fc2ブログ

ウマッソヨ!

日々の事
06 /27 2023

 自分は今年になって、食べ物の好みがちょっと変わった。


 今まで滅多に食べなかった辛いものが急に食べたくなり、家にはキムチと唐辛子とコチュジャンを常備している。

DSCF7602A.jpg
 キムチは安いのを中心にいろいろ試したが、現在は、韓国の宗家(チョンカ)のキムチ大瓶をリピート中。Aコープのコストコフェアで売っていた。

 熱いごはんにキムチを乗せるとア〜ラ不思議、魔法のようにごはんが無くなる!
こんにちは 私の新たな豚の素! (変な句を詠むな)


 甘めのお得用キムチに唐辛子を追加して安く上げる作戦も考えたが、甘いキムチは増粘多糖類(グアーガム)が入っているため、どろどろしててキムチ悪いのでダメだ。(つ、つまらん!)

 
 味噌汁にはコチュジャンを入れ、追い唐辛子をする。休みの日は、カップのマルタイ長崎ちゃんぽんにもコチュジャンを入れ、中国産の辛い粉唐辛子を入れ、香り付けに七味唐辛子をかける。ベースがいいので赤いちゃんぽんも辛旨~!


 コチュジャンは、韓国産のビビゴのコチュジャン一択。スーパーでも一番売られているようだ。

 
 日清食品のとんがらし麺は、半分食べてからごはんを投入してお茶漬けのようにかき込み、カラムーチョにも唐辛子をふりかけヒーヒー言って喜んでいる。

 以前、韓国メーカーの激辛カップ麺を食べ、次の朝、腹を壊して後の銃口が大変な事態になった「ヤシマ作戦事件」のあと、辛すぎるものは食べないようになっていた。
※その時の記事はここ(※閲覧注意!)


 それ以前もひどく辛いものは食べる方ではなく、調子に乗って食べると、整形しすぎのセレブのようにクチビルが腫れ、銃口も火が着いたように
激辛味になり、シビレて大変だった。


 それが今は、毎日、辛くないものも辛くして食べている。こんなに好みが変わるとは、自分はどこか悪いのだろうか? (頭でしょうね)


 豚汁にコチュジャンを入れるとウマイというのを何かで見たのがキッカケだったと思うのだが、あまりの変化に自分でもあきれている。


 ヤシマ作戦事件は「トラウマ」だったが、
私の辞書に「カラウマ」という言葉が加わった。


 孤独のグルメで、五郎さんが思わずおかわりした、わさび丼という料理がある。かつお節をたっぷりかけたごはんに、擦りたての本わさびを乗せ、醤油をかけ回すだけの究極にシンプルなもの。
 最近は、これをSBの刻みわさびチューブで安く再現して食べるのがマイブームだ。(いやビンボくさっ)
 次は奮発して、200円もするカメヤの伊豆産本わさびチューブを使ってみようと思っている。佐賀の太良町には、掘り立ての本わさびを買える農園もあるらしい。いつか儲けたら買いに行こう。ああ楽しい。(ああ、わびしい)

 意図せず激辛にハマってしまった昨今だが、肛門の狼が暴れ出すこともなく、まあまあ健康に過ごしている。
 唐辛子の辛味成分であるカプサイシンは、脂肪燃焼や血行促進に効果があるそうだ。その割に全然痩せないのは何でだろう。(そりゃ酒飲んで食うからだ)

 余談だが、ヤシマ作戦事件が発生したのは、以前の長崎駅保線区にあった月極め駐車場だった。Googleマップなどを見ると新しく出来た駅舎の所であり、新幹線かもめのホームの真下だったかもしれない事が判った。


※借りていた保線区の駐車場(推定位置) 

ns-parking_h22A.jpg

        国土地理院 空中写真サービスより

※現在の長崎駅

ns-parking_r5aA.jpg

         Googleマップより

 あの時、現在のかもめのホーム下で、人間の尊厳を守るために必死でウ◯コをガマンしていたと考えると、何か、自分とかもめとの不思議なつながりを感じるのだった。
(こらこら、無理矢理つなげようとするな!)



スポンサーサイト



久しぶりに長崎駅へ

日々の事
06 /25 2023

 土曜日は、用事で長崎駅の方へ出かけた。


 いつもなら原付で行くが、ずいぶん前に買って全く使ってなかった東京駅百周年記念Suicaを机の中の地層から発掘していたので、今回はJRで行く事にした。

IMG20230625112453A.jpg
 公共交通機関はほとんど乗らないので、Suicaなど使ったことがない。先日の出張では、領収書の出し方が判らず使うのをあきらめていた。

 どうだ、すんごい田舎モンだろう?(開き直るなよ)


 諫早駅は駐輪場がよく判らず、西諫早駅は急行が停まらないため、喜々津駅まで原付で行って電車に乗った。
 初めてCIAカードとやらを機械にかざす際は、やり方を間違うと改札がガシャンガシャンとロボット形態に変形して拘束され、逆さ吊りにされると聞いていたので緊張した。(そんなつまらんウソを言ってまでウケたいか)


 長崎駅周辺はまだまだ工事中。駅前は100年がどうとかテレビで言っていたので、100年くらいかかるのだろう。(かかってたまるかい)

IMG20230624134535A.jpg

 駅前高架広場は解体中。屋根がないのでここで休んだりすることは無かったが、見慣れた景色が無くなるのは、ちょっぴりセンチメートルになるものだ。

IMG20230624134550A.jpg

 新しい駅舎は、どう考えても新幹線かもめを見せびらかすためにガラス張りにしているとしか思えない。(個人の感想です)

