注目しなくていいから!
日々の事
前回いじけて書いた屁~の記事が、にほんブログ村
ポタリングのカテゴリーで、注目の記事1位になっていた。
うわわわわ!いらんいら~ん!
注目しなくていい~!
私のクールで知的なイメージは完全に崩壊だ。(妄想)
もう、これ以後どんなカッコイイ事を言っても
「屁の人のくせに何を」となってしまう。(事実)
しかし、自転車散歩の記録よりもこんな鼻クソ記事が
圧倒的に喜ばれるというのは、正直複雑。
読んでもらうきっかけになれば嬉しいが、同時に
哀しくもあり、情け無くもある。
今後、どういう路線で進めるべきなのか、自分自身
迷ってしまう。
前回の記事のようなのがいいのなら、以前知人から
頂いたコメントへの返信文などもいいかも知れない。
確認のため、ここへ掲載してみよう。
◯◯様
私は基本的には汚い話や下品な話は嫌いです。
しかし、このようなご時世、世間に迎合する事もやむ無しと思い、
3種の御法度、うんこ・しっこ・へーの話題を出している次第です。
どうかこの本意をご理解頂き、私のPOPでCOOLなグロブに於いて、
いたずらに肛門肛門と連発なさいませんようお願い申しあげます。
※注意!これより先、お食事中の方はもちろん、
お下品な話に耐性の無い方にとって不適切な表現を
含みますので、閲覧には注意が必要です。
ところで、下痢といえば今でも忘れられない経験をした事がありました。
あの頃私は、長崎市の◯◯橋の向こうにあるお客様の事業所へ、手伝いと
いう形で毎日通っておりました。当時は長崎駅の奥に借りていた駐車場に
クルマを停めてそこから歩いて通っていたのですが、その日は諫早から
長崎へ着く頃に腹痛がしてきて、なんとか駐車場までは辿り着いたのですが
降りようとした時、急激な腹痛に襲われ、「んア!」と言ったきり、口を
開けたまま動けなくなりました。油汗が流れてきて目の前が暗くなりました。
私は今まで積み重ねてきた経験を元に、ほとんど瞬間的に決断しました。
肛門以外の筋肉をすべて弛緩させ、肛門の筋肉にすべてのエネルギーを送り
込みました。ヤシマ作戦と名付けました。
次に、一番近いトイレの場所を考え、到達時間を計算しました。到底間に
合いそうもありませんでした。次に周囲を見渡し、死角になる場所を探し
ました。周りは駅の保線区で人通りは少ないのですが、駐車場へは車両の
出入りが結構あり、これも成功する確率はごく僅かでした。
とにかく今は、全神経を肛門に集中し、決壊寸前のダムを死守することが、
私に課せられたただひとつの重大な任務でした。薄れゆく僅かばかりの意識の
中で、私は考えました。この痛みの原因は何か。落ちたものを拾って食べては
いない。昨夜は何を食べたか? 韓国製のキムチカップラーメンでした。
それ以外の原因が思いつきませんでした。キムチはよく食べていたのですが、
ラーメンは当時は珍しく、買って食べたのは初めてでした。ひどく辛かったので
明日は銃口が大丈夫だろうかと心配していました。
不潔な股間は的中しました。私はハンドルを握りしめ、周期的に波のように襲い
来る痛みに耐えました。ここで力を緩めたらどんなに楽だろう‥。しかし、
もしそうしたら、私は一生、敗北者として生きるという事を理解していました。
人間の尊厳。それを守り通すのだ。師匠の顔が目に浮かびました。
冬の事で、冷えたらますます危険でした。エンジンをかけ、ヒーターを東MAXにしました。
これまでの人生が、走馬灯のように目の前を通り過ぎて行きました。
繰り返す痛みの刹那、ふと、リヤシートの下を見ました。そこには、先日洗車で
使ったバケツとぞうきんがありました。私は、おお神よ!と叫びました。
これでもういいんだ。これで助かるんだ。
しかし、冷静に考えたら、リヤシートは外から丸見えでした。悪魔の誘いでした。
もう少しで私は、人間にとって本当に大切なものを永遠に失う所でした。
そして、ただ時間は過ぎて行きました。「神は乗り越えられる試練しか与えない」
この言葉を信じるしかありませんでした。混濁する意識の中、誰かが見えました。
優しく微笑むマリアでした。腹の痛みは消え、2時間が経過していました。
生きている!助かったんだ。しばらくは信じられませんでした。
私は額の汗を拭い、仕事場に遅れる旨の電話をかけました。
