fc2ブログ

地名散歩 長崎市茂木(もぎ)

長崎地名的散歩
03 /30 2023

 長崎市茂木町は、市街地から田上(たがみ)の峠を越え、つづら折りの狭い森の道を下り、川沿いの切り立った崖の側を通り抜けた、隔絶の地にある。


 淋しい所かと思いきや、千々石灘に面する海岸の景観は明るく開放的で、日がな一日のんびり過ごせるところ。

DSCF2722A.jpg

 明治期には、長崎に居住していた西洋人のリゾート地として賑わったそうだ。

DSCF2726A.jpg


 茂木には特に何があるという訳でもないが、自分は何となく好きな町なので、時々ふらりと立ち寄って散歩したりする。


 堤防に佇んで、沖を行く船と霞んで見える島原半島や天草の島を眺め、

DSCF2548CA.jpg


 錆びて色褪せたフェリー埠頭で、昔の賑わいを想像したり、

DSCF9029A.jpg


 壊れかけた古い家屋が並ぶ路地を歩いて、諸行無常を感じたり、

DSCF2712A.jpg


DSCF2706A.jpg


 日向ぼっこするにゃんこちゃんを見てほっこりしたり、ちゅーるを与えたり、 

DSCF2716CA.jpg


 クルマから折りたたみ自転車を出して、あちこち探索したり、

DSCF5029A.jpg


DSCF2710A.jpg


 ああ、落ち着きますのう~

 

 茂木の昔の事については、長崎市が公開している「茂木の歩み」「茂木の散歩道」PDF資料に詳しく書かれている。 


 この地には古くから漁民が多かったためか、神功皇后(じんぐうこうごう)伝説が多く残っており、茂木の地名由来も、それにまつわるものとして語られる。


 ・神功皇后が、川を流れてきた「もみ菜」を見て、この地を「もみの浦」と名付け、変化して「もぎ」となった。

 ・神功皇后が、この地で衣の下袴の「裳(も)」を着替えたので「裳着(もぎ)」と名付けた。

 ・神功皇后の家来である八人の武臣が、狭い所に並んで夜具を着たので「群着(むれぎ)」と名付け、もぎに変化した。


 ※伝説は伝説としての価値があるが、ここでは現実的な視点で地名を考える。



 長崎でも創建が古い「裳着神社」は、明治になるまでは「八武者大権現」だった。

DSCF5063A_2023032823293873e.jpg

 資料によって「はちむしゃ」とも「やむしゃ」とも書いてある。八人の武臣に関係するとも言われているが、別の神様の可能性が高そうだ。「裳着」の字が使われている。


 田上の峠から茂木方面へ少し下った急傾斜地に、転石(ころびし)という地区がある。坂道に石がゴロゴロして足場が悪く、転びそうな所だったのだろう。

 同様の小地域の地名は、あちこちに見られる。

DSCF2051A.jpg


 神功皇后伝説で、皇后が凱旋の記念に鎧を着た所を「鎧初(よろいそ)」と言ったそうだ。

 よろいそが縮まると「よれそ」のはずだが、茂木の歩みには「よそれ」と書いてある。単なる間違いかと思ったが、話し言葉で自然に前後が入れ替わる事はあるので、そう言っていたのかもしれない。

(例)舌つづみ→舌づつみ わたし→たわし(それはわざとですよね?)


