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【地名散歩】 長崎は、長い岬があったから?

長崎地名的散歩
04 /17 2021
 長崎の地名由来の通説は、平成まで県庁のあった長い丘が、昔は「長い岬」だったからというもの。周囲の低い土地は大半が海だったらしい。
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   キリスト教の町だった頃の想像図

 しかし、長崎生まれ長崎育ちのじげモン地名ファンとしては、これがホンマに信用してええもんか、まんず確かめで見ねばと思うわけでごわっしょ。

 ちゅーこっで、今回はナガサキの地名由来を見直してみゅーかね。
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 まず、例によって「ナガサキ」を分解。これは「ナガ」「サキ」以外の分け方は考えにくい。
 ナガは「長い」のほか、「薙ぎ」で「(崩れる)崖」の可能性もある。
 サキは「岬・先端」のほか、「裂き」で[谷]の意味もある。

 次に、それらの要素を再構築して検証するための準備を行う。
 長、崖と書いたいカードを各2枚、岬、谷と書いたいカードを各2枚、計8枚を、竹で編んだカゴに入れる。そして、

「シャッフル☆サンダースプラ~ッシュ!」と叫び、その場でグルグル回転しながら、カゴを上下左右にブッつらかしてよく混ぜる。それを天井にホタん投げ、落っちゃけて来たところを足で蹴って蹴って蹴っつらかし、カードを部屋中にゆーゆシチャカチャにバラかす!そして、色違いで重複しないよう、2枚づつ並べると‥、




上記4パターンの組み合わせができる。
そして、目が回ってクラクラし、血圧が上がる!

 では、ハアハァ‥、それぞれの可能性を考えてみよう。

①通説の長い岬
 長い岬で「長崎」という地名は、確かに各地によく見られる。しかし、県庁坂の丘の地形を冷静に見ると、それほど長い岬か?という疑問もある。金屋町辺りは丸く張り出しているし、南東側の渚の位置も、せいぜい賑町・栄町くらいまでではなかったか。
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    国土地理院 自分で作る色別標高図より

 確かに市役所から丘の先端まで歩けばけっこう距離はあるが、「長い」を、長辺と短辺の比率と考えると、そうなのかなぁ〜?となる。
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 また、古い時代の長崎の中心部は、戦国時代に領主だった長崎氏の屋敷があった中川町付近と言いながら、長い岬が地名になるのは、どオ~も取ってつけた感じがする。資料によっては、長崎氏の館が長い岬にあったと書いていたり、混乱も見られる。

 あと、大昔は建物が無かったとしても、どこから見れば、長い丘ではなく長い岬と認識できたのかが疑問。 山の上からであっても、長い岬に見える角度は限られていたのではないか。
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 現在は高い建物が建ちすぎて、昔の姿を想像するのは難しい。

 長い岬と言うなら、野母半島(長崎半島)は、野母崎の先端から市街地までが、ながあぁぁ ─────~~ い岬だ。船で半島を回り、高い所から見てみれば、そういう地形である事は古代の人にもすぐ解っただろう。長崎は、その付け根の町。

 しかし、これはさすがに範囲が広すぎるか‥。

②長い谷
 「崎」のつく地名で、「裂き」の意味と思われるところは結構ある。

 長崎港から浦上、道ノ尾そして時津まで、あまり名は知られていないが、長崎地溝帯という谷間が長く続いている。途中には、さばくさらかし岩もある。

・壱岐市郷ノ浦町渡良東にある「長崎」は、地形から見て、細長い谷の事と思われる。
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   Google3Dマップより

・多良見町東園には、小字地名の真崎がある。山の斜面が大きくタテに裂けており、長崎県の小字地名総覧によると、読み方はマッサキ(真っ裂き?)。
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 道路下の土地は、昔、上の山から流れた土砂と思われる。

・諫早市真崎(まさき)町 どう見ても岬の地形ではないので変だと思っていたが、谷なら納得できる。
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 深い谷がクランクしながら、山の上の破籠井(わりごい)集落まで伸びている。
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・長崎市大崎町も、岬らしい地形はない。
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しかし、よく見ると集落の東側が深い谷で分断されており、河口の両側にある大岩ごと真っ二つに裂かれたように見える。
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  Google3Dマップより
 「長い谷」説の問題は、長崎港周辺はけっこう広く、谷には見えないことと、やはり範囲が広すぎること。 