そして、今は無い魚市跡地の駐車場のフェンスの切れ目から中へ忍び込み、
トイレを借りました。
手を洗って出てきた時、冷たい海風が頬を撫でていきました。
fin

感動したらポチ尾長いします
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今後、どういう路線で進めるべきなのか、自分自身
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◯◯様
私は基本的には汚い話や下品な話は嫌いです。
しかし、このようなご時世、世間に迎合する事もやむ無しと思い、
3種の御法度、うんこ・しっこ・へーの話題を出している次第です。
どうかこの本意をご理解頂き、私のPOPでCOOLなグロブに於いて、
いたずらに肛門肛門と連発なさいませんようお願い申しあげます。
※注意!これより先、お食事中の方はもちろん、
お下品な話に耐性の無い方にとって不適切な表現を
含みますので、閲覧には注意が必要です。
ところで、下痢といえば今でも忘れられない経験をした事がありました。
あの頃私は、長崎市の◯◯橋の向こうにあるお客様の事業所へ、手伝いと
いう形で毎日通っておりました。当時は長崎駅の奥に借りていた駐車場に
クルマを停めてそこから歩いて通っていたのですが、その日は諫早から
長崎へ着く頃に腹痛がしてきて、なんとか駐車場までは辿り着いたのですが
降りようとした時、急激な腹痛に襲われ、「んア!」と言ったきり、口を
開けたまま動けなくなりました。油汗が流れてきて目の前が暗くなりました。
私は今まで積み重ねてきた経験を元に、ほとんど瞬間的に決断しました。
肛門以外の筋肉をすべて弛緩させ、肛門の筋肉にすべてのエネルギーを送り
込みました。ヤシマ作戦と名付けました。
次に、一番近いトイレの場所を考え、到達時間を計算しました。到底間に
合いそうもありませんでした。次に周囲を見渡し、死角になる場所を探し
ました。周りは駅の保線区で人通りは少ないのですが、駐車場へは車両の
出入りが結構あり、これも成功する確率はごく僅かでした。
とにかく今は、全神経を肛門に集中し、決壊寸前のダムを死守することが、
私に課せられたただひとつの重大な任務でした。薄れゆく僅かばかりの意識の
中で、私は考えました。この痛みの原因は何か。落ちたものを拾って食べては
いない。昨夜は何を食べたか? 韓国製のキムチカップラーメンでした。
それ以外の原因が思いつきませんでした。キムチはよく食べていたのですが、
ラーメンは当時は珍しく、買って食べたのは初めてでした。ひどく辛かったので
明日は銃口が大丈夫だろうかと心配していました。
不潔な股間は的中しました。私はハンドルを握りしめ、周期的に波のように襲い
来る痛みに耐えました。ここで力を緩めたらどんなに楽だろう‥。しかし、
もしそうしたら、私は一生、敗北者として生きるという事を理解していました。
人間の尊厳。それを守り通すのだ。師匠の顔が目に浮かびました。
冬の事で、冷えたらますます危険でした。エンジンをかけ、ヒーターを東MAXにしました。
これまでの人生が、走馬灯のように目の前を通り過ぎて行きました。
繰り返す痛みの刹那、ふと、リヤシートの下を見ました。そこには、先日洗車で
使ったバケツとぞうきんがありました。私は、おお神よ!と叫びました。
これでもういいんだ。これで助かるんだ。
しかし、冷静に考えたら、リヤシートは外から丸見えでした。悪魔の誘いでした。
もう少しで私は、人間にとって本当に大切なものを永遠に失う所でした。
そして、ただ時間は過ぎて行きました。「神は乗り越えられる試練しか与えない」
この言葉を信じるしかありませんでした。混濁する意識の中、誰かが見えました。
優しく微笑むマリアでした。腹の痛みは消え、2時間が経過していました。
生きている!助かったんだ。しばらくは信じられませんでした。
私は額の汗を拭い、仕事場に遅れる旨の電話をかけました。
そして、今は無い魚市跡地の駐車場のフェンスの切れ目から中へ忍び込み、
トイレを借りました。
手を洗って出てきた時、冷たい海風が頬を撫でていきました。
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