へびっぽい地名 平口・片木・辺木・蛇田
長崎地名的散歩地名をいろいろ見ていると、へびっぽい地名や、へびに関すると言われる地名、そして、ズバリ「蛇」のつく地名があることがわかる。
近年、日本中で自然災害が続いたことから、「災害地名」がテレビで報道されるようになった。「蛇崩(じゃくずれ)」や「蛇落(じゃらく)」など「蛇」のつく地名は、「大水による災害が発生しやすい所」と言う認識が広まっている。
蛇は、そのくねくねした動きから、流れる水を象徴する生きものとされ、水の神は洋の東西を問わず、多くが蛇身で描かれる。
ただ、へび地名がすべて災害地名という訳ではない。
再来年の2025年はちょうど巳年なので、 今回は、長崎の「へびっぽい地名」について見てみよう。(何がちょうどだ)
長崎市茂木町の中心部から、旧茂木街道のゆるやかな上り坂を田上方面へ進むと、谷の奥で傾斜がきつくなり、つづら折りの峠道に差しかかる。

その辺りは平口(ひらくち)と言う所で、川平川が流れ、平口橋が架かっている。
そして、頭上高く、長崎自動車道につながる県道51号線の高架橋が横切っている。

以前、長崎のローカルTV番組で、長崎の古写真と現在の様子を比較するコーナーがあり、経済学者の姫野先生が、平口の地名由来を紹介されていた。「昔ここは毒蛇のマムシが多く、長崎ではマムシをヒラクチと言う事から、平口という地名がつけられた」という話だった。
しかし、それは恐らく地元民の想像によるもので、「傾斜地・崖地の登り口」というのが妥当なところだと思う。
ヒラは古い言葉で、主に「急傾斜地」を指す。山の登り口を山口と言い、坂の登り口は坂口なので、平口は「急傾斜地の登り口」となる。
類例は少ないが、全国の平口を見ても、やはり同様の地形のようだ。
・浜松市浜北区平口
・松江市東忌部町平口
ただ、崖の下というのは、地形的に地下水が出やすく湿っており、水生生物が棲んでいる。そしてそれをごはんにするヘビもいるはず。川のそばなら尚更のこと。
昔の川や石垣は隙間が多く、蛇がスルスルと逃げ込んでいくのをよく見かけた。
ここでマムシを一匹見ようものなら、「ホラホラ!ヒラクチのおるけん、ヒラクチばい!ホラホラ!ね?ね?」と、口をとんがらせて目をギョロギョロさせ、必死に同意を求めるヤツもいただろう。平口の「マムシいっぱい説」は、長崎弁による誤解に違いない。
五家原岳の中腹にある「片木(へぎ)」集落も、郷土史関係の本には「マムシが多い」のが由来と書いてあった。畑に水を引く川がそばにあるので、へびくらいはいただろうが、これも言いがかりに違いない。

ヘギは「ヘグ(剥ぐ)」を名詞化した地名であり、傾斜地の表面が地すべり等ではがれる所という事だろう。
googleマップより
実際、畑が崩れたようなところもあるし、この辺りでは、道路があちこち小崩落しているのをたびたび見かける。

雲仙市南串山町にも「辺木(ヘギ)」地区がある。山の上の傾斜地に田畑が広がる土地で、やはり畔や石垣の小崩落が見られる。へびに関する話があるかどうかはわからなかった。
傾斜が急で、土がサラサラした所は、舗装や石垣などで固めないと、最後はただの斜面になってしまうのかもしれない。
全国にある辺木も、見た限り傾斜地ばかりだった。
南島原市有家町の蛇田(ひらくちだ)は、わざわざ「蛇」の字をヒラクチと読ませているので、恐ろしさはバツグン!
普通、人が住むところの地名に「蛇」という字はあまり使わないものだが、ここは地図にも載っている。
ただ、全国的に見ると、宮城県石巻市の蛇田(へびた)などは、街なかの行政地名として存在しており、蛇田駅や蛇田小学校もある。元々は川の中洲の氾濫原だったと思われる。
日本では古来から蛇を神聖視して信仰対象とした地域も多い。それは遥か縄文時代から受け継がれたものと言われている。蛇に対する感じ方も様々なのだろう。
有家町の海岸部から尾根道を登り、蛇田(ひらくちだ)集落に入るあたりから、坂の傾斜は急になる。しかし、集落を過ぎるとまたなだらかになる。周辺は登ったり下ったりの複雑な地形で、崖も多い。
つまりここは、地形的には「急傾斜地の入り口」ではない。
Googleマップより
では、本当にへびが多いのだろうか?いや、それはない。地名にはちゃんとそれなりの意味があるはずだ。
私は集落の周りを、たくさんのへびが出てこないかとビクビクしながら見て回った。
集落の西側には大きな溜め池があり、昭和22年の航空写真にも写っている。
東側の落ち窪んでいる所は、広い湿地になっている。
その先にも大きな溜め池があり、隣の集落にもひとつ、合計3つの溜め池が並んでいる。
溜め池が昔からあったかは判らないが、少なくとも水の湧出があり、水が溜まりやすい地形のはず。水が多ければへびも多そうだが、ここも地形状況の地名で説明できる。
・ヒラは急傾斜地。これは、集落の尾根の周囲に崖があるから。溜め池が人工のものだとすると、そこも崖だった事になる。
・クチは入口ではなく、この場合は湿地を表す「クチ(朽ち)」だと思う。
・ダは処(ド)で、「場所」を示す。
元々、島原半島の南側は溜め池が少なく、旱ばつになると田畑がすぐに枯れていたらしい。それが島原の乱の一因とも言われている。
この地を開墾した御先祖たちは、貴重な水源を新参者に取られまいと、わざと怖そうな「蛇田(ひ~ら~く~ち~だ~)」という地名で通したということは考えられないか。(いや、そんな言い方はせん)
他にも由来の候補がある。蛇田(ひらくちだ)は、長崎県の小字地名総覧によると、蛇田、上蛇田、東蛇田、蛇田原、蛇田尻、蛇田谷の6つの小地域に分かれており、半数は「ヒラクツダ」と発音されていたらしい。
地名の「クツ」は崩れるのクヅの可能性がある。集落の周囲の崖が崩落していた可能性も考えるべきだろう。
さらにもういっちょ。ヒラクチが元々は「ヘビ」だったと考えた場合、集落周辺の土地は、左右に大きくうねった上、登り下りも激しい。この地形状況を蛇に見立てたのではないかとも思える。
Googleマップより
全国の「蛇」のつく地名の土地は、やはり氾濫原や山の地すべり地と思われるところが多い。しかし、そうでもなさそうなところもある。語感が「へび」に似ているというだけで「へびが多いから」などという、しょうもない由来譚を語られるのも気の毒だ。
郷土史などの地名や伝承は、未だに50年も100年も前の説をそのまま事実のように載せている事が多い。時代に合わせて内容を見直し、伝説は伝説として、近年の仮説も併記し、若い人達が考える機会を作るべきだろう。教育委員会とかも、昔の偉い先生に忖度するのが優先なのかと思ってしまう。
ちょっとヘビーな話になったが、今回はここまでとしよう。じゃ(蛇)!
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