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縄文 謎のY字材を考える

古かもん見てさる記
06 /05 2021
 自転車や地名の記事も準備しているのだが、なかなか進まないので(それを怠けと言う)、今回はちょっと目先の変わった話をひとつ。

 1997年、富山県小矢部市の桜町遺跡から出土した縄文時代の木製品の中に、長さ2.5mで用途不明の「謎のY字材」があった。
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   小矢部市教育委員会発行 JOMONパーク桜町遺跡ガイドより

 自分は去年のヤフーニュースで初めて知ったが、地元では早くから話題になり、様々な意見が寄せられ、町おこしにも役立てられていた。
 去年のニュースでは、これはテコの原理を使った「丸太を引き上げる道具」かもという事で、桜町石斧の会の人達がレプリカで実証実験をされていた。面白い試みだったが、説自体は、ちょっとどうかなという感じだ。

 しかし、謎好きの自分としては、興味津々!

 おう!と聞いては黙っちゃいられねぇや。大江戸八百八町、かけてもつれた謎を解くのが、岡っ引きの役目ってもんでぇ!(いや、富山ですがね)

sakuramachiiseki_01A.jpg
   小矢部市教育委員会発行 JOMONパーク桜町遺跡ガイドより

 早速、小矢部市のホームページなどを見て、こりゃ何じゃろかいと考えた。
 そして、程なく飽きた‥。

 今年になって、また思い出して検索してみたら、これは「修羅」という、重いものを運ぶ木ぞりでほぼ決定~!みたいな話になっているようだった。
「えっ、シュラ?そうなの?」
syura3A.jpg
Web風土記ふじいでら 三ツ塚古墳出土の修羅 ←リンク

 去年の秋には、親子でY字木ゾリを引いて荷物を運ぶレースイベントが開催されたらしい。

 福井大学やら日本機械学会やらの学者先生が、「これは木ゾリであろう」という論文を書かれていた。それなら間違いないのだろうと研究の概要を読んでみたが、どうも違う気がする。
※桜町遺跡出土のY字材用途(Y字材の用途の検討) ←リンク(PDFファイル)

 これはやはり、よく確かめてみる必要がありそうだ。

 まず、Y字材に関する情報を整理しよう。
YJIZAI_A1.jpg
YJIZAI_B1.jpg
    富山県小矢部市桜町遺跡発掘調査報告書より(一部追記)
   
・Y字材は、谷間の遺跡から、太めのAと、細めのBの2本が出土した。
・地下水の流れの中にあったため、木材だが奇跡的に原型を留めていた。
・いずれも長さは約2.5m。Aの方が、材が太めで二股部の開きが大きい。
・二股部の片面だけ、平面に加工されている。(※こちらを仮に表側とする)
・Aは、二股部先端の表側に欠き込みがある。Bは摩耗して判断が難しい。
・Y字の下側になる部分は、先端が少し絞り込んだ形になっている。  
・平面部の反対側の面には、加工痕や摩耗痕が無い。


◎「修羅(木ぞり)である」とした場合の疑問点は、次の通り
・大阪府藤井寺市の三ツ塚古墳出土の「修羅」(下の写真)と形は少し似ているが、構造的な共通点は見えない。
syura-2A.jpg

・先端になる部分の裏側は、ソリだけにそり上がった形状にすべきだが、Aはそうなっていない。Bは底面のコブが仕上げられていない。ソリならこれは大きな抵抗になる。
・重いものを運ぶ木ぞりにしては、二股部の厚みが、Aで最低140mm、Bで120mmと薄く、強度が足りなさそう。
・二股部先端の欠き込みは、ココを棒で押して運ぶタイプのためとされているが、それで効率的な推進力が得られるとは思えない。また、左右別々に押してまっすぐ進むのは難しい。底面側に欠き込み加工をし、テコで持ち上げて少しづつ進んだ方が、まだマシではないか?
・補助的に前から引いたとしても、先端にロープや棒を取り付ける穴が無い。
・裏側(底面)に加工痕や摩耗痕が無いのは、丸太の上を転がしたためか、あるいは新品だからとされている。しかし、丸太の上を転がしても線状の痕は必ず付く。それ以前にAの底面はコークボトルのように凹凸がある。底面はほぼ平らでないと、ソリとして成り立たないはずだ。


◎Y字材の特徴ごとに、その役割を考えてみる
 Q:二股部の片側の平面加工は何のためか?
 A:物を置くため 上で作業をする 人が乗りやすい 
  →平面部を上向きにして使った可能性が高い

