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地名散歩 コウダ 長与町・諫早市

長崎地名的散歩
04 /26 2020
 長与町に、高田という地区がある。
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 タカダではなく、タカデンでもなく、
 コウダと読む。

 江戸時代の書物「大村郷村記」を見ると、
昔は幸田と書いていたらしい。どうして
長与町民しか読めないような「高田」に
変えたのだろう。

 敵の軍勢をあざむくための策だろうか?


 諫早市の日の出町と飯盛町には、どちらも
香田と書くコウダ地区がある。

これらのコウダ地名がどういう由来なのか、
今回もひとつ、探ってみよう。

 古い地名の文字は、当て字の場合が多い。
それを前提として考える必要がある。

 ○○田という地名の田(ダ)は、大抵の場合、
場所を表すド(処)のことと言われている。

 コウが何なのかが問題だ。

 コウの候補をネットのGoo辞書で探した。

 巧、甲、江、耕、抗‥  ハッ!

 だろうか!?
 
 こう【×肛】しりの穴。「肛門/脱肛」
 [音]コウ(カウ)(漢)

 いや、違うような気がする‥。

 さぁ、怒られるのでこれくらいにしておこうか。


 まずは、地名由来の大半である地形について、
それぞれの共通点を探すことにしよう。

①長与町の高田は、小山がたくさん並ぶ土地の
真ん中に細長い谷の平地が続いており、そこに
県道33号線とJRの線路が通っている。
kouda_zenkei1A.jpg
  Googleマップ 3D衛星写真より

 市街地と長与方面を結ぶ重要な交通ルートで、
新たに駅が出来た事もあり、山裾は切り削られ、
住宅地がドンドコドコドン増えている。
DSCF0069A.jpg

  
②飯盛町の香田は、山の中の小さな農村集落。
麓から見えない隠れ里のようなところ。
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集落の真ん前にある、丸い小山が印象的。
kubo_kouda1A.jpg
  Googleストリートビューより

③諫早市日の出町の香田は、福田川沿いに広がる
細長い稲作地帯の中程にあり、日の出町の尾根の
方へ登る急坂の下あたり。香田公民館がある。
DSCF0433A.jpg

 少し下流に、「香田」の小字地名もあるが、
地形的に特に変わった様子は見られない。


 ①と②に、「小山」という共通点があった。
 
 小山のことをコウというのだろうか?
辞書を見ても、ネット検索しても見つからない。


 あーっ! ひょっとこして、

 コブか?


 調べたら、昔は、かふ、こふ、かう、こう、と
書いて、すべてコウと発音したようだ。

 古代地名語源辞典を見ると、かふは傾(かぶ)く
で崖地のこととある。こふは、拳状に突き出した
所か、とある。

 コブシというより、コブだろう。

 そう考えると、大江戸八百八町、掛けてもつれた
糸のような謎が解けてくる!


 長崎港にある女神大橋の西岸は、男神(オガミ)
または、神崎鼻(コウザキバナ)と呼ばれる。
鼻は地形用語で、先端の部分。

 古くから神社があるので神崎だと聞いていたが、
なぜ、カン・カミでなく、コウと発音するのかは、
越中先生も、ヒロスケ氏も教えてくれない。

 崖地なのも確かだが、岬の先っちょは丸く突き
出している。
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 神崎鼻=「コブ状の岬の先端」なら、
その形からも大いに納得がいく。


 あとは、諫早市日の出町の香田に、コブ状の
地形の痕跡が見つかれば完了だ。

 香田公民館の裏の傾斜地は、周囲と比較して
丸い形をしている。竹林が無ければコブ状に
見えるのではないか?

 そう考えたのだが、実際に見るとコブとは
いまひとつ思えない。どうしたものか‥。


 それからしばらく検討は中断したが、意外な
ところでヒントが見つかった。

 大村市の寿古町には、好武(ヨシタケ)という
何かカッコいい感じの地名がある。

 場所は郡川(こおりがわ)の河口近くで、流れが
ほぼ直角に曲がるカーブの外側のところ。
koubu1A.jpg
  Googleマップより

 ここは周囲の土地よりも少し盛り上がっていて、
標高9メートルの「高台」には城跡もある。

 郡川が氾濫した際に、溢れた土砂が積もって
形成された地形に違いない。

 元々は「コブ」と呼ばれていたのが、人間が
暮らすようになり、好武(コウブ)になり、読みも
ヨシタケに変わったのではないかと思う。


 諫早市日の出町の香田も、川が曲がるカーブの
外側に当たり、増水時に溢れた土砂で、コブ状に
盛り上がっていたのではないだろうか。
hinode_kouda1.jpg
  Googleマップより

