長与の珍川は、どんな珍しい川だったか
長崎地名的散歩
昭和47年頃から、長与町の山を切り開いて作られた
長与ニュータウン

この丘の上に、「珍川」という名のバス停がある。

小学生男子なら、チン皮、チン皮!きゃっほう~!と
大喜びする所だろう。(さっそく下ネタかい!)
しかし残念ながらこれはめずらしがわと読む。
昔からある小字(こあざ)地名だ。

長崎県の小字地名総覧では、表記とバス停の位置は
だいぶ離れている。大曽野という小字も同様。
人が住んでいた場所ではないようなので、詳細な
場所ははっきりしないものと思う。
しかし、川のつく地名なのに、周囲に川は見えず、
道路の両端にある側溝にも水は少しも流れていない。
マンホールもないので、暗渠(あんきょ)になっている
わけでもないようだ。
地殻変動とかの影響で川は消えてしまったのか‥。
そうだとしても、ここに一体どんな珍しい川が
あったというのだろう?
調べても何もでてこなかったので、自分で考えて
みることにした。
① 水ではなく、そうめんが流れていた。
② 川で泳ぐと、河童に尻のほっぺたを甘がみされた。
③ 捕まえた魚が「わしを食うんか?」と涙目で言った。
ウーン、珍しくはあるが、違うような気がする。
やはり、地形による地名だろうか‥。
現在の衛星写真を見ても住宅が整然と並ぶだけで、
元々の地形が判らず、見当がつかない。

Googleマップより ※南北を逆に表示
しかし、昭和41年の航空写真を見ていたら、
地図の神様が降りてきた!

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより
※赤い線は、現在の住宅部分(だいたいのてきとう)
これはたぶん、
「みずなしがわ」だったのが、いつの間にか
「めずらしがわ」に変化したのだろうと思う。
水無し川とは、普段は水が無いのに、大雨の時だけ
水があふれ、ドードー!と流れる場所のこと。地形や
地質によってそういう現象が起きる。
平成の雲仙普賢岳噴火災害で土石流に埋もれた、
島原市の水無川は記憶に新しい。
たわしの考えでは「○○川」という地名の多くは、
大雨が降った際に、増水して川のようになる土地を
そう呼んでいたものと思う。
長与ニュータウンの全体の地形は、手前に傾いた
台の背後に屏風を立てた「ひな壇」のような形に
なっていて、周囲の山とはつながっていない。

Googleマップより
地質的には、大曽野という地名(大きな岩石が
ゴロゴロしている所)や、全面をコンクリートで
固められた背後の高い崖からも判る通り、元々は
表面が風化して崩れやすい岩山だったはず。
つまり、独立した岩山で傾斜地なので、降った
雨は染みこまずに流れ、通常は川ができるほどの
水量はなかったものと思われる。
さらに、台は正面から見た中央部が低くなって
いるため、まるで巨大なジョウゴのようだ。

大雨が降ると、背後の屏風のように切り立った
山の分を含めた大量の水が、谷間に沿って流れる。
Googleマップやストリートビューで見るよりも、
実際の坂の傾斜はきつい。

そして、ほとんどの水がジョウゴの底の部分に
あたる、珍川のバス停付近に向かって集まり、
濁流となって低地に駆けくだる。

そういう土地だったのではないだろうか。
そういえば、メインストリートであるイチョウ通り
の側溝は、ずいぶん深かった。舗装された現在の
方がかえって大雨の際の水量は多く、まっすぐで
抵抗が少ない分、速い速度で流れるのだろう。

珍川の崖の下には「江の下」というバス停がある。
江はこの場合、増水して流れ下る川のことか。
滝のように崖を落ちていたかもしれない。
以前、長与ニュータウンの知人宅に行く際、坂の
途中にあった中華料理屋さんで何度か飯を食べた。
久し振りに懐かしい昭和の味の炒飯を食べようと
思ったのだが、店はもう、普通の住宅になっていた。

地名の意味のように、町の記憶がまたひとつ、
忘れられていくのだろう。
※参考文献:
古代地名語源辞典 楠原佑介編
長崎県の小字地名総覧 草野正一著
長与ニュータウン