IMG20230624162957CAAA.jpg
 飯盛町のある小金持ちが、大型の液晶テレビを買ったことを近所に自慢するため、テレビのダンボール箱を玄関先に一ヶ月くらい、よく見える角度で置いていたという実話を思い出した。


 駅前で用事が済まず、浜町(はまのまち)へ行く必要が出てきたため、路面電車に乗った。たびたび値上げされ、とうとう大人140円になっていた。


 昭和30年代くらいの製造かもしれない、見慣れた古い車両にも、最新のハイテクICカード機器。時代は変わった。

IMG20230624143245A.jpg
 昔は、電車の折り返し地点の停留所で、運転士さんが料金箱を取りはずして手に下げ、反対側の運転席に運んでいたものだった。

 
 路面電車では、Suicaが使えることを知らず現金で払ったのだが、じいさんばあさん達もけっこうICカードを使っていた。
 やはり我々の時代は終わったということだ。


 用事が済み、浜町から長崎駅に戻るのも面倒なので、高速シャトルバスで諫早に帰ろうと思い、中央橋バス停へ向かった。しかし、喜々津駅に原付を置いて来たことを思い出し、慌てて電停へ引き返した。
 シャトルバスは諫早インターで高速を降りるので、喜々津に寄る訳がない。思い切り無駄な逆戻りをするところだった。脳ミソがだいぶヤバくなっている。


 最初に長崎駅に着いてすぐ、かもめ市場で弁当を買っていたので、諫早に戻って遅い昼食にした。

 久しぶりの、くらさきの鯨カツ弁当。予約無しでは長崎駅でしか買えない。本当は、鯨すき弁当がよかったのだが、売っていないようだった。

IMG20230624175729A.jpg
 もちろん、グレートローリングサンダーウマシャス!

 ここは、人が来ることのない海岸のどん詰まり。

IMG20230624181135AA.jpg
 さっきまでの人混みとは対極の、穏やかな時空間。寄せては返す波の音が心地よい。空港に降りていく飛行機や、砂の運搬船を見ながら、フナムシと共にしばらく過ごした。 


 かもめ市場では、弁当のほか、日曜日に妻の実家への簡単な手みやげにするため、松翁軒のチョコラーテを買った。

DSCF7620A.jpg
 チョコ味のカステラでは、自分はこれ一択。冷やして食べるのがベスト。夏でも
ギガントウマシャスだ。他のものは、パサパサだったり味がケイン濃すぎだったりで頂けない。

 そして、つい出来ごころで、松翁軒のかもめカステイラを買ってしまった。

DSCF7605A.jpg
 カステラでもカスティーリャでもないところがミソだが、味噌は入っていない。
(はいはい)

 最初は「カスティラ」と読んだが、松翁軒HPにはカステイラと書いてあった。


 これは、箱を切り貼りすると新幹線かもめにトランスフォームする、おこちゃま向けの製品だ。いい歳のおっさんが興味を持つようなものではない。
 うぅ〜む、完全に松翁軒の間合いに入っていた。これはうかつだったでしゅ。


 中には組立説明書や貼り付けるシール、新幹線かもめ紹介の冊子などがはいっている。

DSCF7611A.jpg
 カステラは、
648円で売っている五切れ入りの普通のカステラ。甘すぎず、ネチョネチョしすぎず、パサパサでもなく美味しい。

 このシリーズはお手軽なので、チョコラーテなどは時々、家で食べる用に買っている。


 まあ、買ってしまったものは仕方ないので、かもめカステイラを組み立てた様子を書いておこう。


 ハサミで切り込みを入れ、一部に両面テープを貼って折るだけ。簡単に完成する。これなら猫でも
(いや、作れんぞ)

DSCF7617A.jpg
 一応ちゃんと新幹線に見える。諫早図書館のかもめといい勝負だ。 


 問題は、引き出しが半分しか収納できず、小物入れにするとしてもムダなスペースが多いこと。

DSCF7619A.jpg
 無論、メーカーはそんなことは想定していないだろうが、あまり実用的ではないので、小物入れとしては考えない方がよい。
(そう考えたのはお前だろう)

 でも、乗りもの好きの子どもには、いいおみやげになるかもしれない。




やっとかもめに乗った

日々の事
06 /18 2023

 去年の9月、ウチのよく出来た嫁様が、西九州新幹線かもめの試乗会に応募し、見事当選!!万歳しながら奇声をあげて踊りまくった。


 唐草模様の風呂敷包みに竹の皮の弁当入れと、準備万端整えて正座して当日を待っていたが、台風14号の雲古野郎のせいで、まさかの中止!

 これは完全にガッカリ八兵衛だ。わたしが子どもだったら、グレてよっちゃんイカやうまい棒を万引きしていただろう。
 仕方がないので、諫早図書館のかもめ号に乗ったが、ベニヤ板だし動かないし、ただ虚しいだけだった。(乗ろうと思うな)
isahaya_kamome1.jpg 
 その後、「よかけん一遍、冥土のみやげにかもめに乗ろうで」と話していたのだが、諸般の事情でなかなか行き出さずにいた。


 しかし!今回、仕事とは言え、やっとこさ、ひょっとこさ、かもめ号にご乗車の運びと相なった。しかも仕事なので無料!苦節9ヶ月、ようやく掴んだこの機を逃すな!無人在来線爆弾、全車投入!! (勢いで書いてるだけなので無視してよし)


