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南島原市の猿石(さるいし)

古かもん見てさる記
03 /11 2021
 南島原市の有家町周辺には、「猿石」と呼ばれる謎の石像があちこちに祀られている。いや、「猿岩石」ではない。
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 布津町郷土史より

 確かに普通の石仏や神像とは違う、異形のものだ。

 しかし、と聞いちゃあ、放っておけねえ。これは一丁、調べてみるか。
「行くぞ、股八」「へぃ、親分!」 

 猿石とは元々、奈良県明日香村の畑から掘り出された数体の古い石像のこと。猿石の名は、動物的で呪術的で異国的でミステーリアスガールな、その外観によるものだ。
飛鳥資料館 猿石 ←リンク

 南島原市の猿石の場合は、調査した大学の先生が、明日香村のと似ているので猿石と名づけたらしい。ただ、資料によっては、「石人(せきじん)」とも書かれていてややこしい。

 大体、すべてのものを「猿石」とひとくくりにしているが、その形態は一様でなく、大まかには次のように分類できる。

①弥勒(みろく)さんや羅漢(らかん)さんと呼ばれる、ずんぐりした胴体に平面的な顔が乗り、手足の表現が無いもの。
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②頭部は立体的で、手足があるもの。中には男根の表現、つまりチ◯コ付きと言われるものもある。
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 弥勒さんと呼ばれる前者は、韓国の弥勒寺跡にあるものとよく似ており、弥勒信仰を通じた朝鮮半島との繋がりを示唆すると言う。
 56億7千万年後に地上に降臨し、迷える衆生を救うとされる弥勒菩薩は、広隆寺の半跏思惟像(はんかしゆいぞう)のスマートなイメージが強いが、姿は国によってまちまち。

 韓国では頭がデカい三頭身の姿とされ、大きな石像がある。中国では、まんま七福神の布袋(ほてい)さんの姿であり、日本でも一部に取り入れられている。(布袋さんのモデルは、中国の実在の仏僧)

 南島原市の「弥勒さん」は、体形的には布袋さんの肥満体型を表しているようにも見える。顔が猿に似ているのは、ぜい肉の表現かもしれない。
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 後者になる、有家町寺山地区の二体は、布津町郷土史によると、発見時、「姿は地蔵のようで、顔は鬼面のようにも見える。大きい方は、たくましい男根がそそり立っていた」という。
キャーッ!

 性神は、普通、チ◯コそのもののフィギュアを、子孫繁栄、五穀豊穣を祈って祀る。しかし、日本の神仏像にチン◯がついたものは、温泉街のお土産以外では見たことがない。

 いずれにしても、写真では、たくましさやそそり立ち具合が判らないので、早速現地へ行ってしげしげと観察することにした。

 案内の看板を辿って民家の庭先を横切ると、妙香古墳という遺跡があり、二体の石像はその上の祠堂に並んでいた。
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 う~ん、本当にチ◯コか?位置がずいぶん体の中心からずれているが‥。

  こ~んな感じ?
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 いやもしかしてこれは、着物を着て右腕を水平にし、左腕を垂直にしているのではないか?小さい方も同じように見える。
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だとしたら、いったい何のポーズだろう? 

ハッ! まさか‥

スペシウム光線??
いや、違う、そうじゃない。
これは、背中に何かを担いでいるのだ!

ということは、
サンタクロースか!
何となくだけど、たぶん違う‥。
 
もしや、袋を担いだ布袋さん?
いやいや、こんなスマートな布袋さんはいない。

わかった!ドロボウじゃあ!
ンなわけあるかーい!

(さあ、もうそれくらいでいいでしょう)

この石像は、宇迦之御魂神(ウカのミタマのカミ)だと思う。

 ウカの神は、お稲荷さんの事。
 食物の神であり、稲束を背中に荷なった(担いだ)姿で描かれることが多い。
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海宇工芸館 宇迦之御魂神像

※つまり、こうだったのではないか?
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 お稲荷さんは、よくキツネの姿だと誤解されるが、キツネはお稲荷さんの眷属であり、お使い役。乗り物になっていることもある。

 石像の顔をよく見ると、あごの部分は伸ばしたヒゲにも見える。小さいほうは笑っているようだ。これは、福を呼ぶ老人の顔だろう。
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 東アジアの神は、白髭のある老人の姿で描かれる場合がとても多い。この共通イメージは、民衆の神が、元々は自分達を見守ってくれる長老であり、先祖だったからかもしれない。

