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妙見菩薩と湧水 妙見という地名 

長崎地名的散歩
03 /14 2023
 正月早々花が咲く「元日桜」で有名な長崎の西山神社は、元は西山妙見社と言って、星の神である妙見菩薩(みょうけんぼさつ)を祀る神社だった。
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 長崎の歴史を書いた書物では、江戸時代に誰それが個人で祀っていた神を、長崎奉行の許可を得てこの地に祀る云々と、神社創建の由緒が語られる。
 しかし、「なぜ、あまりメジャーでない星の神なのか」「なぜ、こんな裏山の中腹に祀ったのか」という疑問に対する説明は見たことがない。
 越中先生も、ヒロスケさんも、カエル先生も教えてはくれず、長いことモヤモヤしていた。 (カエル先生は専門が・・)


 あるうららかな春の日、わたしは大村市の弥勒寺(みろくじ)町で、湧き水のある場所を探していた。そして、急傾斜地の途中に湧水の溜池と思しき堤を見つけた。
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 大木の下にはお堂があり、鎮座するのは彩色された神像だった。そばの山口家が個人で祀る「妙見さま」なのだと聞いた。
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 「福重ホームページ」によると、400年前に山口家のご先祖がここへ移住した際、大事に抱えて来たのだそうだ。
 
 神像が「妙見菩薩」と聞いて、わたしはすぐに西山神社を思い出した。
 
 「そうばい、妙見社やった西山神社にも「湧き水」のあった!」
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 椎の木の水と呼ばれるその名水は、何があっても涸れる事なく、江戸時代の後期には、山の反対側の麓にあった長崎奉行所まで、長い上水が引かれていたそうだ。

 これはもしかして「湧き水のある所に、妙見さまが祀られた」という事ではないのか?

 妙見菩薩と水の関係を調べてみると、西日本、特に九州の熊本などでは、湧水源に妙見菩薩が水神として普通に祀られており、あちこちに「妙見様の湧き水」や「妙見様の池」がある事が判った。
 
 妙見神は元々、古代中国の信仰における北極星の神格化であり、仏教に取り入れられて菩薩となり、日本に伝わった。菩薩像は、北の守護神である玄武に乗った姿で描かれる。玄武は亀と蛇が絡み合った姿の霊獣で、水を象徴する。
 
 日本において、妙見菩薩は古くは吉祥天と同一視され、吉祥天は水の神である弁財天と同一視された。なので、妙見菩薩が水の神とされても不思議ではない。

 弥勒寺町の山口家にある妙見菩薩像の外観は、「童子タイプ」の吉祥天像とよく似ている。
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 ※現在、お堂は新しく建て替えられ、大きな木は短く切られている。

 西山神社の湧き水が「涸れることがない」のなら、それは神社創建の前からあったはず。つまり「湧き水のある所に妙見社が建てられた」という事になる。

 ここには妙見菩薩の使者である白蛇と龍の絵があるそうだが、これらも水の象徴として奉納されたものかもしれない。

 西山妙見社には、奉行所の貴重な湧き水を守る役割が少なからずあったと、自分は考えている。

 真偽の程は定かではないが、とりあえずスッキリした。山口家のご先祖さまのおかげだ。


 ◎「妙見」という地名

 妙見という小地域の小字地名はあちこちにあり、長崎県内にも多い。妙見菩薩を祀ったことによる地名なのだろうが、上記のことから、地名の「妙見」と水との関係について確認を行った。

・大村市溝陸町 妙見
 田んぼの一番奥の崖の下から水が湧き出している。大村郷村記によると、付近に妙見菩薩が祀られていたらしい。 
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・諫早市天満町 妙見 妙見田
 尾根の先端部の畑と棚田付近。川は無いのに棚田がある。丘の上と近くの崖下に取水設備があり、地下水が豊富だった事が判る。
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・千々石町小倉名 妙見
 雲仙岳の麓、棚田が広がる傾斜地の上の段に、妙見神社がある。DSCF4659A.jpg

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 神社の下の水路に千々石川から灌漑用水が引かれているが、神社周辺に湧水は無い。水の通り道に妙見神を水の神として祀った可能性はありそう。でも、別の理由で勧請されたのかもしれない。

・諫早市森山町上井牟田名 妙見
 井牟田盆地そばの山の上。森山町郷土史によると、妙見菩薩が祀られていたとの事。
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 現在はチサンカントリーのゴルフ場になっている。橘コース5番ホールの、コースとは関係ない池の辺りが小字の「妙見」で、湧水源だったと思われる。
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   ※googleマップ3D地図より
 池から溢れた水は、勢いを弱める加工をした大きな水路を通って、麓の農地の方へ流れるようになっている。山に降った雨の多くがこの周辺を通るので、大雨の時はかなりの水量だっただろう。
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・長与町高田(こうだ) 妙見
 高田小学校の崖の下。川の側は以前から湿地らしい。水が涸れないので開発ができないパターンなのだろうと思う。
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・南島原市南串山町 妙見
 山の上の森に水源があり、斜面の田畑を潤している。現在はポンプ設備で汲み上げている。丘へ登る坂道の途中の、小字「妙見」には妙見神社がある。
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  ※長崎県の小字地名総覧より
 やはり「妙見」は、ほとんどが水との関係を感じられる所だった。


 大きな川が無い土地の農民は、湧水が出続けることで田畑をつくり生活ができるのであって、それがどれほど大切かは考えるまでもない。

 農業用水はもちろん、水は人が生きるために必要なもの。
 湧水は、急に止まったり濁ったりすることもある。昔の人は、きれいな水が出続けることを願って、妙見菩薩やその他の水の神を祀ってきた。

 家でいつでも好きなだけ水が使える現代人は、水がある事に感謝したりはしない。台風や大雪で断水し、復旧した時に、ああよかったと思うだけ。

 暮らしが便利になるのはよい事だが、必要がなくなったものは忘れられてゆく。
 それは、神様であっても同じなのだろう。

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Ramblingbird

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