 そういう訳で、新幹線に乗って一泊二日の京都出張に行ってきた。今回は強行軍なので、寺いっちょ見るヒマもなかったのだが、新しい新幹線を体験できてよかった。
 ハッ!まてよ。新幹線は「新しい幹線」なので、「新しい新幹線」というのは変ではないか?
 だからといって、古くても「古幹線」や「旧幹線」とは言わない。古くなったら一体どうすればいいんだろう。(いや知るか)

 諫早駅は、新幹線ホームが地上の高さにあるのが珍しいのだそうだ。

DSCF7598CA.jpg

だが、正面の東口から入ると、3階まで上った所に切符売り場があり、改札を入って1階下に降りたところにホームがある。でもそこは2階ではない。

 妖怪ビルのようだが、諫早駅の線路は元々、河岸段丘の上のような一段高い位置にあり、東口は坂だったため、平地にしたら段差が増えて変な構造になったのだろう。


 ホームを出発した先は、高架線路への登り坂になっていて、ちょっと銀河鉄道っぽい。

DSCF7379RA.jpg

 とても大きな都会の駅のようだが、駅は左の部分だけで、右半分の大きい方はホテル。

DSCF7594sA.jpg

 田舎の小金持ちが、自分を大きく見せようと見栄をはるのを思い出した。 


 とにかく、同僚とふたりで、諫早駅を11時54分発のかもめ24号に乗って、えっ?運休?

 
 架線に飛来物が引っかかったため点検とかで、いきなりの運休だ!ワオ!なんて幸先のよいスタートだろう!


 実は先月も、仕事で熊本の取引先へフェリーで行く事になり、島原外港に着くと、乗る予定の便が霧で運休になっていて、皆で呆然とした。

 結局、国見の多比良港まで戻って有明フェリーで渡った。


 う〜ん、しかし2回連続で運休とは、たわしは変な能力を得てしまったのではないか。

ようし、来月は何を運休させてやろうか。ウヒョヒョヒョヒョ!

 出張一日目は移動だけなので、一本遅れても仕事に支障はない。夕方の自由時間が短くなるだけだ。山勝食堂で少し早めの昼ごはんを食べて次の便に乗った。

DSCF7380 sA
 自分は鉄道の事はサッパリなのだが、かもめはN700S系という車両らしい。車体も線路も新しいためか、発車も停止もすごくスムーズで乗り心地がよく快適だ。

 とても蒸気機関で石炭を焚いて走っているとは思えなかった。(走ってねえよ)


 ヒュイ〜ンというターボ車みたいなモーター音が聞こえるが、耳障りではなく心地よい響きだ。 
 あまりに快適だったため、武雄温泉駅で乗り換えたグレーのリレーかもめは、昭和の鈍行列車かと思うほどの落差があった。
 以前の「白いかもめ」とはまた違うのか、発車の瞬間、ガクンガクンと前後に大きく揺れ、全員、首が張り子のトラのようになってしまう。減速時も同様だ。


 在来線規格の古い線路なので、仕方ないところはあるのだろうが、走行中は横にもけっこう揺れ、線路の継ぎ目か何か知らないが、「ンガッ!」と大きく振られ、窓に側頭部をぶつけそうになる。赤ん坊は首がよく座ってから乗せたほうがいいだろう。

 スマホで書き物をしていると、揺れて画面のキーをちゃんと打てず、「たSじぇのSMでTWんぢふぁ」とかなるので、途中であきらめた。新幹線では全然問題なかった。


 武雄温泉駅での乗り換えはやはり面倒だし、繁忙期には自由席の奪い合いになるだろうし、早く全線フル規格にしないと「佐賀の張り子のトラ列車」などと変な評判が立って‥、ハッ!もしかして、国がわざと、佐賀に揺れる列車を‥


 佐賀県がカネをしぶるのが悪いような言われ方もされているが、メリットが無いものに大金を出したくないのは当然だろう。しかも約束と違う事を勝手に進められれば。

 佐賀にも観光資源はいろいろあるし、安くて広い土地もあるはずので、それを活かせるように国が民間と協力して先導するくらいの事をすればよさそうに思うのだが、どうなのだろうか。


 自分は、佐賀平野の「遠くにかすむ山並みを見渡す風景」が好きだし、有明海の干拓地や干潟の「異世界な雰囲気」を楽しむために時々訪れる。美味い日本酒もあるし、自分が知る限り人も親切だ。

 ただ、その辺りには新幹線は通らない。(イヤミか)


 博多で山陽新幹線のぞみ号に乗り換える。車両は同じようなタイプだったが、ヒューンという音はあまり聞こえなかった。もちろん快適だったが、かもめの方が、スムーズで滑らかなように感じた。

 新しいからだろうか。

DSCF7389A.jpg


 京都の宿には18時頃に到着。歩いて移動するだけで汗だくになった。翌日、朝から現場へ調査に行き、イヤというほど歩かされてまた汗だくになった。当日中に帰る予定だったのだが、責任者が残業すると言い出した。

 それではもう1泊するしかなくなる。しかも汗だくの汚れたパンツしか無い。裏返して使用する訳にもいかず、履いていても安心できない!

 次の日に朝からやる仕事もいっぱいあったので、もう一人を人質に残して自分だけ当日中に帰ることにした。


 ひとりで知らない街を移動するのは苦手ではないが、時間の余裕がないとやはり不安はある。昔は車掌さんや駅員さんに必死で確認していたが、今はスマホがあるので、時刻表も路線も、駅の構内図も見れるし何とかなる。

 しかも!いざとなったら、電話をかける事もできる!