本明川の支流である福田川も、暴れ川であり、
昔からたびたび氾濫を起こしている。
香田小字
 長崎県の小字地名総覧より

 小字地名の香田一ノ割、香田ニノ割‥というのは、
地割制度といって、洪水などで被害を受ける農地を
交替で使うことでリスクを均等にする事に依るもの。

この地名からも、氾濫の多い土地だった事が判る。 


 さらに、五島の五島市にも、高田(コウダ)町を
見つけた。ここも周囲に比べて盛り上がった所が
明らかに多い。
gotou_kouda1A.jpg
  Googleマップより

 地名の文字については、古い時代からたびたび、
「佳い字に改めよ」とお達しがあったらしい。

 人間のこぶは病気の場合もあり、こぶ付きとか
言葉のイメージもよくないため、読み方がコブ・
コフからコウにされ、漢字も高や香や幸などに
変えられたのではないだろうか。

 一応、「肛田」も探してみたが、残念ながら
見つからなかった。
(あってたまるかーい!)


 コウダは、元はコブダではなかったか?

 これが今回の結論。


 長与町の高田は、もっと開発が進めば、凸凹は
さらに減り、古い地形は判らなくなるだろう。
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 地形地名の検討も、開発のスピードに比例して
どんどん難しくなってくる。


 うちの近所も、新しい住宅地に道路に新幹線で、
緑色の土地がどんどん灰色に変わっている。

 そして、神の森も仏の御堂も遥かに見下ろし、
天に向かい無遠慮に次々と聳え立つ高層住宅。

 それはまるで、「古い時代」の墓標のように。

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地名散歩 畦別当(あぜべっとう) 長崎市

長崎地名的散歩
04 /20 2020
 諫早市から長崎市へ貧乏人がクルマで向かう場合、
有料道路の長崎バイパスを横目に険しい県道を行く
「川平(かわびら)越え」ルートがお財布に優しい。

 この峠を越えた所に、
畦別当(あぜべっとう)という、
モヘモヘに意味不明な地名の集落がある。
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 地形的には、両側を山に挟まれた谷が長く続く、
ゆるやかな傾斜地。

 昔は谷川沿いに田んぼが連なっていたが、現在は
自動車道路が町を真っ二つに分断している。

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長崎バイパスの向こうの家へは、高架下をくぐって行く。

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 この町には長崎バイパス路線用のバス停があり、
麻呂は高校生の頃、帰りにたまに乗るバスの車内
アナウンスで、畦別当という地名の存在を知った。

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 しかし当時は、この変わった地名の意味などを
考えるはずも無く「変なさ~ 汗べっとべと~」
などと、死ぬほどつまらんボケをつぶやくだけの
「長崎たわけもの」だった。

あれから40年!

 ようやく「畦別当」の謎に迫る時が来たようだ。

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◎まずは、畦(あぜ)。
  
 畦は、一般に田や畑の周囲の通路の事を言うが、
「高くなった所」の意味がある。または「崩れる」
という意味の「アズ」が変化したものか。

 山の上の集落なので、当然高いところにあるが、
地形的に高い場所にある訳ではなく、むしろ谷間。

崖に囲まれた所なので、アゼは崩落崖だと思う。

◎そして、別当(べっとう)。

 「別当」というのは、昔の盲人の役職のひとつで、
検校(けんぎょう)に次いで、二番目に位が高いもの。

 しかし、ただでさえ不便な山の中に別当職の人が
住んでいたとは思えない。ベットウには、何か別の
意味があるはずだ!

ベッド、弁当、べっ甲、別荘、汗べっとべと、
ベトナム、便壺、ベートーベン。


う~ん。どれも関係ないような気がする。


 そして、あれこれ夏体みの研きゅうを重ねた
結果、ひとつの仮説にたどり着いた。

DSCF0555A.jpg

 これは「隠れ地名」ではないだろうか?


