唐比と書いて、
からこと読む。
読まねぇだろうが!と、ツッコんではいけない。
では聞くが、
黄熊は、
ぷうと読めるのか?
泡姫は、
ありえると読めるのか?
読めるのか?唐比は、島原半島の付け根、千々石断層の端っこに位置し、
海岸沿いの低湿地帯の背後を、切り立った崖が囲んでいる。

湿地にある唐比ハス園では、たくさんの蓮が育てられ
6,7月の花のシーズンには多くの見物客で賑わう。
いい写真が無かったあ~
近くには、お馬さんや羊さんに
ヨォ~シヨシヨシ!ができる
触れあいOK!牧場もある。(※名称はイメージです)
晴れた日には、雲仙岳をバックにした眺望も
すんばらぴー!
写真があ~、いい写真が無かったあ~海岸は自然のままの荒磯。波音を聞きながら、弁当食って
半日くらいポケぇ~と過ごしてリフラッシュするのもいい。

観光資源が豊富で、もっと活用できそうな所だ。
さて、「からこ」とは何だろう。陶器の皿に描かれている昔の中国の子どもを「唐子」というが、
これとは接点が無さそうだ。
森山町郷土史に、唐比の地名由来があった。
カラ(伽羅)は古代朝鮮半島の民族で、彼らが日本に渡ってきて
住み着いたところにカラ地名がつけられており、唐比もそうで
あろうと言う話だった。コは郷で、人が住む里との事。
因みに、唐比の北、愛野町との境界近くにある、森山町杉谷の
「唐津」は、佐賀県の唐津と同様、古代朝鮮や中国大陸と
交易があった港なので、この地名になったのだろうと言う。
(津は港のこと)
う~ん、でもこれは何十年も前に書かれた説だろう。
書いた人たちも今は違う考えかもしれない。
別の新しい説は無いのかと探すが見つからない。
納得できる解が無ければ、自分で考えてみる。
出し惜しみしてると思われては
癪なので、結論から言う。
カラコは「涸ら処」だろうと思う。地名辞書でカラを見ると、微高地や崖地、水涸れ地などと
書いてある。考えるまでもない。ここは
水涸れ地だ。
唐比の湿地に、むかし、
大きな池があったことは事実で、
江戸時代の絵図にも書かれている。

1700年頃の森山。 右側は島原領なので空白、 (森山町郷土史より)
池は何らかの原因で次第に涸れて行き、ついに消滅。
現在の姿になった。

さらに古代に遡ると、ここは
肥前国風土記に書かれている
「ヒジハの池」だった可能性が高い。
海岸近くにあった大きな池には蓮が茂り、満潮時には潮が
堤を越えて入り込んでいたらしい。
これは潟湖(せきこ)。ラグーンというやつだ。
湿地の中からは、時代はよく判らないらしいが、
くり舟も
発掘されている。
ヒジハは、隣り町である雲仙市の千々石(ちぢわ)に
発音が近いため、池は千々石にあったという説もあるが、
話が終わらなくなるので、ここでは書かない。
気になるのは、単なる偶然か、或いは故意かもしれないが、
風土記でヒジハの池は、比遅波池と書かれている事。
唐比の
「比」の字が入っている。
では本題の、
カラコの地名について考えてみゅー!

長野県にある、涸沢という地名に注目しよう。
涸れた沢であることは明らかだが、読みは「カレサワ」
では無く「カラサワ」。
カラサワと聞けば、一般的には
「唐沢」を思い浮かべる。
なぜなら
こっちの方がポピュラーだからだ。
最近は、唐沢と聞くと
味ポンを思い出す。(それはいいから)
唐沢も、多くは涸沢だったのだろう。
漢字が変わると、元の意味が見えなくなる。
変わった漢字から意味を考えても、違う答えしか出ない。
読み書きの出来る者が少なかった時代、地名の漢字は
正しく伝わらなかったと考えられる。
昔の役人が、元の意味を知らずに「カラ」を漢字で書く時、
大抵は
「唐」と書いたのではないだろうか。
時代や地域によっても変わると思うが、西九州は「唐」と
いう文字との関係が深い事は間違いない。
カラは「涸ら」という事にしておいて、
次は、
コについて考えるだす。