この丘の上に、「珍川」という名のバス停がある。

小学生男子なら、チン皮、チン皮!きゃっほう~!と
大喜びする所だろう。(さっそく下ネタかい!)
しかし残念ながらこれはめずらしがわと読む。
昔からある小字(こあざ)地名だ。

長崎県の小字地名総覧では、表記とバス停の位置は
だいぶ離れている。大曽野という小字も同様。
人が住んでいた場所ではないようなので、詳細な
場所ははっきりしないものと思う。
しかし、川のつく地名なのに、周囲に川は見えず、
道路の両端にある側溝にも水は少しも流れていない。
マンホールもないので、暗渠(あんきょ)になっている
わけでもないようだ。
地殻変動とかの影響で川は消えてしまったのか‥。
そうだとしても、ここに一体どんな珍しい川が
あったというのだろう?
調べても何もでてこなかったので、自分で考えて
みることにした。
① 水ではなく、そうめんが流れていた。
② 川で泳ぐと、河童に尻のほっぺたを甘がみされた。
③ 捕まえた魚が「わしを食うんか?」と涙目で言った。
ウーン、珍しくはあるが、違うような気がする。
やはり、地形による地名だろうか‥。
現在の衛星写真を見ても住宅が整然と並ぶだけで、
元々の地形が判らず、見当がつかない。

Googleマップより ※南北を逆に表示
しかし、昭和41年の航空写真を見ていたら、
地図の神様が降りてきた!

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスより
※赤い線は、現在の住宅部分(だいたいのてきとう)
これはたぶん、
「みずなしがわ」だったのが、いつの間にか
「めずらしがわ」に変化したのだろうと思う。
水無し川とは、普段は水が無いのに、大雨の時だけ
水があふれ、ドードー!と流れる場所のこと。地形や
地質によってそういう現象が起きる。
平成の雲仙普賢岳噴火災害で土石流に埋もれた、
島原市の水無川は記憶に新しい。
たわしの考えでは「○○川」という地名の多くは、
大雨が降った際に、増水して川のようになる土地を
そう呼んでいたものと思う。
長与ニュータウンの全体の地形は、手前に傾いた
台の背後に屏風を立てた「ひな壇」のような形に
なっていて、周囲の山とはつながっていない。

Googleマップより
地質的には、大曽野という地名(大きな岩石が
ゴロゴロしている所)や、全面をコンクリートで
固められた背後の高い崖からも判る通り、元々は
表面が風化して崩れやすい岩山だったはず。
つまり、独立した岩山で傾斜地なので、降った
雨は染みこまずに流れ、通常は川ができるほどの
水量はなかったものと思われる。
さらに、台は正面から見た中央部が低くなって
いるため、まるで巨大なジョウゴのようだ。

大雨が降ると、背後の屏風のように切り立った
山の分を含めた大量の水が、谷間に沿って流れる。
Googleマップやストリートビューで見るよりも、
実際の坂の傾斜はきつい。

そして、ほとんどの水がジョウゴの底の部分に
あたる、珍川のバス停付近に向かって集まり、
濁流となって低地に駆けくだる。

そういう土地だったのではないだろうか。
そういえば、メインストリートであるイチョウ通り
の側溝は、ずいぶん深かった。舗装された現在の
方がかえって大雨の際の水量は多く、まっすぐで
抵抗が少ない分、速い速度で流れるのだろう。

珍川の崖の下には「江の下」というバス停がある。
江はこの場合、増水して流れ下る川のことか。
滝のように崖を落ちていたかもしれない。
以前、長与ニュータウンの知人宅に行く際、坂の
途中にあった中華料理屋さんで何度か飯を食べた。
久し振りに懐かしい昭和の味の炒飯を食べようと
思ったのだが、店はもう、普通の住宅になっていた。

地名の意味のように、町の記憶がまたひとつ、
忘れられていくのだろう。
※参考文献:
古代地名語源辞典 楠原佑介編
長崎県の小字地名総覧 草野正一著
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