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小長井 井崎海岸の蝙蝠岩と鯨堂

古かもん見てさる記
02 /24 2023

 小長井の海岸と言えば、近頃はフルーツバス停。

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 若い人たちが、ひっきりなしにクルマを停めて写真を撮りまくっている。よく知らないが、SMLとやらに投稿するらしい。

 地元のばあちゃんが、バスと間違えて若者の軽ワゴン車に乗り込み、遠くへ連れていかれないか心配だ。



 そんな賑やかさとは無縁の、井崎地区の淋しい海岸。

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 この砂浜には、黒くて角ばった大小の岩石がたくさん並んでいる。

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 大きいものは2m以上。潮が引くと歩いてそばに行けるが、満ちると水の中。


 石は大抵が地面に埋まっていて、その上に砂が堆積しているらしい。多良岳の溶岩らしいのだが、詳しいことは知識不足で判らない。

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 独特な雰囲気のある景観なので、自転車でこっち方面へ来た時は、寄り道して眺めたりしている。

 何か伝承とかがないのかと思い、諫早市のHPや郷土史の他、ネット検索もしてみたが、出てくるのはフルーツバス停の画像ばかり。なかなか手がかりが見つからなかった。 



 ところが最近、諫早市立図書館が所蔵する「江戸時代の諫早領の古地図」が多数公開され、状況が変わった。

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 古地図のこの場所には、「蝙蝠(こうもり)岩」と書かれていた。


 いや、「こうもん岩」ではないし「もっこり岩」でもない。

 

 蝙蝠岩が地名なのかは微妙だが、昔の人が、黒くて尖ったたくさんの岩がコウモリの群れのようなので、そう呼んでいたのだろう。


 今は見向きもされないコウモリ岩だが、江戸時代には、「ぼっくい珍しかとばい!」と口コミでバズり、近隣の村人が弁当を下げて見物に来ていたのかもしれない。


   現在の井崎地区

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        Googleマップ航空写真より


 砂浜から見て南側の海岸には、崖と岩場が続いている。古地図には、海岸を回り込んだ所に「鯨堂」と書いてある。クジラドウと読むのだろうか。


 何で鯨堂なのか検討がつかなかったので、潮が引いた際に確かめに行った。


 海岸の丸石は途中まで平らに均され、軽トラが通れるようになっていた。

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 崖は垂直な岩壁で、下の方に高さ数十センチの赤い層が露出している。触るとそれほど硬くなく、地下水で湿っているため指に赤い泥水がつく。

 火山灰土壌の赤い土が圧縮されたものだろうか?

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 この赤い層が波で削られ、上の岩が浮いているような所もある。

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 崖の下には、長い年月の間に崩落したであろう、多数の大岩が転がっている。赤い部分が無くなって、転げ落ちたのか。

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 自分は地学に詳しい訳ではないが、こんな地層は他に見たことがない。



 この岬一帯の小字地名は「竹崎(たけんざき)」。古地図にも「竹ノ崎」と書いてある。地名のタケは、高いところを示す。海岸が崖なのが理由と思われる。


 道が途切れた所に、海水に浸かって朽ち果てた機械の破片が放置されている。古代文明のロボットの一部かと思ったが、よく見たら軽トラの後ろの車軸だった。

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 ここで一体何があったのだろうか。


 さらに奥へ進むと、赤土の層が広くむき出しになっている。

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 そして、赤土の層の上に、テーブル状になった四角い岩が乗っている。

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 まるで、切った鯨肉のように。



 「堂」という漢字には、「土を盛った台」の意味がある。


 〇〇ドウという地名の土地は、大抵が周囲よりも高くて上が平坦になっている。

 (※当社調べ)


・諫早市高来町 榎堂(えのきどう)

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 ※エノキはエ(壊)・ノキ(退き)で、崩れやすい土地と思われる。

 

・大村市西部町 小字:徳道(とくどう)

 海へ続くゆるい傾斜地で、ここだけ周囲より高い。大昔の地すべり跡にも見える。

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     Googleマップ航空写真より


 (この上にある「いちゃりば」の沖縄ソーキそばが、ウマーシャス!)