 長与の平木場郷に、隠川内(かくしがわち)
いう集落がある。地名の通り、入り口の両側から
迫る山に隠れて外からは見えない。

kakushikawachi01A.jpg
Googleマップ 3D衛星写真より

この「隠れて見えない」という地形状況は、広く
地名に取り入れられている。

 「隠れ谷」という呼び名の所もあちこちにある。

 カクラや神楽(かぐら)のつく地名も、隠れるの
意味の場合が多いらしい。

 「盲(めくら)谷」という地名は、辞書で調べると
「出口のない谷」だが、谷に限らず、盲〇〇という
地名は、その地形の状況から見て「隠れ」と同様、
「見えない、ふさがった」
いう意味で使われていることは明らかだ。


 めくらという言葉は、現在は差別用語であり、
パソコンで「めくら」と打っても「盲」とは変換
されないし、放送禁止用語なので、「めくら」と
言っても「め ピ ──!!」と消される。

 昭和生まれの人は、盲人を「めくらさん」と、
話の上では言ったが、差別していたのでは無い。
それが普通だったのだ。

 何かをふさぐための板は、工業製品であっても
めくら板などと表現されていた。めくらチェック
や、めくら印などは、今でも使われる用語だ。

まさか?と思って調べたら、現在はパソコンの
「ブラインドタッチ」も差別用語だそうな。

人に言われて嫌なことは言うべきではないという
のはよく解るが、これはもう、年寄り差別なのでは
ないかという気さえしてくる。

 つまり、時代は変わったということだ。

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 地名は、長い歴史の中でたびたび、良くない
表現のものは、よい言葉や漢字に変えられた。


 人が住む土地が「めくら」では良くないので、
地位の高い「別当」などに変えるのが流行った
時代があったのではないだろうか。

 最高位の、検校(けんぎょう)という地名も、
他県には存在している。平坦な土地の場合もある
ので検証は必要だが‥。

 
 いろいろ書いたが、畦別当とは、
「崖に囲まれて見えない所」
だろうと思う。

 地形を確認するまでもなく、ここは山に囲まれ、
近くの高い山の上からでないと見えない。

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 長崎県の、他の地域の別当地名も確認した。
開発が進んだところは判りにくいが、大体が
山や崖に隠れていたと思える場所だった。
 (※座標はGoogleマップ検索用)

◎長与町岡郷 戸別当
32°50'39.6"N 129°52'17.2"E
 
◎時津町久留里郷 別当
32°50'04.7"N 129°50'16.4"E

◎時津町野田郷 左別当 ひだりべっとう
32°49'23.3"N 129°50'12.2"E

◎三和町宮崎郷 田別当
32°37'05.1"N 129°49'47.1"E

◎飯盛町里名 帆別当 ほべっとう
32°45'56.4"N 129°59'39.1"E

◎森山町唐比北名 別当、別当谷
32°48'24.7"N 130°07'38.8"E


 長崎市の中里町には、冗談ではなく本当に
弁当(べんとう)という、うまそうな
小字地名がある。※弁は旧字の「辨」

 よっぽど腹の減った人物が命名したのかと
思ったが、地形を確認すると、やはり病院の
ある手前の山に隠れて見えない所だった。

32°47'47.7"N 129°57'48.0"E
bentou01A.jpg
Googleマップ 3D衛星写真より

 ベットウが、ベントウに変化したのだろう。

 「隠れ地名」は、この他にもいろいろある。
機会があれば、股出していこう。

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 「隠れ里」でまず思い浮かぶのは、平家の
落人伝説。長崎周辺でも、ちょっと奥に隠れた
ところや山の上の集落は、すぐ平家の末裔と
言われる。民衆はそういう物語が好きなのだ。

 隠れた土地に住む事情はいろいろあるだろう。
近隣の村との争いがいやになったり、遅れて
開拓を始めたため、便利な土地がなかったり、
あるいは実際に故郷を追われて来たり。
災害に、重税に、借金取り。
 
 今も昔も、民衆は何かを我慢して生きていく
という点に変わりはない。

 山の暮らしは不便で厳しいが、自由もある。

DSCF0563A.jpg

 何を捨てて何を選ぶか。

 本当に自分に合った生き方ができるのなら、
厳しくとも幸せなのだろうと、近ごろ思う。




参考文献:
 古代地名語源辞典 楠原祐介 編
 長崎県の小字地名総覧 草野正一 著

※畦の字が、よく見たら畔に変換されていたため修正しました。2020/4/25

Ramblingbird

長崎南部の自転車散歩やどうでもいい出来事を、小学生ギャグを交えて書き散らします。お下劣な表現を含みますのでご注意下さい。