①「比」は「頃」の別字でもあり、読みは「ころ、ごろ」。
「涸ら頃」となり「ろ」は略され「からこ」となったか。
何とな~く現在進行形で水が涸れていってるニュアンスは
伝わるが、地名としてはどうか。
似ている漢字を探すと、此処(ココ)の「此」がある。
「処」もコと読み、場所をあらわす言葉。
場所をあらわすコだったとすれば
「涸れた処」であり、
地名として自然。この可能性は高いだろう。
漢字を選ぶ際に誤解があったのかもしれない。
② 川を「コ、ゴ」と読む地名は、長崎でもよく見かける。
諫早の土園川(どぞんこ)、口之津の苧扱川(おこんご)など。
たぶん、カワ→カウ→コウ→コと変化するのだろう。
石川県には唐川と書いてカラコと読む地名がある。
探せば他にもあると思われる。
唐比にあるのは涸れた池だが、上流の川が涸れた為に
池が干上がる事は当然あるはず。
「涸ら川」だった可能性もある。
③ 江はコウやゴウと読み、川だけでなく「水のある所全般」
を指すオールマイティーな言葉らしい。
「涸ら江」の可能性が無い事もない。
④
「唐湖」であれば、一番ストレートで判りやす子だが、
古い時代に池の意味で「湖」という語を使ったか、コと
読んだか、という疑問が大きかった。
新しい言葉であれば、意味が忘れられる事もないはず。
古い地名の場合、池は、
イケや
トウと表現される。
トウは、人工の堤によく使われる。
やはりこれは違うだろうなと思っていたが、琵琶湖が
16世紀頃すでに
ビワコと呼ばれていた事を知り、
ひょっとこしたらアリかもと思い直した。
ただ「湖」は規模が大きい場合に使われる気もする。
その後、諫早街道をたずねて(山崎 諭著)に、諫早にある
小字
「江湖(えご)」についての記述を見つけた。
湧き水や流れてきた水が溜まって自然に出来た池という
意味らしい。地図を見るとやはり池がある。
小規模な池に「湖」が使われている事もわかった。
ただ、唐比に存在した池は「からこの池」と呼ばれており、
「涸ら湖の池」では意味が重複して不自然。
湿地全体が「涸ら処」であれば、その中の池なので解る。
やはり
「涸ら処」が一番、
妥当だとう思う。 (つまんね。)
思いつく事を並べてみたが、だいたいこんなところか‥。

福岡市西区に、
唐泊(からどまり)という海岸の町がある。
泊(とまり)とは、船が停泊する港のこと。
佐賀県にある唐津と同じで、唐(朝鮮や中国の総称)へ向け
出帆する港だったようだ。
昔は、「からこ」と呼ばれていたらしいが、同じ漢字でそう
読んだかどうかは、知らん。(面倒臭くなってきたな)
最初に出てきた森山町の「唐津」だが、ここは唐比と同様、
「涸ら津」だったかもしれない。
この辺りの古い集落は、突き出した山の麓の一段上がった
ところに集まっている。現在、田んぼのある低地は大昔は
すべて海だったそうだ。
海外と交易があったという話だったが、いろいろ考えると
疑問が多い。ただ、人や荷物を運ぶ港だったとは思う。
集落の背後には小山があるため、微高地や崖からの地名
由来である可能性も考える必要はあるだろう。
そういえば「唐津」は、諫早市街地のむかし港だった所の
小字地名にもある。
この辺りも元は
海だったのが干上がった土地のはず。
古い時代の諫早の津とその周辺の歴史も面白そうなのだが、
まとめた文章や資料は見当たらない。
やれやれ、これも自分で調べんといかんのかい‥。
話が脱線転覆してきた。飽きたし眠いしそろそろ終わろう。
「カラ地名は、涸れた所かも」という話。
おしまい
今年も、あとひとキバリ!ふんっ!