしないといけないと思った。

テーマ : バイク
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Author:Ramblingbird
長崎南部の自転車散歩やどうでもいい出来事を、小学生ギャグを交えて書き散らします。お下劣な表現を含みますのでご注意下さい。 

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