 これがお稲荷さんだと思うのは、稲を荷なう格好だけでなく、この地が、古くからの稲荷神社という事実があるから。
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 そして、ここにある一番新しいお稲荷さんの神像も、しっかり稲束を荷なっている。
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 つまり、目の前に答えがあったということだ。

たぶん、二体の石像は、古い時代の稲荷神で、大きい古いほうが傷んできたので、小さいほうにリニューアルされたが、こちらも傷んだので現在の新しいものに替えられた。古い二体は「魂抜き」をしても粗末にはできないので近くに並べてあったが、世代が変わって忘れられていった。
 
 そういうことだと思う。思うのは自由なので、違っていても知らんばってん。

 それから、布津町の猿石を見に行った。

・木場原のものは「弥勒さんタイプ」だが、体全体が傾いており、よく見ると左肩の部分が右に比べて明らかに盛り上がっていて、重いものを担いでいるようにも思える。
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 洗いすぎなのか、郷土史の写真よりだいぶすり減っているようだ。

 そして珍しい事に、胸に文字か記号が彫られている。*アスタリスクのようだが、摩耗して明確ではない。
 「水なら水神。*なら、隠れキリシタンの聖記号」という学説が布津町郷土史に書かれていた。しかし、その「XIモノグラム」は、古代キリスト教のもので墓碑銘に彫られる記号らしい。ちょっと納得できない。

 「米」ではないかと思ったのだが、横棒は見えない。しかし、は元は「禾」と書き、元になった象形文字は、下の通り。
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 これは、実って穂を垂れる稲の形を表している。この茎に実がついて、米の字になる。記号がもし、先祖から伝わった稲のイメージであれば、食物の神様に違いない。
 あるいは、*コーモ‥  いや、なんでもない。

・尾篠(おざさ)集落のものは、場所の情報が無かった。神社と公民館を回った後、適当に歩いてやっと軽トラに乗った住民を発見。民家に入るのを追いかけ、「ハアハア、猿石て、どこらへんにあっとですか」と聞いた。

 庭にいたご夫婦は、「そいそい!」と、わたしの右斜め後方に当たる、塀の内側を指差した。
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 なーんと、集落で最初に訪ねた家の庭に、大事に祀られていた!こういう不思議な事はたびたび起きる。サンパー(散歩人)も、年季が入ってくるとレーダーが備わってくるのだろうか?

 布津町郷土史の写真では、胴体部分がえぐれたように凹凸があり、例によって「男根のある猿石」と紹介されていた。胸の辺りの丸い部分が「先っちょ」ということか。
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 しかし、現物を見ると、石の中にある石塊が、風化によって出てきたようにも見え、加工したのかどうかよく判らない。奥さんの話では、元の形とはだいぶ違っていて、「水で洗うたびにだんだん削れていったとやもんねアハハハ」ということだった。

 あらゆる角度から見ると、姿勢は前かがみで傾き、肩の張り出し方は左右で大きく異なって、背中も盛りあがっている。
 重いものを担ぐと、バランスを取るため体は斜めになる。木場原のものと同様、たわわに実った稲を担いでいるのだと思う。
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 今回、現物を見れなかった2体の写真も、左肩に何か担いでいるように見える。
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 では、まとめましょ。   
 現時点の結論は、これらの石像の大半は、猿でも人でもなく、農業神。お稲荷さんであるウカの神だと思う。

 造形が巧みで無いのは、作ったのが専門家ではなく、農民だったから。それは石工に頼む経済的な余裕が無かったからではないか。
 百姓に絵心などあるはずもなく、集落ごとに一番器用な者が、少ない情報と記憶によって手探りで作ったものと思う。
 
 石像がことごとく摩耗しているのは、素人の腕と道具でも加工できる柔らかい石を使ったから。

島原の乱が起きた一因として、当時の半島南側の農民は、溜池を作る技術が無くて収穫量を得られず貧しい暮らしが続いた。藩主は助けるどころか搾取しまくりで、異国の神にも頼ったが変わらず、ついに決起したと聞く。

 石像が、一揆の前という前提だが、具体的な改善の方法を知らない農民は、ただ働いて働いて、あとは神に祈るしかなかった。

 石像は、そういう厳しく必死な生活の記録なのではないか。そんな気がする。
 
 これが、そこそこ核心に近づいているか、大きく外しているかは、判らない。
 ただ、昔の人が作ったものの意味を知るには、何に似ているかばかりにとらわれず、誰が、何を求め、どういう気持ちで作ったかをよく考える必要があるのは、たぶん間違いない。 



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Ramblingbird

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