 もう、わしらの時代は終わったということだ。


 18時02分発の、のぞみ77号に乗れば、22時24分には諫早に帰れる。ただ、新神戸と新鳥栖と武雄温泉駅の3箇所で乗り換えになる。

 最初に予定していた便は23時30分頃の諫早着だったので、家に着くのは翌日だ。やはり少しでも早く帰って、脱水症状の体に、冷たくてシュワシュワした飲み物を注ぎ込みたい!!


 京都駅の切符売り場のおねえさんに、のぞみ77号の乗り換えは大変だろうかとネイティブな長崎弁で聞いたら、田舎モンと察して乗り換え駅と時刻が判るレシートのような紙を印刷して説明してくれた。これさえあれば大丈夫だ。ありがとう!

DSCF7591A.jpg
 帰り着くまでに何度も確認したので、ボロボロ。


 一応、会社用に京都のみやげを買おうかとお菓子を探したが、「おたべ」のようなものばかりで、みんなで分けられるものが見つからずあきらめた。結局、家用の水なすのしょうゆ漬けを1個だけ買った。


 京都駅では、早速、自由席の号車をひとつ間違えて指定席のところに並び、歩きすぎて足が痛いのに座れなかった。
IMG20230614180001A.jpg

 通路に寝転がって、座っている人を下から凝視してやろうかと思ったが、新大阪駅で人がいっぱい降りたので座ることができた。

 
 次の新神戸で、早くも乗り換え。ここからは、九州新幹線さくら569号。かもめとは少し形が違うN700系という車両で、うすい水色をしている。

IMG20230614183219A.jpg
 乗り心地は他のタイプの車両と大差はなく、快適だった。ただ、窓が汚れて外がよく見えなかった。外の写真を撮ろうとスマホを窓に近づけたら、
「レンズを拭け」みたいな事をスマホに言われた。


 新幹線自体は快適なのだが、周りのあちこちから
「プシュ!」という、冷たくてシュワシュワな飲み物を開ける音が聞こえてくるのが静かな拷問だった。
 すぐ後ろの席で聞こえた時は、麦の香りまで漂ってきたので、口をつける前に奪ってペロペロしてやろうかと思った。
 クルマを会社に置いているので、残念だが今は飲めない。般若心経を唱えて耐え、ぬるくなった残り物のお茶を飲んだ。

 次の乗り換えは、佐賀の新鳥栖駅。21時13分に着く予定。疲れていたのでちょっとうとうとしたが、乗り過ごしたら鹿児島まで行ってしまう!それは非常に困るでごわす!


 もうすっかり暗くなってきた。九州新幹線さくらは矢のように走り続け、
新鳥栖に着く。鳥栖(とす)の英語のアナウンスが「トゥース」と聞こえてちょっと面白かった。

 ここの駅舎は長崎本線と九州新幹線がクロスしているだけのシンプルな構造。


 鳥栖は高速道路のジャンクションもあり、昔から交通の要衝なのだろう。地形を見ると、けっこう古代から分岐点だったように思えるが、大きな遺跡とかは出ないのだろうか。


 リレーかもめは、前日と同じグレーの張り子のトラ列車だった。ヘッドバンギングしながら武雄温泉駅へ向かった。あともう少しでうちへ帰れる。


 再び、西九州新幹線かもめに乗り換え。乗り換えはこれが最後だ。
乗客が少ないのは判っていたが、後ろを振り向くと本当にガラガラだった。島原鉄道かと思った。

IMG20230614221935A.jpg
 うーん、業績は順調という話だったが、本当にこれで利益が出ているのだろうか?


 リレーかもめから新幹線かもめに乗り換えると、やはり乗り心地の良さが際立つ。軽トラと日産セドリック
(昭和か!)くらいの差に思える。あとから思い返してみたが、横に揺れたという記憶がない。
 かもめの座席は、山陽新幹線、九州新幹線と比べてホールド感がよい気がした。リレーかもめが間に入って、ちょっと比較しにくいが・・。
 そして、やはり他の新幹線と違って、ヒューンという音が聞こえる。


 ただひとつ、 夜のかもめは、照明がめちゃくちゃ明るくて落ち着かない。もう少し暖色系にして照度を落としたほうが旅の気分は出る。
※実際はもっと明るい。
IMG20230614221813A.jpg 

 これくらいが落ち着く。(昭和か!)

IMG20221016160309CA.jpg


 ずっと新幹線自体に乗る機会がなく、今回、たぶん十数年以上振りの乗車だった。シーズンオフの平日だったので自由席でほとんど座って行けた。

 長崎に新幹線などいらんだろうと、試乗会に当選するまでは思っていたが、こんなに快適ならこれもアリかと思えるようになった。

 自転車を積んで尾道まで行き、しまなみ海道を走ったりという使い方も出来そうだ。


 ただ、張り子のトラ列車は勘弁してほしいので、こうなったら、国民の税金で私腹を肥やす連中を成敗するなどして、何とかかもめのフル規格全線開通を実現してほしい。


 22時24分、路線バスに乗っているかのように、アッという間に
諫早駅に着いた。
IMG20230614222126LA.jpg

 駅まで家族に迎えに来てもらい、会社へ自分のクルマを取りに行った。だが、まだ大事な仕事が残っている。
 今すぐにセブンイレブンへ行って、冷たいシュワシュワの飲み物を買わなければ!



