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【地名散歩】 時津町 日並(ひなみ)

長崎地名的散歩
04 /23 2021
 時津(とぎつ)という地名は、トギ(研ぎ)が崖を意味するため、崖地の港の意味と考えられる。 (参考:古代地名語源辞典 楠原佑介編)
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 実際、埋め立て以前の旧海岸のそばは切り立った崖が多く、平地は極端に少なかった。
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 長崎街道の海上ルートだった頃は、港の周辺は賑わったようだが、農地は範囲が限られ、収穫量も望めなかっただろう。

 時津町は、昭和に海岸を埋め立てて企業を誘致し、工業の町になった。
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 働く人が住んで住宅が増え、さらに埋め立てて商業施設も多くできた。便利になってますます人が集まり、さらに発展を続けている。
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 こんな現在の姿を、誰が想像できただろうか。

 あとは、新しい道路が早く完成して、あの腐れ鬼渋滞が解消できれば言うことなしだ。
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 この海岸埋立地のそばに、日並郷(ひなみごう)という地区がある。

 海に向かってゆるやかな斜面が開けた所で、日当たりもよいためか一戸建ての住宅がどんどん建っている。
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 以前はここも、工場が並んでいたが、平成になって住宅地化が進んだようだ。

 昭和37年の航空写真を見ると、
一面、たたたた田んぼ!はは畑!
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     国土地理院 空中写真サービスより
 自然の地形に沿った田畑で効率はよくないが、時津では貴重な営農地帯だっただろう。しかし今はここも大きく変わろうとしている。
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 ヒナミは、「樋並み」で、灌漑用水を遠くへ運ぶためのトイ、「井樋(いび)」が並んでいたことによるのではないかと思う。
 ナミは「町並み」など、並ぶという意味のナミ。これは田んぼが開かれていった頃の集落の風景イメージだ。
 時津周辺は、時々水不足になると聞くが、ここは、川が三本も流れている。川より高い田畑には水路が引かれ、田んぼにも水が溜められて壮観だったと想像できる。

 日並と言うのもなかなかの謎地名だが、周辺の小字地名は、さらに謎に包まれている。
・火の首(ひのくび)
 ひぃ~噛まないでぇ~!成仏してぇナンマンダブナンマンダブ!

・火渡(ひわたし)
 えっ!昔、ここで、聖火リレーが?

・火篭(ひごもり)
 そんな熱いところに引きこもっとらんで、働け!

 よし、今回はこんな所でいいだろう。

 これらについて、キリシタンやら何やらとホラーな噂話もあるようだが、散歩記では、民俗学的、地理学的、科学的な視点を忘れずストイックに地名の考察を行い、楽しく遊びましょというスタンスで行く。
 
・火ノ首は、長崎県の小字地名総覧では、集落の頂上、貯水タンクが並ぶ辺り。
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そこから少し下ったところにある大きな溜池も、火ノ首堤(つつみ)という。
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 地名の首は、くびれた形状の土地である場合が多い。貯水タンクの周囲は確かにくびれ地形になっている。
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    Google3Dマップより
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   ひ~ん、やべえよ!火の首の道路やべえよ~!
 
 しかし、峠の向こう側の子々川(ししがわ)郷のほうも火の首という地名なので、頂上付近を漠然と「ひのくび」と言うようになったのではないか。
 いずれにしても、この辺りに水源があったとすれば、集落のてっぺんで水路が始まるところになる。てっぺんを頭と言い、頭のことを首と言うので「樋の首」と呼んだのかもしれない。
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・火渡(ひわたし)はよく見る小字地名で「樋渡し」だろう。
 地形の高低差で川や水源から用水を取り込み、谷間や段差などを越えて遠くへ行き渡るようトイを渡したところ。
   最近のコンクリート製のもの。長崎市北浦町 大山祇神社前
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 諫早市にある三ヶ所はすべて、樋渡と書く。大村藩だった所は火渡が多く、松浦市では日渡などとも書いている。

 井樋で引き込まれた水は、山の端を回り込み、住居のそばを抜け、道を横切り、田へ流れ込む。
 たとえば、こういうところも水路の名残りなのかもしれない。
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   ひ~ん、せまいよう~恐いよう~!