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「とく」は床の間の(とこ)で、これも「周囲より高い」という事らしい。

 ※「徳道」の字は、奈良時代の仏教僧、徳道上人の名を借りたものか。



 井崎海岸の、鯨肉の断面のようなテーブル状の岩


 おそらくこれが「鯨堂」なのだろうと思う。

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 コウモリ岩の砂浜の西側には、干拓地と思われる平坦で四角い田んぼの一角がある。


 ここは「中道(なかみち)」という小字地名なので、昔は潮が引いたら海岸を歩ける「海の中道」だったのだろうと考えていたが、古地図を見ると、やはり広い入江だった。

 昭和22年の航空写真や、昭和初期に改訂された地図ではすでに陸なので、それ以前に埋め立てられたという事が、古地図によって明らかになった。



 コウモリ岩の北側、長崎生コンクリート株式会社の敷地には、洋食屋のチキンライスのような形に盛り上がった小山がある。元は兎島(うさぎじま)という島で、周囲を埋め立てて陸地化されている。

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 地名用語の「ウサ・イサ」は砂地を表す。周囲の浜には砂の堆積があり、古地図ではトンボロ(陸繋島)のように描かれ、名称は「ウサキ嶋」とある。


 蝙蝠岩とウサキ嶋の間の海岸は「小中道」なので、昔からこの地域は全体的に砂地だったらしい。


 潮が引いた砂浜は、下が岩盤だからか、意外と固く締まっていて歩きやすい。この辺りは干潮時だけ行き来できる近道のようなルートだったと思われる。


 現在の兎島は、ダンプが砂を積んで上まで登り、斜面に落として溜めておく場所になっている。偶然とは言え、地名用語の通り砂の島だ。



 「竹崎」の岬全体の南側には、長濱」という砂浜がある。

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 地元に伝わる昔話「鬼の泣く浜」の舞台のためか、長崎県の小字地名総覧での読み方は「なくはま」となっている。


 漢字の通り、そこそこ長い浜だが、ここにもコウモリ岩のような黒い岩がたくさん露出している。

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 岩礁の海岸には、特に長くなくても「長(なが)」のつく地名をよく見る。それは薙(なぎ)に崩壊崖の意味があるので、名詞化して「ナガ」になったからと考えられる。


 長浜の海岸にある黒い岩が、陸からはがれ落ちていたのなら、「薙(ぐ)浜」だったのかもしれない。



 コウモリ岩や鯨堂のある、「井崎(いざき)」という地名は、文字に従えば「水のある岬」だが、状況から見て、イサ(砂)キ(所)で、「砂がある所」の意味だったのではないだろうか。


 イザキと兎島のウサキは、音が近く意味も共通している。


 もしかしたら、ウサキ嶋も元はイサキ嶋で、コウモリ岩や鯨堂などの「いきものシリーズ」の名に変えようということになり、兎島になったのかもしれない。


 ちなみに、兎島の北側にある岬は「猿崎(さるがさき)」


 あと、「イサ」は石のことを言う場合もあり、石原と書いてイサと読む地名もある。


 「変な石があるところ」の可能性も捨てきれない。



 諫早市は、昔から干拓が盛んだった事もあり、自然の海岸が残っているところが少ない。それでも小長井町はまだ、自然のままの地形があちこちにある。

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 しかもそれが、何万年も前からあまり変わっていない風景だと思うと、金銭的な価値では計れない貴重なものに思えてくる。


 今回は古地図のお陰で、ちょっとだけ昔の人の目線で、井崎海岸の珍しい風景を楽しむことができたかな。



 ・参考文献:古代地名語源辞典 楠原佑介編


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Ramblingbird

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