諫早干拓地を自転車で通り抜ける方法

サるくリング~自転車散歩
06 /11 2023

 自転車で、諫早の市街地から島原半島の北目の方へ向かうには、やはり国道57号線が一番早いのだが、小野の先から森山周辺は、片側1車線で路肩がほぼ無い所を大量のクルマがバンバンすっ飛ばして来るので、五百円くれても走りたくない。


 ほぼ人がいない歩道を走る事も可能だが、段差や凹凸が多くてムダに疲れる。歩行者を避けるために車道と歩道を出入りするのも危ないし、クルマもなかなか途切れない。歩道の多くは片側にしかないので、逆走になる方向では車道へは出られない。
 向こう側へ渡ろうとしてもクルマが多くてなかなか渡れないし、横断歩道も少ない。
 非常に面倒、小手、大外刈り一本!
(衝動的に書いてるだけで特に意味はないようです)


 10年前から同じ事を言っているような気もするが、要するに、昭和の田舎の道路は自転車が走ることは1ミクロンも考えられていないという事だ。
 裏道も少なく、あっても途切れ途切れだし、大抵は田んぼと集落を大きく迂回して国道に戻るだけなので、結局あまり進んでおらず、ムダが多い。


 新しい自動車専用道が完成すれば、少しは状況も変わるかもしれないが、あまり期待はできないだろう。

 自分はと言うと、もっぱら「諫早干拓地」を通っている。

DSCF7149A.jpg

 クルマも少なく、スパーンと開けた景色もよいし、稲の成長や、畦に咲く花、渡り鳥たちにも季節の移ろいが感じられ、スーパージャイアントおすすめコースだ。

P9160367A_20230611115615ba1.jpg
 しかし、干拓地の道路は、基本的に埋め立てのたびに追加されたあぜ道であり、一般車両の通行に便利な構造ではない。
 適当に進むと、ものすごく遠回りになったり、違う方向へ曲がって行ったり、長い直線の先で水路に分断され、400mくらい泣きながら戻ったり、暗くなると明かりが無いので、水路に突っ込みそうになったり。実際に突っ込んだり。


 似たような所が多くて道を間違いやすく、毎回、まったく同じコースを走るのはなかなか難しい。
 だだっ広いのに思うように進めない、謎の巨大迷路のようだ。 

 まあ、便利すぎると多くの車両に抜け道にされるので、地元の営農者も迷惑だろう。

 

 だがしかし、国道がウンコである以上、こちらもリスクを避けて安全な道を走る権利があるはずだ。
 せっかく自転車で走りやすい道なので、どげんかして最短コースで走れんものかとあれこれ考え、ひとつの方法に辿り着いた。

 諫早の市街地から島原半島方面へ向かう際は、東に見える雲仙岳を目標にするのは言うまでもない。
 干拓地を通る場合は、そのほかに目印にすべきものがある。小野島町と森山町にひとつずつある、巨大なカントリーエレベーター(穀物の貯蔵庫)だ。

DSCF7145CA.jpg
 遠くからもよく見えるので、これを目標にすれば効率よく干拓地を抜けることが出来る。

 仲沖町のヤマダ電機やまるたかの辺りから、住宅地化が徐々に進む田んぼの真ん中を進み、新半造橋を渡る。すると前方に干拓の里公園の木立ちが見える。

DSCF7288A.jpg
 その奥に、小野島町のカントリーエレベーターが見えているので、まずはそこに向う。


kantaku_map01AA.jpg

 広めの車道をそのまま走れば自然に着くが、クルマを避けたいなら、新半造橋を渡ってすぐ左に曲がり、堤防道路を走って干拓の里正面に出る事ができる。

DSCF7291A.jpg
 堤防道路は散歩コースとしても快適。


 干拓の里の敷地を過ぎてすぐ右に曲がり、工場の裏みたいな所を抜けたら広い道に出る。そこから右折して少しだけ進み、イセキとクボタの間を左折して斜めの道を進むのがクルマも少なくてよい。距離はほとんど変わらない。
DSCF7302A.jpg

 カントリーエレベーターの脇に出たら、雲仙岳方面に進む。

DSCF7306B.jpg


kantaku_map02AA.jpg


 すると今度は、森山町のカントリーエレベーターが遠くに見えてくるので、それを目指して進む。

DSCF7316A.jpg


 その少し左手には、建物がクリーム色で扉が青色の、大きな水門がある。

DSCF4080A.jpg

 これは二反田川(にたんだがわ)に設置された「万灯樋門(まんとうひもん)」
 「まんとうヒヒえもん」とかでは無い。(いや誰もそんなことは‥)