 Q:二股部先端の表側に、欠き込みがあるのはなぜか?
 A:他の部材を固定する 手や足をかける ロープをかける
  →平面部を上にして置き、欠き込み部を段付の杭で止めた  

 Q:Y字の下端部が細く絞り込まれているのはなぜ?
 A:地面に打ち込む 地面に差し込む、埋める 船だから
  →平面部を上にして、斜面や崖面に打ち込んだ
  →水に浮かべて使ったのかも

 やはり片側の平面加工が大きな特徴なので、上記を踏まえ、次の3つの用途に絞り込んだ。
 ①橋
 ②立って乗るボート(いかだ)
 ③人が上に乗って何かするもの


 ①、②は、小矢部市の(おそらく)子ども達の案にもあったが、論文では完全否定されていた。 
 
 ③は、①も②も含んで範囲が広い。大きさからして、人が上に乗るものだと思うが、つまりは「よく判んない」という事だ。さらに絞り込んでいくが、なかなか答えが見つからなかった。

 このY字材は、一体「何をするためのもの」だったのか?
 まあ、答えが出なくても、あれこれ空想することが楽しいのだが‥
 空想? クーソー‥

ハッ!もしかして!

「ウンコ」か!?
これは、トイレではないのか?

 日本では昔、トイレを、厠(かわや)と言った。元々は「川屋」であり、川に突き出した所に足場を組み、そこで用を足していた。ただ、誰も現物を見た者はいない。
 Y字材は、二股の部分を川に突き出し、そこに座って用を足していたのではないか?
 
「縄文式Y型水洗トイレ」と名づけた!
 (勝手に決めて名づけるな!)
jomon_ywc01A.jpg

 ◎Y字材各部の、おおよその寸法 
YJIZAI_A2.jpg
YJIZAI_B2.jpg
    富山県小矢部市桜町遺跡発掘調査報告書より(一部追記)

 サイズ的にも、便器になる部分の幅は現在の和式便器と大差なく、二股の板の部分に足を乗せてしゃがんだら、自然にホールインワンだ!
 A、Bふたつのサイズの違いは、大人用、子ども用で使い分けたと考えられる。さらにY字なので、座る位置でアナタにピッタリの微調整も可能!
 座る部分は平面仕上げ。あわて者が足を滑らせ、ウンコと一緒に川に落ちる恐れもない!
 そしてまた 川に向かって立ちションすれば ほんに気持ちがようごんす
 (歌を詠むな!)

 それから、Y字材ならば、トイレを効率よく設置できるだろう。

 広い小川なら、Y字材を川の土手の側面に水平に打ち込む。あるいは、何か丸太など重いものに先端を差し込んで固定する。そして、柱になる部材を2本、川に打ち立て、そこにY字部が乗るように調整する。
 安全対策として、柵を立てたりロープを張ったりしたのではないか。
jomon_ywc02A.jpg

 狭いクリークなら、Y字材を渡し、動かないように杭などで固定すればOK。この場合は橋としても機能する。
 雨期などには、素早くはずして保管することもできる。自然の川は形が変化するので、それに対応できるように改良していた事も考えられる。

 Y字材はトイレでは?と思い、古代のトイレの画像を検索したら、弥生時代の川屋トイレの想像図が、あまりにも考えたものと似ていて、漏らしそうになった! 
yayoi 01A
   (↑TOTO博物館の展示模型写真を参考に、たわしが書いた)
 入手しやすい材料になったが形は同じ。これは期待できるかも!

 縄文時代の集落跡では、トイレの跡が見つからないと言う。木製の川屋だったため、ほとんど遺構が残っていないのだろう。
 昔は、庶民は野っぱらにしゃがんでタレていたと言われているが、それでは人口が多い集落だと、縄文語で「ウンコふみお」というニックネームの人が急増して、収拾がつかなかったはずだ。
 第一、村中がウンコくさかろう!

 この時代の衛生観念や羞恥心がどのようなものかは判らないが、整然と文化的な集落を形成していた集団なら、決まった場所をトイレにしていたと思う。

 ちなみに、ウンコを肥料として利用するようになったのは平安時代頃からの事らしい。
  (何度もウンコウンコ言うな!)

 さて、Y字材は縄文のトイレだったかもと言うのが、今回のお話じゃった。
 股木だけに、股つながりということでね。

 ただ、万が一そうだった場合、町おこしの体験イベント開催は、非常に困難になるだろう‥。
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Ramblingbird

長崎南部の自転車散歩やどうでもいい出来事を、小学生ギャグを交えて書き散らします。お下劣な表現を含みますのでご注意下さい。