そう言えば
有喜(ウキ)の漁港には自転車で行った事がなかったはず。
クルマで行ったのも何年前のことか‥。
これはイカン。早速
しっぱつじゃ!今回は小川町のもみの木村から小ヶ倉ダムを通って
国道251号に出るコース。
もみの木村の信号を曲がるとだんだん道が狭くなり、分かれ道。
間違えたかと思うほど細い田んぼ道だが、真っ直ぐでOK。

三叉路の小屋に、手作りの案内標識があるが、クルマだと
雑多な看板の中から瞬時に見つけるのは難しいだろう。

ダムへ登る坂は短いが急坂。でもキツイのはここくらい。
あとはダム湖と田園風景の中を、おはら節やひえつき節を
口ずさみながら走ってゆくと、国道251号線に出る。

251を東(左側)へ進み、登り坂の手前の交差点を右折すれば有喜の町。

有喜は古くから漁港として栄えて来た。
海岸近くには大きなえびす像。

七福神で有名なえびす様は、漁業や商売の神様。
町のあちこちに祀られている。
いい笑顔!海岸の左側には、諫早市が管理する海水浴場がある。
有喜UKIビーチ!
ダダッ広くはないが、まだ新しくてキレイだ。

河口近くにある、白髭神社。(しらひげじんじゃ)

伝説により、武内宿禰(たけのうちのすくね)を祀る。
大昔、白髭の老人と家来衆を乗せた大船が嵐で壊れて
有喜に辿り着き、修理が終わるまでこの地で過ごした。
武内宿禰と伝えられるその白髭の老人は、農業や漁業の
先進技術や読み書き、医療までを、DVDや専用アプリ等で
解りやすく村人に指導してくれたという
伝説がある。
昔は、国道よりもずっと山側の方まで湾が入り込んでいて、
現在の中通町の辺りまでその船を曳いて来たと言われている。
船が直って白ひげ様が出発したあと、近くの旧古場名の高台に
祠を建てて彼を偲んだのが、白髭神社の始まりとの事。
江戸時代に、現在の船津に移されたそうだ。
元の神社跡地は、薬師如来堂になっている。

薬師堂から海側を望む。
こんなところまで入江が入り込んでいたとは思えないほど谷の奥。
有喜の漁港や現在の白髭神社は、真ん中の丘の向こう側。

白髭神社に戻る。
パンク風の賽銭箱。斬新なスタイルだ。

灯籠の龍の彫刻が見事!

もう片方は残念な事に損傷が激しかった。
そして、境内で見つけた
謎の石像!
神様か仏様かカンナ様か判らない、何とも不思議な像。
壺かカメ(瓶)の上に座っているように見えるが、ネットで
探しても似たような例は見つからない。
漁港だからと言って、タコ壺でもあるまい。
首をかしげて坊主頭?で、座り方も仏像のよう‥。
薬壺なら薬師如来だが、普通、壺は手に持っている。
素朴な作りで、どこか南方系の感じもするなあ‥。
日本神話の少彦名命(スクナビコナノミコト)を連想した。
スクナビコナは薬師如来と同一視される事もあり、
その場合、薬壺を持っている。
う~む。やはりここは謎が多い!
この件はまた地元の人に聞きに行こう。
町なかには、漁港らしくえびす像があちこちに祀られているのだが、
白髭神社近くの海岸付近で、まだ新しい
八大龍王の石像を発見!

以前来た時は目に入らなかったのか、興味がなかったのか、
全然気づかなかった。
諫早近辺では、八大龍王、つまり竜神様のことを、
じゅうごさんと呼ぶ。竜宮さんが変化したらしい。
ここでは何と呼ばれているのか聞き忘れた。
像の背面側に詳しい説明文があるが、先祖の暮らしを
子孫に伝えるため、昭和五十二年に町有の土地を
売却した代金で作らせたそうだ。
何というスンバラピイ金の使い方だろう!
身内の土建屋とつるんで金儲けを企むどこかの町の長に、
尻のアカを煎じずに食わせてやってほしい。
側には歴代の龍王像が並ぶ。
風化に加え、キリシタンやその他の者によって破壊され、
そして修復され、祀られ続けている。
この神像もまた、過去にあった出来事を未来に伝える
大切な遺産だ。
龍王像と判る理由は、後ろ姿。
龍がいるから。

同じ場所に、諫早近辺では見かけない双体えびす像。

これは!平たい顔族のえびす像か?

う~ん、今回は見どころが多いなあ!
─── 家に帰ってから、いろいろ調べてみた。
・有喜は橘湾に面し、諫早でも早くからひらけていたらしい。
縄文の貝塚もあり、大昔から人が住んでいた事が判る。
・有喜の地名は、湿地や泥地のことを指す「ウキ」によると
思われる。漢字では宇木とも浮亀とも書いていたようだが、
明治期以降のお役所仕事でテキトーに決めたものだろう。
・全国の白髭神社も、ざっと見たところでは湿地の近くに
位置する事が多い気がする。
・白髭草という植物(ユキノシタ科)は湿地に生える。
・白髭神社の祭神は、一般的には猿田彦(サルタヒコ)神。
・アイヌ語でサルは、湿地らしい。タが田なら、サルタは湿田か。
・猿田彦というシソ科の草も湿地に生える。
・有喜の白髭神社の祭神 武内宿禰は、白ひげの老人に描かれる。
・猿田彦は天狗の様な容貌の神だが、やはり白髪白ひげの事が多い。
・古代朝鮮の竜神もまた、白髪白ひげの老人の姿だ。
・有喜では竜神の八大龍王を大切に祀っている。
調べれば調べるほど、不思議な関連が浮かんでくる。
まるで、パズルのピースのように並ぶ事実。
いつの時代にどのように文化の伝播があったのかは知らない。
明治に鉄道が出来るまでは、船が主な移動・流通手段だ。
各地の漁民同士の、海のネットワークがあっただろう。
ぼんやりと昔の様子が見えて来そうだが、素人にできるのは、
いろいろ想像して楽しむところまでだ。

ただ今回は、有喜の漁民が祀る龍神さんやえびすさんが、諫早中心部や
島原半島のものとは、古いものほど明らかに違う事が判った。
ついでに言えば、白髭神社で武内宿禰を祀るところは珍しいように
言われているが、長与や伊王島の白髭神社も武内宿禰が祭神で、
海の近くにある。
これも何か関連があるのだろうか‥。
家に帰って安酒を飲みながら
謎の石像の写真をよ~く見ていると、
鼻ヒゲとあごヒゲのある
じいちゃんに見えてきた。 頬ヒゲもあるような‥
「あー、しらひげ様!」もしそうだとしたら、町にとってけっこう重要なものかもしれない。
壺は、医術の薬壺でもあり、技術や教育など、たくさんの恩恵を
表しているとも考えられる。 本当はタコ壺かも知れないが‥。
てゆっかー、こんな話を散歩記で書いても、みんな退屈過ぎて
屁をこかれて寝てしまうだけだろう‥。
今回は、
ちきーっとマニアックな話だったかな。
終わりましたので起きてくださーい。