 コースはここを通る。
 
 樋門と森山のカントリーエレベーターに近づいてきたら、必ず「樋門の左側」から回り込む。
 二反田川は途中に橋が無いので、右だと国道までいってしまう。

DSCF7322A.jpg

右カーブで三叉路になっている所を、まっすぐ細い道に入る。

DSCF7320A.jpg


 突き当りの三叉路を左折。カントリーエレベーターが近づく。

 ここは、過去に田んぼへ勢いよくジャンプした車両がいたように思える。  

DSCF7321A.jpg


 左に行くと古い堤防に着くので、上って堤防沿いに進む。正面には雲仙岳。

DSCF7153A_2023061111332705f.jpg


 背後には多良岳。

DSCF7159A.jpg 堤防の向こうの農地は、数十年前までは干潟の海だったところ


 埋め立てによる地盤沈下でコンクリート舗装が割れているのでハマらないよう気をつける。

DSCF7161A.jpg
 ※堤防の荒れた道を走りたくなければ、さっきの三叉路から右折してすぐに水路を渡り、左へ進んでもよい。

 
そのまま進み、万灯樋門を横切る。

DSCF7164A.jpg


その先にある森山のカントリーエレベーターの前を過ぎる。

DSCF7178A.jpg


そこに、森山町漁協の「解散記念碑」が建っている。

 干拓のギロチンで棲み家を失い、天を仰ぐムツゴロウとアゲマキ貝。

DSCF7176A.jpg

 記念碑から左折し、雲仙岳の方へ。

DSCF7171A.jpg


kantaku_map03A.jpg


 途中、カーブはあるが、道なりにずっと進むと、島鉄の線路と自動車専用道路の高架に近づく。


 右側に青い鉄パイプの水門があり、水路を挟んで三叉路のような格好になっている。そこを、左斜め前へ進む方へ曲がる。踏切の手前のあぜ道からでも行ける。
DSCF7341A.jpg


 自動車専用道に沿って進むと、有明川に架かる自動車専用道路の高架橋の下をくぐる堤防に着く。
 ここは夏でも日陰で風が通るので、たわしはよくここで小休止している。

DSCF7190A.jpg
 そのすぐ近くに、高架橋と並ぶように、えらく狭くて長い橋がある。クルマ一台がぎりぎり通るこの橋は、一部が水門になっていて、洪水や高潮の際のダムの役割を持っているらしい。

DSCF7195A.jpg
 この橋を渡ると、雲仙市愛野町。

 すぐ左に曲がって、自転車なら通れる堤防沿いの遊歩道を進む。

DSCF7197A.jpg
 道路はヒビ割れが多いので、夕方に暗くなったりして不安な場合は、下のあぜ道を走るとよい。

 堤防をぐるりと回ったら、島鉄の踏切を渡り、ちょっとだけ国道に出る。

DSCF7199CB.jpg


 左折して短い橋を渡ったら、すぐに左折して、また踏切を渡る。

DSCF7200A.jpg
 ここはもう、雲仙市吾妻町。
 また田んぼのほうへ下りて、あぜ道をクランク状に進む。途中の橋が盛り上がっているので、勢いがついてジャンプし、着地の瞬間に股間を強打しないよう、ゆっくり走る。

 阿保名の集落の踏切を渡らず左へ進む。広い道に出たら右折。


  その先は、吾妻町の干拓地が広がっている。なるべく旧海岸沿いの旧道を行けば、坂をえっちらおっちら登ることなく、ほぼ平坦地で島原市まで行ける。


 では、歩行者にも気をつけて、ご安全に
よい旅を。




真冬もOK!ジャイロキャノピー ~原チャリ風雲録~

原チャリ風雲録
06 /03 2023

 ホンダというメーカーは、創業以来、世界をリードする高い技術力により、いつも先進的で独創的な製品を作り続けてきた。

 挙げればキリがないし面倒なので挙げないが、50cc、原付1種の3輪スクーター「ジャイロキャノピー」もそのひとつ。

canopy1.jpg

 自分はこれの中古に10年くらい乗っていたのだが、別に自慢する事もないし、特に面白い事もないので、紹介する記事は書いていなかった。

 ただ、若い頃乗っていた原付たちの昔話は以前すべて書いたので、キャノピーのことも思い出しつつ記録しておこう。 

 

 ジャイロキャノピーは、3輪で安定性が高く、荷物がたくさん積める。風防(キャノピー)と屋根があるため、冷たい風を防げて雨にも(さほど)濡れない。配達用として最強の原チャリと言えるだろう。

 無論これは、1980年代の原付バイク黄金時代にホンダが開発した、ロードフォックスやストリームなど、世界初の後輪スイング式3輪スクーター、通称スリーター」の進化形だ。「フリーター」では無い。スリーターは安定しているが、フリーターは安定していない。(うまいこと言ったつもりか?)


 現在もピザなどの配達業務に重宝されているバイクだが、新車は原チャリのくせに現在57万円くらいするので、お金持ちの子にしか買えない。(いや、お金持ちの子はこれは買わんぞ)


 ちなみに、これまで法人向け販売のみだった電動のジャイロキャノピーe」が10月から一般向けに販売開始されるそうだ。法人向けで価格が70万円以と目ん玉が飛び出しそうだったのに、個人向けは、ナーント!100万1000円になるらしい。

 目ん玉が発射してアメリカ大陸へ飛び、マンハッタンの景色が見えそうだ。(しょうもない事言わんと進めんかい!)

canopy_e1.jpg

 それにしても、一体誰が買うんだろうか・・ 



 西暦2005年、まだ自分は自転車散歩や自転車いじりの趣味に目覚める前だった。ホームセンターで、ヘクササイズ目的で買ったマウンテンバイク風自転車はあったが、もっと気軽に買い物やお出かけに使える、楽ちんな乗り物を探していた。


 そこで、安ーい中国製の変速なし電動アシスト自転車を買ってみたが、取り回しが悪く、ゴキュ~ンゴキュ~ンと変なリズムで進み、長崎の激坂では、場合によっては普通の自転車よりも大変で、ヘロヘロになった。


 そしてネットで見つけたのが、「ホンダの3輪ジャイロシリーズをミニカー登録すれば、時速30キロ制限も二段階右折もなしで走れる」という夢のような情報!