 現在は、よろいそがどこかは不明らしいが、転石の事だろう。

 「よろ」はヨロつくで、「いそ(磯)」は石が多い所。石が多くてヨロつくというのは、転石と意味がほぼ同じだ。


 神功皇后が岸を歩いていると、川上から若菜が漂って来たので、その川を「若菜川」と名付けたと言う。


 ワカナの「カナ」は、地名用語で「折れ曲がる」という意味で、大きくカックンと曲がった川によくつけられている。

 「曲」という字は(カネ)とも読むので、カナも同じ扱いらしい。

   ※大工道具の直角の曲尺(カネジャク)は、カナジャクとも読む。


 若菜川の下流域は、谷を削ってカックンカックン曲がっている。

mogi01A.jpg

    ※googleマップより


 もしかしてと思い、「神奈川県」の地図を見ると、鶴見川を始め、カーブするというより折れ曲がったような川が多い。たぶんここもそうなのだろう。



 若菜川は、谷底平野を蛇行しながら下り、下流で川平川と合流する。そして、平地にたどり着いたところで直角に崖に突き当たり、斜面を崩落させていたらしい。


 上流の早坂町はかなりの急傾斜地で、山の上にある長崎自動車道の長崎インター付近の水路は、水の勢いを弱める形状になっている。

DSCF2634A.jpg

 「若菜川」は、やわらかなイメージの名とは裏腹に、大雨で氾濫を起こす暴れ川だ。


 川は直角に曲がり、S字を描いたあと、もう一度直角以上に大きく曲がって、また、崖の斜面をもぎ取り、谷を彫り込んでいる。

DSCF2588A.jpg


DSCF2696A.jpg


DSCF2583A.jpg


 「もぎる」という言葉は、力ずくでもぎ取る事。「もぐ」は軽くひねって取るイメージだが、もぎるとの違いは曖昧。古い時代には「もる」とも言った。


 「もぐ」という動詞を名詞化すると「もぎ」になる。


 それから、河口の丸くなった土地は、明らかに砂州が発達したものであり、南側から小さい川が流れ込む事によって丸い形になり、埋め立てて護岸を作り、現在の形に落ち着いている。
 モギという地名がつけられた古い時代の姿を想像するのは難しいが、大地からもぎ取られたような地形だったのかもしれない。
mogi03A.jpg
    ※googleマップより
 

 茂木(もぎ)の地名は、この辺が由来ではないかと、たわしは考えているのだが、どうだろうか。


 古い地名の意味は、自然の優美さより、自然の脅威によるものが圧倒的に多い。それは人が自然に対して畏敬の念を抱いていたからだろう。



 もう少し茂木の散歩を続けよう。


 茂木小学校の運動場とプールは、川に架けた歩道橋を渡ったところにある。平地が少ない土地ならではの光景だ。DSCF2078CA.jpg


 河口付近の土砂が堆積した島状の土地は、貴重な平地になっている。

DSCF2574A.jpg


 山に遮られた茂木の町は、長崎の多くの集落がそうであるように、かつては海が玄関口であり、船の交通がメインだった。

 クルマ社会になる前は、島原半島と天草を中心に、北は福岡の三池港、南は鹿児島の甑島まで船のルートが多数あり、蒸気船が行き交っていた。

 昭和になると、あちこちにフェリーが就航したが、今度は高速道路が発達し、減って行く。


 現在の茂木港は、熊本県の天草郡苓北町富岡行きの高速船のみが、かろうじて運行されている。

DSCF9048A.jpg


 昔、長崎と茂木間に鉄道を通すという、なかなか無茶な計画があり、この切通しの道はその名残りだそうだ。(計画は、線路を敷く前に頓挫した)

 海岸を埋め立てて広い道路が出来てからは、地元の生活道になっている。

DSCF5084CA.jpg

 川ぎりぎりに建つ住宅は、気持ちよさそうだが大変なことも多いだろう。
DSCF2573A.jpg

 いいなあ~、たまらんな~、昭和の追加型リフォーム住宅。
DSCF2560A.jpg
 奥の緑色のひさしの所は、揚げたてを買える田口天ぷら店。近くにあるオロンのパンも人気だ。

 さて、そろそろ帰ろうか。行ってたわけじゃないけど。
DSCF8990A_20230328232943b6c.jpg
 ああ、やっぱり茂木の町はいいなあ。古いものが無くなる前に、もっと散歩しとこう。  


   ※参考文献:茂木の散歩道 茂木の歩み 長崎市
         古代地名語源辞典 楠原佑介編

スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

ようこそ!

しばらく投稿がありませんでしたが、根気よくチェックし続けていた大ファンの温泉小僧です。更新していただきうれしい限りです。
今回はたわしの生まれ故郷である茂木にようこそ。
もう住まいは別になっておりますが、まだ茂木で仕事しておりますので是非またいらしてください。

Re: ようこそ!

お久しぶりです!ご肛門ありがとうございます!!
いやあ、見つかってしましましたね。誰も遊びに来ないので、今度こそ見捨てられたと思い、何かペロペロしてやろうかと考えていた所です。茂木で思い出すのは、高校生の頃、茂木から来ていたM君の家に電話をかけたら、お母さんが出て「今、長崎に行っとっとよー」と言われ、えー?茂木は長崎じゃなくてどこ?熊本?と混乱した事です。では、すぐにまた力尽きると思いますが、よろしく尾長い致します。次の茂木行きでは、前回買いそこねた漁師めしの「何かうまそうなもの」を買う予定です。

Ramblingbird

長崎南部の自転車散歩やどうでもいい出来事を、小学生ギャグを交えて書き散らします。お下劣な表現を含みますのでご注意下さい。