・火篭(ひごもり)は、以前の海岸のそばにある。
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 これも想像を豊かにする地名だが、まずは「篭り」の意味を見てみよう。
・閉じこもる
・隠れる
・入って出てこない
・隠れて現れない
・神社のお籠り(参籠)
・佐賀藩での干拓地の名称

 佐賀藩では干拓地のことを篭・籠(こもり)と言う。干拓の際に土手の石が崩れないよう、カゴに石を入れて埋め込んだ事が由来とも言われている。あるいは単に石を埋め隠したからか。
 佐賀藩だった諫早の干拓地には、開拓者の名を冠した、何とか左衛門籠りとか、助兵衛籠りといった「開拓地名」が数多くある。
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        おお、助兵衛さん、仕事も頑張ったな!

 日並の場合、昔は海まで傾斜地が続いており、干拓地では無かったはず。水路がひかれたことで農地になった場所に、諫早の干拓農地にならって「篭り」の名をつけたのかと考えたが、佐賀藩と大村藩で、そんな交流があったとは考えにくい。

 また、昔、お籠りをした神社のお堂があった所とも考えられるが、ここにはそういう痕跡は見当たらない。
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 大村藩にも、海岸に籠(こもり)地名がある。大村市今津町の自衛隊敷地の河口付近は柿籠(かきこもり)という小字地名のようだ。
 カキは欠きで、水際の崖か岩礁と思われるが、自衛隊の敷地に勝手に入ると撃たれそうなので確認できない。自然地形も残ってないようだ。でも、海岸という点は同じ。

 籠もるには、「入って出てこない」という意味がある。井樋が終わって余った水が海に注ぎ込むところなので、貴重な用水をもったいないという意味も込め「樋篭り」と言ったものか。
 「樋並み」の村が、樋の首で始まり、樋渡しを通って、樋篭りで終わるのなら、ストーリー的に完結している!
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 今回、改めて現地の様子を見てみたが、三本ある川に、水はほとんど流れていなかった。Googleマップのイメージでは判らなかったが、川と言っても細い水路だ。
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 地形的には、海岸からいきなり山になる所が多く、高さは低いため地下水にも限りがある。水不足になるというのも判る。だから溜池を作り、雨が降った時に水をできるだけ溜めたのだろう。
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 昭和期には山の上に貯水タンクが作られた。最初はひとつだったのが、4つに増えている。さらに火の首の峠の向こう側には中山ダムも出来、浄水場から周辺地域に供給されている。

 日並の田んぼはほとんど無くなり、灌漑用水の必要性も減ったが、今度は人間の生活用水が大量に必要となっている。

 昔も今も、ここは水が貴重ということに変わりはないようだ。 
 
 そうそう、何で「樋」が、「日」や「火」に変わるのかという点をスルーしてはいかん。
 ひとつは、元の意味が忘れられた場合。地名が場所を特定する記号になってしまえば、地名の意味に関心を持つことはなくなる。検地で口伝えの地名を聞き取って漢字で書く際、役人の気分で適当な漢字にされることもあると思う。また、地元のインテリ坊主や、長崎街道周辺の文化人の趣味などで好き勝手に改変されることもあっただろう。
 地元の人の話では、むかし日並には寺子屋があったという。教育を受けると上昇志向が生まれる。古い儲からない百姓のイメージを消すため、樋を日や火の字にしたとは考えられないか。

 日並は、古くはゆるい傾斜の谷いっぱいの水田に、多くの井樋が並んでいたため、樋並(ひなみ)と呼ばれたのだと思う。
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 そして時代は変わり、谷いっぱいに今度は、新しい家並みが、広がろうとしている。

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Ramblingbird

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