 うん、こはよきかな!ジャイロシリーズには、ジャイロXやジャイロUPもあるが、やっぱり風防と屋根のあるキャノピーが面白かろう。

 ※ミニカーという乗り物の定義は、3輪以上で、原動機の総排気量が21~50cc、左右のタイヤ中心間の距離(輪距)が50cm以上、または車室があるもの。茶室ではダメだ。(はいはい)


 ヤフオクで何度も競り負け、やっと走行2万キロ超えのジャイロキャノピーを手に入れた。岡山からの出品で、送料を含め相場よりけっこう安く買えた。

canopy02.jpg


 キャノピーとの新しい生活が始まった。中国電アシ自転車は、人にくれてやった。


 後輪の輪距を広げるためのスペーサーをネットで買って、簡単な改造申請書を書き、市役所でミニカー登録。車両の写真なしでトライしたので、却下されないかと心配したが、すんなり終わった。役所は税金さえ入ればOKなのだろう。


 比較的パワーのある2ストロークエンジンだったが、車体が重たいしノーマルなので、加速はトロく、コンディションの問題もあってか、やっとこさ時速53km/hしか出なかった。

canopy01.jpg

 まずはバイク屋さんに頼んで、ベストの状態に整備してもらい、その後はネットの原付改造ブログなどで情報を得て、自分で整備と改造をするようになった。

 お世話になったバイク屋さんは、今は移転して敷居の高いカッコいいバイク専門店になっている。


 ミニカーにはヘルメット着用義務がないので、最初は、ヒャッホー!プップルップ〜!と喜んだものだが、ノーヘルだと「道路に落としたスイカがパックリ割れる映像」が頭に浮かんで落ちつかないので、自分はすぐ被るようになった。


 当時はまだ田舎にミニカーは少なく、ノーヘルでご近所デビューした最初の日、さっそく初老の警官に普通の原付と思われ、止められた。

 「貴様!ヘルメットはどうした!逮捕する!」ダーンダーン!みたいな勢いだったが、若い方の警官がミニカー登録だと言うと、急に態度が変わり、すまんやったね~、行ってよかよ~と笑顔で見送られた。


 警官は、法を守ってさえいれば、それ以上口出しするなと言われているのだろうか。「追突される恐れもあるからヘルメットは着けた方がいいよ」くらいは指導として言っても悪くはなかろう。今はどうなのだろうか。



 バイクには、メーカーが車種ごとに作成した、バイク屋向けのサービスマニュアル(整備要領書)とパーツリストがある。

DSCF0015A_20230602222541baf.jpg

 これを一般市民もネットで買えると聞いていたので、即購入した。間違えて下着泥棒のパンツリストを購入しないよう気をつけたのは言うまでもない。(もう歳なんだから、そろそろ落ち着こうぜ)


 これらとバイク改造ブログの情報があれば、9割方はなんとかなる。(個人差があります) 夜は焼酎を飲みながら構造と分解手順を研究し、昼は車体をいじくりまわした。

CIMG0411A.jpg

 ヤフオクで改造部品の出品者だった同じ趣味の人からも、いろんなノウハウを教えてもらった。バイク屋の大将も、メンテについて詳しく教えてくれた。

CIMG0412A.jpg

 エンジンのシリンダーポートを削ってみたり、キャブレターをセッティングしたりオーバーホールしたり。特殊工具も安い物をネットで探し、作れるものは作った。

CIMG0696A.jpg

 40過ぎのおっさんが、初めての体験ばかり。歳をとって始めた新しい趣味に、17歳の原チャリ小僧のように夢中になっていた。


 若い頃は、原付は「乗る専門」だったので、整備と言ってもオイルの補充やバッテリーと電球の交換くらい。それ以上は素人ができるとは思っていなかった。


 歳を重ねて原付に乗る機会がなくなり、クルマだけの生活が長い間続いた。バイクに乗りたいと思うこともなくなっていた。それがどういう訳か、いい歳をして原付3輪ミニカーいじりにハマるとは。人生は解らないもんだ。



 自分が自転車のブログを始めた理由のひとつとして、この時、顔も知らないバイク好きの人たちに世話になったので、自分も出来ることがあれば発信しようという思いがあった。

 ただ、最近の自転車記事への反応を見ると、もう自分は誰にも必要なさそうだ。ふん、どうせ老害とか言われているのだろう。(イジけてやんの)



 ある年の暮れには、車体をホネホネの状態にバラし、サビて腐食した所が無いか、電線が切れそうな所がないか調べた。

CIMG0673A.jpg

 いろんな構造の工夫や機械工作の精度を見て、改めて日本メーカーの技術力に感心した。


 タンクの上の部分がサビて汚れてみっともなかったので、サンドペーパーで磨いて、エポキシ塗料を塗った。

 今ならそんな面倒な事はしない。セルフ給油なので誰もタンクなど見ないから。

CIMG0684A.jpg


 変速のタイミングを確認するため、電気式のタコメーターも買った。スピードメーターの横が空いていたので、穴をあけて埋め込んだ。本当は、カッコよさそうなので着けたいだけだった。

CIMG0692A.jpg

 朝の通勤では時間が気になるので、100均の時計を名刺入れに入れて貼り付けた。どうやって防水しようかと考え、面倒くさくなってマスキングテープで周囲を巻いた。


 足元に純正の大型バスケットも取り付けた。ちょっとした買い物に重宝した。ただ、カラのペットボトルを立てていると、交差点の真ん中で強風で飛ばされて恥ずかしいので注意しなければならない。

