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地名散歩 船石町「二双舟」

長崎地名的散歩
03 /06 2023

 長崎市船石(ふないし)町は、山の谷間を流れる川沿いに、田んぼが広がる所。ふなっしーと似ているが、特に関係はない。

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 「船石」の由来は、町の南側の船石岳の山中に、舟の形をした大きな石があることからと聞く。


 町の北部には、山の中なのに二双舟(にそうぶね)という集落がある。なかなか珍しい地名だが、どういう由来なのだろう。

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 集落内には「ニ双舟」という小字がある。ここにヒントがあるかもしれない。場所は、ニ双舟公民館から北側へ登った丘の頂上のダム付近。そこから先は中里町になる。  

 (場所は長崎県の小字地名総覧を前提にしているが、ずれている事もあるようなので注意が必要。少し南側の、地主さんの家辺りという人もいた。)


 ここにある大きな砂防ダムは、昭和50年の航空写真には無いので、長崎大水害のあとに作られたのだろう。

 大水害では、船石町は多くの田畑や石橋なども流されたそうだ。


 船形の石が2つ並んでいるのかと思ったが、航空写真にはそれらしいものは写っていないし、伝承なども見つからない。

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   Googleマップ航空写真より

 ダムの周囲の地形は以前と変わっているし、なぜここが「ニ双舟」なのか、まるで判らない。


 いろいろな可能性を探り、フネは水に浮かぶ舟では無く、水を溜めるフネ、つまり「水槽」の事ではないかと考えた。


 この場所は丘の頂上の背後であり、山の湧水を船石町側と中里町側の田畑に分けていたところではなかったか。

 背後の山には「滝樽(たきたる)」という小字地名があり、明らかに水源があることが判る。

 湧水量が少ない場合も、一旦水槽に溜めておけば、必要な時に使うことができる。


 そしてここには、集落の上水道用タンク設備もある。地下水があるからだ。



 昔、湧水の出や量が不安定な所では、隣村と農業用水を取り合う「水争い」が起こった。平等に水を分ける水槽がひとつずつあればそういう懸念は減る。


 つまり、二双舟には、水槽か溜池のようなものが、ふたつあったのではないか。

 浴槽の事を湯舟と言う。それなら、水槽は水舟と言うのかと思って調べたら、岐阜県の郡上八幡では、現在も生活の一部として水舟という木製の水槽が使われていることがわかった。


 昔は全国的に、大きな丸太を半分に切って中をくり抜いた「槽(ふね)」を、水タンクとして使っていたとも聞く。


 昔、ここにそういうものがあったとしても、現在も残っているはずはない。だが、地形状況から手掛かりを得ることはできるかも知れない。


早速、現地確認に向かった。


 イノシシ除けの電流柵をまたいで山の方へ入る。電線が股間に当たったら大変なので、慎重に越えて、坂を登った。


 そうそう、昔、こんな感じで、水槽がふたつ・・

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 ええ?うッそォ〜!


 いやまさか、本当にあるとは!

 高さは2mくらいで、中にはきれいな水がたっぷり入っている。


 あきらかに、ふたつ並んだ水タンク。これは一体、何の冗談?

 

 ポンプで地下水を汲み上げてここに溜めているらしい。農業用水だろうか?いや、そんなコストを掛けていては、儲けなど無さそうだが。

 その少し上には、レンタルの給水タンク付きトラックが停められていた。いろいろ金が掛かっている。


 水が出なくなったのだろうか?


 沢に下りてみると、水神さまの石祠が祀られており、水は樹脂のパイプからけっこう流れ出ていた。


 奥のほうには、石囲いの溜池。ここは涸れていて、奥が崩れて半分埋まっている。土砂崩れのような感じだった。

 ここにも水神さまが祀られている。池から細い水路が出て、突き出した尾根の先端をぐるりと回って、中里町の方へ続いていた。

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 池は涸れていたが、別の所からパイプで水が引かれ、水路を流れていた。

 この池は中里町用の「フネ」だったのだろうか?


 やはり、ここは水源であり、古くから水を分けた所だったと思う。

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 農作業を終えた年配の人を追いかけ、謎のタンクのことを訊いた。


 当時行われていた西九州新幹線のトンネル工事で農業用の湧水が止まり、工事関係者が補償のため、あちこちボウリングして水を溜めているのとの事だった。

 

 そういうことか!合点、納得、把握、理解!


 確かに、船石町内の少し離れたところを新幹線が通る計画だった。大村の武留路町大岩三社大明神とは逆で、工事で水が止まっていたとは。

 そのあとニュースにもなったが、工事によって水が出なくなった所はけっこう多かったらしい。


 そう言えば以前、昼間に長崎と諫早で大砲のようなドォーンという音が響いてニュースになった事があった。自分も仕事中に聞き「ペルリの黒船が来た」と言って失笑を買ったが、その時はこの辺りのトンネル工事の現場も疑われていたようだ。



 昔、二双舟の辺りが、不安定な水源だったとしたら、木や石囲いの二槽のフネがあったのかもしれない。

 ただ、同じ意味の地名は見ないので、今ひとつ承知できずにいた。


そして・・

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 最近気づいたのだが、昭和37年の二双舟の航空写真を見ると、今よりも山は切り開かれて田畑が多く、ふたつの細長い小山の地形がハッキリ見える。

 そして、ふたつの小山の間は、くびれた形でつながっている。

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 もしかしたら、単純にこの地形が「二双舟」だったのかもしれない。


 

 現在、ここは「恒久渇水対策工事」として、三ヵ所に巨大な水槽とポンプ設備が建設されている。

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 まさかまさかで、ここに常設の水を溜める「フネ」が作られるという、冗談のような話になっていた。

 

 水槽は三つなので、「三双舟」ですがね。 



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Ramblingbird

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