③崖の岬
・長崎港の入口には、神崎(こうざき)という丸く突き出した断崖の岬がそびえ立っている。
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対岸の小ヶ倉、戸町も高く切り立った崖。
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船で来た者は、まずこの間を通って港に入るが、左岸は立神から飽の浦まで、右岸は大浦付近まで、ことごとく崩壊崖だったはずだ。
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 三菱重工のある岩瀬道町周辺も、崩壊崖だらけだった。
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 身投石とも書かれた。岩が徐々に崩落する様子を、身投げ石と言ったものか。

 そういう風景は、古代の来訪者がオーッ!と驚嘆の声をあげるような特徴だっただろう。
 
・また、長崎はむかし、瓊ノ浦(たまのうら)とも呼ばれていた。
 一応言っておくが‥、いや、やっぱりやめておこう。(←葛藤)

 瓊は美しい玉(ぎょく)の事。現在の長崎港は、日本三大夜景で有名だが、昔は、山に囲まれた港の風景が、鶴の姿に似て美しかったと聞く。
 タマは、地名では美称としても使われるようだが、地名用語では、タバの転で崩れる崖のことを指すと言われる。つまり、瓊ノ浦は「崖の海辺」であり、長崎港周辺の険しい地形状況と一致している!
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・各地の海岸に「長崎」「長崎鼻」という地名を見かけるが、ぜんぜん長い岬ではなく、崩壊崖や荒磯の浜と思われる場合がある。
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    鹿児島県出水郡長島町 長崎鼻  Google3Dマップより

 「崖の岬」の問題点は、「ナガ」で崖を指すと思われる例が少ないこと。
 
④そして、崖の谷
 これは、狭い範囲を指す場合は判りやすいが、だいたい、崖に囲まれた土地は谷だ。地名の由来としては弱いと思う。


 4つのパターンを見てみたが、サキは「岬」である可能性が高そうに思える。しかし、長いか、崖か、決定的なポイントは見つからない。
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 長崎の古い呼び名は、瓊ノ浦の他にもいろいろある。それについて見てみよう。

・平安時代には、瓊杵田津(にぎたづ)と呼ばれていた。ニギ(和)は、賑やかではなく、穏やかな様子。入江が深く入り込んでいて、波が静かで穏やかという事か。
 港の背後にそびえる金毘羅山(こんぴらさん)は、瓊杵山(にぎやま)と呼ばれていた。
 しかし、語源がニギでなくナギ(薙ぎ)だったら、崖地なので「崖の港」だったかもしれない。
 
深江の浦と呼ばれた時代もあった。にぎたづと同じく、深く入り込んだ入江のことか、または水深が深いことか。
 長崎港は水深が深く、大型クルーズ船も寄港する。戦時中は、世界最大だった戦艦武蔵もここで造られた。とは言え、大昔にはそれほど深いかどうかは問題ではなかっただろう。
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 市街地のほうは、江戸時代に埋め立てたくらいなので、浅い海岸だったはず。

 他にも、瓊浪浦(たまなみのうら)、福富津、深津江などバリエーション豊富!
 玉杵名邑(たまきなむら)というのもあるが、これは熊本県玉名市のことらしいので、誤解だったのかもしれない。

瓊ノ浦、深江の浦、瓊杵田津
 これらの地名はすべて、入江の全体的な特徴を表している。長い入江の奥にある岬の呼び名が、それに取って代わるものだろうか?
 崖の岬は、地名のつけ方のパターンという点でも違和感がないし、けっこうアリなのではと思う。
 けっこうアリと言っても‥ ぐっ。 (←くだらない冗談をこらえた)
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 最後にもうひとつ。通説のように、旧県庁の丘が「長崎」の由来だったとして‥。
 旧県庁の丘の先端付近の地名は、森崎。深い森だったからと言う。それは本当だろうか?深い森が出来るには多くの水が必要だが、平坦な岬の先端に、地下水が豊富にあったとはちょっと考えにくい。崖の下なら解るが‥。立山奉行所ですら遠くから水を引いていたし、丘の上には川らしい川もない。せいぜい生活用水の井戸くらいだっただろう。
 地名の「モリ」は、もぎ取るを古語で「もる」と言ったことから、崩壊崖を意味した可能性がある。実際、丘の先端付近は切り立った崖。崩れていたはずだ。 

 だとしたら、この丘こそが崖の岬、「ナガサキ」だったのかもしれない!

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 う~ん、でもやっぱり、長い岬かなぁ~‥

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Ramblingbird

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