CIMG0373CA.jpg

 中の小さいカゴは100均。灰皿があるので、この頃はまだタバコを吸っていたようだ。


 風防のお陰で、雪のふる真冬でも「アレ?」というほど寒くはなく、涙と鼻水が水平に流れる事もなかった。「走るかまくら」と名付けた。

 真夏は屋根で日差しを避けられた。しかし、走っても顔や首まわりに風が当たらず蒸し暑いので、横から頭をにゅっと出して風を受けた。「走るひょっこりはん」と名付けた。


 ノーマルの後タイヤは小さくてショボいので、大径で幅が広いアルミホイールセットのものに取り替えた。車幅が広がりすぎるので、スペーサーは薄いものにして渋滞時にすり抜けができるようにした。

 ちょっとカッコよくなり、最高速も上がった。

DSCF4225CA.jpg

 改造もひとしきり納得ゆくまでやったが、末長く乗りたかったのでソコソコのところで止めた。平地では交通の流れに乗れてスピードも出たが、トルクを犠牲にしていたので、キツい登りはバイクも人間も重すぎて、30キロ出なかった。


 重くて坂を登らないのもあるが、なぜかあまり原付で遠出をする気にはならなかった。60キロで巡航できると言っても、エンジン全開なので余裕がなくぶっ壊れそうでハラハラして楽しめない。


 遠くへは滅多に行かなかったので、お出かけ写真はほとんど無い。


 だいたい、コレを人様に見せようとか、自慢しようとかいう発想はなく、あくまでも便利な通勤と買い物のアシであり、機械いじりの教材だった。


 遠出と言えば、まだ改造する前に多良岳に行った事があった。天気がよかったのでちょっと走ってみるかと思い立ち、行き先を決めず東へ向かった。

 幹線道路はあまり走りたくないので、アップダウンが激しい多良岳レインボーロードという農道を走り、高来町まで。寂しい山の中の単調な景色であまり面白くない道だが、時々遠くの景色も見える。


 いこいの村長崎の方へ登ったら、以前、軽四駆でよく多良岳周辺を走っていた事を思い出し、その場で多良岳へ行くことに決めた。金泉寺登山口から多良岳山頂までは、歩いて1時間もかからなかったはず。

 そんな軽い気持ちでつづら折りの裏道を登りはじめたのだが、金泉寺登山口は、標高724mの所にある。途中、空冷エンジンと駆動部が熱でダレて20キロも出なくなり、急坂ではついに10キロを切った。ぶぶぅうぅうぅう・・・

 仕方ないので、足で地面を蹴って進んだ。「人間アシスト原付自転車」と名付けた。

足を大きく動かすと、後ろのタイヤにかかとを踏まれて靴が脱げ、靴が轢かれた。


 時々バイクのために休憩してエンジンの熱を冷まし、また出発する。これを繰り返して、やっとこさ登山口に着き、キャノピーを放置して山に登った。

 バイクが意思を持っていたら、虐待で訴えられるレベルだった。



 キャノピーに乗り始めて5年ほど経った頃、ネットで昔のランドナー風自転車が低価格で販売されている事を知って飛びつき、自転車生活が始まった。

 自転車で散歩する面白さにも気づき、折り畳み自転車で近所をうろつきまわるようになり、通勤も買い物も、できる限り自転車を使っていた。

 そして、原付よりも、はるかに遠くまで出かけるようになってゆく。


 キャノピーの出動は、時間がない時、荷物が多い時、自転車では凍える冬の寒い時期や、通勤で朝から汗をかきたくない時などに限定された。


 それでも動かなくならないよう、週に数回はエンジンをかけてご近所パトロールしていたが、ある土曜日、路地から通りに出たところで、坂を勢いよく下ってきた軽自動車とパーン!と接触し、ポテッとコケ、フロントフォークがくにゃんと曲がってしまった。


 ちゃんと確認したつもりだったが、クルマの接近に気づかず、アクセルを回した瞬間に眼の前にいた。お星さまになってみんなを見守ろうと思ったが、あいにくまだ生きていた。


 家までは、傾きながらなんとかヨレヨレ自走できたものの、キャノピーはそれから長いこと軒下の物置きとなる。ミラーにぞうきんを干されたりしてかわいそうだった。


 自分はというと、コケた時に右足のつま先をフロアステップにびっしゃがれて痛めたのだが、それで済んで幸いだった。ただ、確認はしっかりする方だと思っていたので、ちょっと運転に自信がなくなった。歳のせいか、痴呆の前触れか。

※注:(長崎弁)びっしゃがれる→ぶっ潰される 


 キャノピーは、普段あまり乗らなくなったので、修理するか売っぱらうか迷っているうちに半年が過ぎ、一年が過ぎた。そして、また別の件で今度は左足のふくらはぎの靭帯を損傷し、しばらくは自転車やバイクどころではなくなってしまった。


 それからまた時が経ち、後輩が「修理して乗りたいから売ってほしい」と言ってきたので、予備のパーツや専用工具、マニュアル一式付きでくれてやった。

DSCF0021CAA.jpg

 かわいがってもらえる家にお嫁に行ったほうが、バイクも幸せだろう。新しい水色のナンバーがつけられたキャノピーは、フロントフォークを交換して、元気に走っているようだ。


 3輪ミニカーのキャノピーで過ごした日々の記録は、これでおしまい。


 原稿用紙で2ページくらいで終わるかと思ったが、また長々と書いてしまった。

 振り返ってみれば、楽しく有意義な時間をくれたバイクだった。この時に得た整備の知識は、今でも役に立っている。ホンダ技研工業に感謝感謝!




Ramblingbird

長崎南部の自転車散歩やどうでもいい出来事を、小学生ギャグを交えて書き散らします。お下劣な表現を含みますのでご注意下さい。